ウグイスは朝寝坊

4月19日(金曜日)、すっかり夜が明けている。風雨まったくないのどかな朝が訪れている。きのうの寝起きは地震情報に驚いて、心が揺れた。だから私は、いつもこんな夜明けを願っている。さて、寝起きのきょうは、このことに驚いている。ウグイスもときには、朝寝坊をしでかすのであろうか。気分でも悪いのであろうか。鳴きたくない朝もあるのであろうか。晴れの夜明けにあって、ウグイスの鳴き声が途絶えている。私が「早起き鳥」になり替わり、生前の母の真似をして、ウグイスにたいし「もう、起きらんかい。さぞかし、まだ眠かろうばってん、起きらんと遅れるぞ!」と、言ってもいい。ただ、ウグイスの場合、何に遅れるかはわからない。だからただ、私自身がウグイスの鳴き声(エール)を欲しがっているのである。これぞ、朝寝坊のウグイスには大迷惑であろう。確かに私とて、朝寝坊を無理矢理起こされたら気分が悪い。それでもいくらか、鳴き声の途絶えているウグイスの体調を気遣うところである。久しぶりにわが寝起きの気分は良い。それは、昨夜のジャイアンツ戦において、タイガースが「サヨナラ勝ち」をしたからである。昨季日本一になった今季のタイガースは、これまで出足に躓いている。このこともあってきのうの勝利は、わが留飲を下げたのである。このことでは、すこぶる気分の良い寝起きなのに、ところが文章はそれに付随せず、こんな体たらくである。ウグイスはこんな私に、業を煮やし不貞腐れて、エールを止めているのかもしれない。私はエールを欲しがり、両耳には補聴器を確り嵌めている。書き始めから時間が経っているのに、ウグイスはまだ鳴いてくれない。だからと言って子どもの頃のように、ウグイスを「バカ!」呼ばわりはしたくない。なぜなら、夜明けにあってウグイスの鳴き声は、わが一日の始動にさずかるこのうえない応援歌である。こんな文章、やはり休めばよかった。わが身体には、とうに焼きが回っている。自然界は、地震情報のない、のどかな朝ぼらけを恵んでいる。