私の「守り神」

 八月十一日(木曜日)、真っ青な空に朝日輝く夜明けが訪れている。心の透く、典型的な夏の朝の風景である。わが心中には、確かな自然界の恵みが充満している。だからと言ってわが心中に、まったく陰りはないとは言えない。いや、大ありである。もちろんそれは、新型コロナウイルスのせいで、私自身にだけでなく内外すなわち世の中全体に、閉塞感が漂っているせいである。
 さて、きのうはコロナに関して掲示板上に、高橋様ご自身の感染体験模様が綴られた投稿文を戴いた。高橋様は掲示板開設以来こんにちにいたるまで、掲示板のご常連のみならず、「私の守り神」にあずかっている大切な人である。驚くなかれ! 高橋様はコロナに感染されて、ずっと苦しまれていたのである。失礼きわまりないけれど私にすれば、はじめて知る生々しいコロナの恐ろしさの実態、かつとんでもない体験ご投稿文だったのである。それゆえに今朝の私は、ご投稿文を授けてくださった高橋様にたいして、あらためて御礼文を書かずにおれなくなっている。
 ご投稿文を読んでまず感じたことは、高橋様のコロナ感染体験がテレビなどに流れたら、だれしも怖がりおのずから自粛行動に走るだろう、という思いだった。すなわち、テレビをはじめとするメディア報道は核心、すなわちコロナの本当の恐ろしさを伝えきれていないという、思いだった。ところが高橋様のご投稿文は、コロナの恐ろしさをありありと伝えきっていた。その証しに読み終えた私は、「絶対にかかるまい!」と決意し、厳しくわが行動の点検を試みていた。
 再び書くけれど、高橋様には失礼きわまりないけれど、コロナに罹ってはいけないという教訓を、私は賜ったのである。これらに加えて高橋様は、わが生き様にたいしても、ありがたいサゼスション(示唆)を添えてくださった。つまるところ高橋様は、「私の守り神」のゆえんである。それゆえに私は、再び御礼文と言葉を重ねずにはおれない。果報者の現在の心境である。