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大沢久美子撮影

♪前田さんへメッセージです♪

少し視点を変えてみたらいかがでしょうか?
例えば、いつも買い物をしている店をあえて外して、他の店で買い物をしてみる、いつもの店には置いてない商品があったりするかもしれません。
すき家で食事をされる場合も、いつもの店ではなく、近隣の違うすき家で食事をしてみる、店内のレイアウトとか店員さんの雰囲気も違って、”新たな発見!!”もあるのではないでしょうか?
それから、前田さんの御自宅近くでも、普段から通らない所もあるかと思いますが、遠回りになるかもしれませんが、わざと通ってみるとか、いかがでしょうか?
景色や家並みがいつものコースと違って、”新鮮さを感じる”のではないでしょうか。
要するに、野球に例えるならば、「いつもストレートで勝負しているけれど、今度からは変化球でも勝負してみる!!」という事だと思います!!
今回も前田さんへ”大大大エール”を贈ります(^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~

♪大沢先生へ『望月窯だより』の感想です♪

『姫リンゴ』、先生の剪定のおかげで、たくさん花が咲いてなによりですね♪♪♪♪♪♪♪
今年は、たくさんの実が成ることでしょうね◯◯◯◯◯◯◯
画像を楽しみにしています(^^)

『藤の花』も咲いてなによりですね♪♪♪♪♪♪♪
御母様もあちらの世界で、大喜びのことでしょうね*(^o^)/*

望月窯だより

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 母が大事にしていた藤を花が咲かないまま、手入れの余裕もなく面倒で、毎年伸びた蔓を無造作に切り詰めていた。数年前に思い立って、駐車場に続く私道の脇に蔓を這わせることにした。手入れをしても花が咲くことはなかったので、花の時期も気付かずに気にもとめていなかった。ところが、今週の初めに訪れて帰宅するとき、家の周りを見回っていたら、なんと藤の花房が垂れ下がっているのが目に留まった。
「咲いた、咲いた。藤の花が咲いた」
 私は思わずカメラを取り出してシャッターを切った。曇っていたのでうまく撮れなかったが、この次訪れた時にはもう花は終わっているだろう。今度からもっと丁寧に世話をしようと心に決めた。

望月窯だより

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古河の実家に姫リンゴの木がある。小さな赤い実はりんごにそっくりで、いつだったか妹が「おいしそうだよね。食べられないのかな」と思い立ってネットで調べた。ジャムに出来るということだった。それならば、是非挑戦してみようと実が成るのを楽しみにしていたが、そう気がついたときには長い間ほったらかしにしていたので、実が成らないどころか、花も咲かなくなった。昨年は時期に合わせて剪定した。そして、今年花盛りになった。実が成るのが楽しみだ。

追い詰められて「とんずら」

4月20日(土曜日)、もちろん、いい加減な気持ちではなく、必死に書いている。しかし、このところは、文章とは言えないものばかりである。ゆえに気分は、袋小路に入っている状態にある。挙句、そこから逃げ出すことにもがいている。これにちなんで心中には、二つの成句が浮かんでいる。困ったときの助太刀すがりで、電子辞書を開いた。【窮鼠猫を噛む】「絶体絶命の窮地に追い詰められれば、弱者といえども強者を打ち破ることがあるというたとえ」。【袋の鼠、あるいは袋の中の鼠】「追い詰められて逃げ場のないことのたとえ」。あえて、電子辞書にすがるまでもない簡易な成句である。ところがどちらも、わが現在の心象には当を得なくて、しかたなく「袋小路に入っている」という成句を用いた。ああああ…、きょうも書くまでもない文章を書いている。こんな状態のときには【三十六計逃げるに如かず】という成句(諺)がある。これまた簡易な日常語である。だけど、再び電子辞書を開いた。「形勢が不利になったときには、あれこれと策を用いるよりも、逃げてしまうのが最良の方法であるということ。また、厄介なことが起きたときには、逃げるのが得策であるということ」。厄介ではないけれど、まともな文章が書けず、私は「とんずら」を決め込んだ。【とんずら】「とん」は遁走(とんそう)、「ずら」は「ずらかる」の意。犯罪をおかして逃げることをいう俗語。もちろん、碌な文章しか書けないことは犯罪ではない。しかしながらわが心象は、それに似た状態にある。のどかに、夜明けが訪れている。ところが今朝もまた、ウグイスは朝寝坊を決め込んでいる。声援(音)無しの電子辞書しかすがれるもののない、わが身は哀れである。ウグイスは、私に愛想尽かしをしているのであろうか。たぶん、そうかもしれない。朝日は輝きを増し始めている。

ありがとうございます。

 大沢さん、高橋さん花の写真の感想ありがとうございます。

古閑さんちのお庭

かわいらしい花々で古閑さんちのお庭は賑やかになりましたね。小さなお花の集まりもいいものですね。花々のささやきが聞こえてくるようです。

ウグイスは朝寝坊

4月19日(金曜日)、すっかり夜が明けている。風雨まったくないのどかな朝が訪れている。きのうの寝起きは地震情報に驚いて、心が揺れた。だから私は、いつもこんな夜明けを願っている。さて、寝起きのきょうは、このことに驚いている。ウグイスもときには、朝寝坊をしでかすのであろうか。気分でも悪いのであろうか。鳴きたくない朝もあるのであろうか。晴れの夜明けにあって、ウグイスの鳴き声が途絶えている。私が「早起き鳥」になり替わり、生前の母の真似をして、ウグイスにたいし「もう、起きらんかい。さぞかし、まだ眠かろうばってん、起きらんと遅れるぞ!」と、言ってもいい。ただ、ウグイスの場合、何に遅れるかはわからない。だからただ、私自身がウグイスの鳴き声(エール)を欲しがっているのである。これぞ、朝寝坊のウグイスには大迷惑であろう。確かに私とて、朝寝坊を無理矢理起こされたら気分が悪い。それでもいくらか、鳴き声の途絶えているウグイスの体調を気遣うところである。久しぶりにわが寝起きの気分は良い。それは、昨夜のジャイアンツ戦において、タイガースが「サヨナラ勝ち」をしたからである。昨季日本一になった今季のタイガースは、これまで出足に躓いている。このこともあってきのうの勝利は、わが留飲を下げたのである。このことでは、すこぶる気分の良い寝起きなのに、ところが文章はそれに付随せず、こんな体たらくである。ウグイスはこんな私に、業を煮やし不貞腐れて、エールを止めているのかもしれない。私はエールを欲しがり、両耳には補聴器を確り嵌めている。書き始めから時間が経っているのに、ウグイスはまだ鳴いてくれない。だからと言って子どもの頃のように、ウグイスを「バカ!」呼ばわりはしたくない。なぜなら、夜明けにあってウグイスの鳴き声は、わが一日の始動にさずかるこのうえない応援歌である。こんな文章、やはり休めばよかった。わが身体には、とうに焼きが回っている。自然界は、地震情報のない、のどかな朝ぼらけを恵んでいる。

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

春真っ只中、花々の躍動感がたくさん伝わってきています(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/