ひぐらしの記 この時季、六月雑感 六月三日(金曜日)、夜明けが訪れている。この季節の特徴は、雨の日の多い梅雨の時期である。この季節をわがもの顔で待っている季節の花は、アジサイである。書くまでもないことだけれど、漢字表記は「紫陽花」である。この時季、アジサイは、日本列島のどこ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 起きつけの「ふるさと慕情」 子ども心の一つ覚えの如くに懲りなく、無限に繰り返し書いている。望郷と郷愁は、わが心の支えである。これに、今は亡き父母や多くの兄姉(きょうだい)たちの面影を浮かべて偲べば、まさしく懐郷は鬼に金棒である。これらの思いには一点を除いて、曇りや翳り... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 文章断ちを恐れての、いやずら書き 五月二十九日(日曜日)、すでに夜は、煌煌、満々と明けている。このところの長いずる休みを断って、きょうぐらいは何かを書かなければ、もはやこの先の執筆は、沙汰止みになりそうである。かてて加えて、肝心要のパソコンの使い方も忘れそうである。こんな恐... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「雉も鳴かずば撃たれまい」 きのう一日じゅう、小雨模様にぐずついていた天候は、きょう(五月二十二日(日曜日)の夜明けにあっては、雨模様を断って回復傾向にある。その証しに大空は、ほのかに色づき始めている。こののちの大空は、時が進むにつれて様々な色彩を帯び、文字どおり絵に... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 遅すぎた「ありがたや!」 五月二十日(金曜日)、二度寝にありつけない夜が尾を引いて、私は「早起き鳥」になっている。夜明けて間もなく周回道路へ向かい、綺麗に掃除を済まして、パソコンへ向かっている。出会いは満面笑顔の高齢のご婦人と、言葉抜きに会釈を交わしただけである。そ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 これぞ! 「ふるさと便」 卓球クラブの練習から、一年強にわたり遠ざかっていた。さまざまな要因で、気分がすぐれなかったせいである。いまだ気分に、平常心はないけれど、ここ二、三度、行ってみた。そして、鈍っている身体のみならず精神を解すと、確かにかなりの精気の戻りにありつ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 きのうは望郷、きょうは郷愁 五月十四日(土曜日)、きのうに続いて夜明けに、雨が降っている。夜明けの大空一面は、いくらかグレイがかった白絨毯を敷き詰めた雨空模様である。見ようによっては、朦々と曇っている。農家出身の私にはこの時期、二日続きの雨であっても歓迎こそすれ、気鬱... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 望郷、そして「ふるさと便」 五月十三日(金曜日)、夜明けにあって、雨が降っている。この季節の雨は、無用の雨ではなく、むしろ待ち望まれる雨である。現在の雨はさしずめ、梅雨入り前、あるいは梅雨の走りの雨である。確かに、一方では鬱陶しい雨であり、人によっては、必ずしも待ち望... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ゴールデンウイーク、「飛び石」 私にかぎらず文章を書く者にとって、知ったかぶりの間違いは許されない。だから私は、知りすぎていると思える語句ながら、手元の電子辞書を開いている。わが誤りを防ぎ、さらにはわが身を人様の蔑(さげす)みから守るためである。こんな簡易な語句まで、電子... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 ゴールデンウイーク、「こどもの日」 「こどもの日」(五月五日・木曜日)。同時に、「立夏」が訪れた。気象庁はきのう、早や沖縄地方の梅雨入り宣言をした。歳月のめぐりと、季節の移り変わりは、まるで鉄棒競技における大車輪さながらである。確かに、現在地(八十一歳)から、はるかに遠い過去... ひぐらしの記前田静良