2月6日(火曜日)、現在のデジタル時刻は3:27と、刻まれている。過ぎた「立春」(2月4日)をあざ笑うかのように、季節は嘘をついている。三度目の正直、気象予報士は嘘をつかず、このたびの降雪予報はずばり当たっている。嘘つきは、逆転している。いつもであれば季節は、ほとんど嘘をつかない正直者である。逆に、常に嘘つきカモメ呼ばわりされるのは人間である。ところが、この風評をくつがえし、人間の面目を潰すことなく守った、このたびの気象予報士はあっぱれである。なぜなら、今回も降雪予報が外れれば、気象予報士はもとより、人間の崇高さなど、丸潰れになるところだった。
へそ曲がりと天邪鬼精神を合わせ持つ私は、人間の威厳や威信など丸潰れであっても、大っぴらに降雪予報の外れを願っていた。ところが、降雪予報は外れるどころか、わが願いを蹴散らして、完全無欠のごとくに当たってしまった。寝床から抜け出すと私は、いち早く窓際へ向かい、二重のカーテンと窓ガラスを開いた。そして、外の雪模様を確かめた。一基の外灯は普段にも増して、明るく光っている。明るさを増していたのはたぶん、積んでいた白雪の照り返りのせいであろう。いつもの習性にしたがって私は、直下の道路に目を凝らした。雪は止んでいる。雨降りもない。見えるのは白雪と、それを踏んだ何本かの黒筋の車輪の跡である。
きのうの昼間の雪の降りようからしたら、積雪の嵩はそんなに高くはなく、わが心象はかなり和んだ。私は萎縮していた気分を直して、椅子に座り机上に置くパソコンを起ち上げた。頭上の二輪の蛍光灯の電源を除いて、まったく火の気がないパソコン部屋は、冷え切っている。まるで、生ものを保存する冷凍室、あるいは普段私が嬉々としてアイスキャンデーを取り出す冷凍庫みたいでもある。それでも、生身のわが身体は腐食を免れて、心臓は正常に鼓動している。ただ、風邪をひいてしまったのか。ときおり、ゴホン、と咳が出る。ときおり、鼻水がポタリ、と垂れそうになる。大慌てで傍らに置くテイッシュを手にとり、難を免れる。
雪の日にあってはパソコン部屋に留まらずわが家、いや住宅地全体が冷凍室さながらである。あれれ、突然、咳が出た。こんどはテイッシュが間に合わず、鼻水が落ちた。こんな無粋なパソコン部屋に、長居は無用である。おのずから、文章は書き止めだ。私はキー叩きを止めて、左右の手の平をすり合わせて、しばし指先を温めた。指先が温まると、パソコンを閉じる。しっちゃかめっちゃかの文章ではあっても、恥じることはない。わが身大事である。風邪が長引いたら文章書きは、またまた頓挫の憂き目を見ることとなる。人生の晩年を生きる私には、雪景色を愛でる心象はもはやなく、凍えそうなわが身をいたわるだけである。雪景色にロマンをともなわなければ、わが命はおしまいである。