前田静良

ひぐらしの記

出遭いのお世辞は、わが無償の処世術

1月22日(水曜日)。現在、デジタル時刻は5:01。驚くなかれ、ほぼ決めている定時の起き出しにある。夜明けは早くなり始めているとはいえ、いまだ真っ暗闇である。いつも用意周到のネタなく、寝起きの心中に浮かんでいることを出まかせで書いている。だ...
ひぐらしの記

「大寒」過ぎて、確かな「春の足音」

「冬至」と「夏至」は気象学的に、半年ごとの確かな季節の屈折点と言えそうである。一方、きのうの「大寒」(1月20日・月曜日)はこれらとは異なり、過去の気象データ上の季節変わりと言えそうである。浅学非才のわが下種の勘繰りゆえに、当たるも八卦当た...
前田静良

第92集 『華の親子道中』

2024.6.1発行第92集『華の親子道中』               前田静良著               2,000円ISBN978-4-911025-08-6収録作品 寒気を脱し、春の訪れを告げる二月/寒気に震えて、ほろ苦い文章/...
前田静良

第89集 『また、朝が来た』

2024.4.1発行第89集『また、朝が来た』               前田静良著               2,000円ISBN978-4-911025-04-8収録作品 あばら家のつらさ/日常生活のつらさ、かなしさ/清々しい、嘆き...
ひぐらしの記

大寒

きのうはおとといへ流れ、きょうはきのうへ流れ、あすはきょうへ流れてくる。人生の晩年を生きる者にとっては、止めようのない(あっ)という間である。この流れの中にあって、感情の動物が住む人間社会には、日々、人間のしでかす様々な出来事が起きる。確か...
ひぐらしの記

嗚呼無常、嗚呼無情

1月19日(日曜日)、時は過ぎても夜明け前にある(6:03)。視覚的にも体感的にも、夜明けの早さ、そして日の入りの遅さ、共にまだ感じていない。この時間だと、ちょっぴりでも夜明けの明るさが欲しいけれど、窓ガラスの外はいまだに真っ暗闇である。い...
ひぐらしの記

寝坊助の戯言(たわごと)

「大寒」(1月20日)を明後日に控えて、寝起きの私は、寒さでブルブル震えている。しかし、大寒を過ぎれば季節は、段々と春を近づける。春へ向かう足取りには季節用語の「三寒四温」があり、確かに言葉の上でも温かさ(暖かさ)が勝ってくる。だったら嘆か...
ひぐらしの記

生きて「30年」

現在、デジタル時刻は、4:42と刻まれていた。当時の私は同時刻、兵庫県尼崎市東園田町にある単身赴任用の借り上げマンション401号室で寝ていた。当時の起き出しはいつも、5時過ぎだった。きょう(令和7年・2025年・金曜日)、スマホを片手にして...
ひぐらしの記

詫びと御礼

1月16日(木曜日)。デジタル時刻は現在、まるで神業のごとくにわが起き出しの定時、5:00ちょうどを刻んでいる。しかし、睡眠にあっては二度寝にありつけず、浅い眠りのままの起き出しを食らっている。高橋弘樹様から賜った「笑いのご教示」は、そのの...
ひぐらしの記

知恵者、高橋弘樹様からさずかった教訓

起き出して来てパソコンを起ち上げると、デジタル時刻は、4:57と刻まれている。起き出し時刻は、みずから決めている定時(5時)近くにある。まずは生きて起き出していることに、みずからを褒めている。これに微笑(ほほえみ)がともなうと、起き出しは1...