ひぐらしの記

ひぐらしの記

「東日本大震災」11周年、わが感慨

このところの私は自然界讃歌を謳い、その様子を文章で綴り続けている。しかしながらこの思いは、必ずしも手放しで称賛しているものではない。いやこの思いには、常に大きな恐怖と陰鬱が付き纏っている。正直なところわが自然界讃歌は、人間界の冷酷と浅ましさ...
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寝起きの述懐

もとより文章は、私には手に負えない難物であり、もちろんその作業は、とことん難儀である。それなのに私は、寝起きにあっての脳髄の駆動未だしの中で、なおさらには朝御飯支度前の限られた短い時間にあって、せっつかれた気分で書いている。おのずから殴り書...
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平和

夜明けの後に起き出してきた。すると、朝御飯の支度のために、文章を書く平常心と時間を失くしている。おのずからあわてんぼうとなり、二段飛びで階下へ下りる。わが体たらくぶりが身に沁みる。  自然界は、のどかな朝ぼらけを燦燦とそそいでいる。自分の失...
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「嗚呼、無情」

自然界の恵みを享(う)けて、暖かい春が来ている。ところが、人類の住む世界には、まったく気分を緩めようのない閉塞感が渦巻いている。大きく出たけれど、もちろんわが個人の閉塞感もまた、身に沁みて果てしない。このところの人間界は、新型コロナウイルス...
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啓蟄

三月七日(月曜日)、例年だときょうあたり、カレンダー上に「啓蟄」の添え書きがある。ところが昨年末にあって私は、百円ショップでわが毎年愛用のちっぽけな卓上カレンダーを買いそびれている。私は一年間しかもほぼ毎日、見入るカレンダーを買い惜しむほど...
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春先、今どきに偲ばれる懐郷

寒気の緩んだ寝起きにあって、子どもの頃へ思いを馳せて、浮かぶままに春先、今どきの当時の郷里(行政名・熊本県鹿本郡内田村)の田園風景をかぎりなく偲んでいる。懐かしい風景には甲乙をつけがたく、それぞれが横に並んで「イの一番」をなして、心いっぱい...
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【領土】

三月五日(土曜日)、きのうに続いてまったく面白味のない文章を書き始めている。実際のところは、わが失念を恥じ入る文章にすぎない。きのうの文章にあって私は、心中に浮かぶままに「土地」にかかわる言葉を羅列した。このことの本意は、人間社会の生活基盤...
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ケチなわが考察

三月四日(金曜日)、寝起きにあって「ウクライナ侵攻や紛争」を鑑み、私は柄でもない思いに取りつかれている。確かに、人間にとって土地は、あらゆる生活の大切な基盤である。そしてそれは、個人、法人、もちろん国家においても、一様に揺ぎ無い基盤である。...
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「ひな祭り」(桃の節句)

三月三日(木曜日)、私のみならず人心に潤いを恵む、「ひな祭り」(桃の節句)の夜明けが訪れている。春三月にあって幸先の良い、日本社会の二十四節気の一つでもある。確かに、寝起きのわが身体からは、寒気が一切遠のいている。私はこんな状態をどれほど長...
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きょうから、春三月

三月一日(火曜日)、正真正銘の春が来た。その皮切りの夜明けを迎えている。体感温度と気温は、様変わりに緩んでいる。このことを記すだけできょうにかぎれば、多言や長い文章はまったく不要である。確かに、わが心身は、沸々と喜びにあふれている。  過ぎ...