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望月窯だより

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六月六日から二泊三日で古河の実家に滞在した。雨模様のくずついた
天気だったので、思うように草取りは出来なかったが、それでも楽しい
ことはたくさんあった。
 二日目の草取りの最中に、手元を何やら勢いよく走り抜けた。驚いて
声をあげることも出来なかった。目で追った先に黄土色の動物の後ろ姿
があった。長い耳が立っていたのでどうやら野ウサギのようだった。
 その後、妹が「お姉ちゃん、気持ち悪い物がある」と声をあげた。
「なんか、柔らかくて触ると弾んでいる」と言う。
 よく見ると、蒸した大豆に似た緑がかった薄茶色の形の物が草むらに
五、六粒固まって落ちていた。どうやら糞のようだ。
「ウサギの糞じゃないのかしら」と私が言うと、動物好きの妹が、
「お姉ちゃんが見たというウサギの巣があるんじゃないの。草が茂って
いたので安心して暮らしていたのかもしれないね。かわいそうだね」
 と言った。
「草を取らなくちゃあ萱が茂って、大変なことになるから、お引っ越し
してもらうしかないね」
 と、笑い合った。
 待ち遠しかった里芋がやっと芽を出して、スイカが蔓を伸ばしていた。
夏野菜のキュウリ、ナス、レタス、春菊、小松菜、モロヘイヤなどを
収穫した。

きょうも、実のない書き殴り

六月十日(金曜日)、まがうことない梅雨空の夜明けが訪れている。今のところ関東地方の梅雨空は、大過なく梅雨明けへ向かって、きょうをきのうに替えている。しかし、あしたのことはわからない。人の世は、一先は闇の中であり、天災もまた、忘れたころというより、絶え間なくやって来る。お釈迦様の言葉を一言借りれば、確かに人の世、なかんずく現世は、「無常」と言えるであろう。このところ、新型コロナウイルスにまつわるメディアニュースは、いくらか薄れがちである。パチパチと両手を叩きたいところだけれど、もちろん早や合点することはできない。なぜなら、すっかり鳴りを潜めたわけではなく、今なお大勢の感染者や、それによる死亡者が伝えられてくる。収束が近いように思えるが、実際のところはメディアの報道慣れ、あるいは報道疲れみたいなものであろう。だから国民は、ゆめゆめ油断はならずと、なお自覚や自制をしなければならない。もとより、メディア報道には身勝手というか、我田引水のところがある。それは、「熱病の如く、煽りにあおって、熱冷ましの如く、さっと引く」という、習性である。すなわち、メディア報道には、社会の木鐸(ぼくたく)という称号を隠れ蓑にして、「飯の種」を探しては煽り続けるところがある。結局、人の世は他人(ひと)まかせにはせずに、わが身は自身で守らなければならない。かつての私は、いくらか心構えをして文章を書いていた。ところがこのところの私は、寝起きの書き殴り、あるいは時に急かされて、走り書きで書いている。わが無能のせいで、文章の出来不出来にはそんなに差はないけれど、やはり書き殴りや走り書きの文章には、やりきれない気分横溢である。きょうの文章は、三つ巴にあっては書き殴りの典型である。走り書きをするまでもなく、朝御飯の支度までは、まだたっぷりと余裕時間を残している。梅雨空は一転、朝日に輝いている。私は、のんびりと窓の外のアジサイを眺めている。

♪前田さんへメッセージです!!

前田さんの「望郷、郷愁」からは、文部省唱歌の「ふるさと(故郷)」の歌声が頭の中に響いてきます♪♪
いつも前田さんの文章から、内田川やその周辺の景色を想像して、良い気分になっています◎◎

♪大沢先生へメッセージです!

先生、感想の御投稿をどうもありがとうございます。
心から感謝申し上げます。たいへん嬉しく思います。
先生のラベンダーのドライフラワーは、和の雰囲気がとても良く、ラベンダー色が濃いので素晴らしいですね◎◎
パッションフルーツの蕾第1号の益々の生長が楽しみですね♪

素晴らしい!

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高橋さん、早速ラベンダーのドライフラワーを完成させてくださり
ありがとうございます。ラベンダーは花穂をこまめに摘み取ると次々に
新しいものが伸びてきます。
 私は時々摘み取っては部屋のあちこちに飾っています。香りがいつまでも
保てるので放置してからからになっても花の色と香りは残っています。
 パッションフルーツの蕾第一号が育っています。今年はちょっと遅いようです。

尽きない、望郷そして郷愁

六月九日(木曜日)、まさしく梅雨空らしい夜明けの空をしばし眺めている。雨こそないけれど、どんよりとした曇り空である。こんな遠回しの表現は止めて、日本人であれば老若男女のだれもが知りすぎている、梅雨空である。しかしながらわが身には、鬱陶しさは微塵もない。いや、爽やかな気分である。こんな気分をもたらしているのは、この時期、心中に飛びっきり蔓延(はびこ)っている「望郷、郷愁」のおかげである。まったく飽きずもせずに、私はなんどこんなフレーズを繰り返し書いていることだろう。人様からすれば、おまえは「何たるバカ者なのか!」と、叫びたいであろう。もちろん私は、そんな非難囂々には馬耳東風、いやいや知ったこっちゃない。なぜなら、私にとって望郷と郷愁は、わが生存における大きな糧(かて)の役割を成しているからである。なおかつそれは、心中に浮かべるだけで済む、無償の恩恵を成している。私は常々、こんなことを心中に浮かべている。それはこうである。私がこの世に生まれて生誕地で生活をしたのは、高校を卒業するまでの十八年間にすぎない。そして、この期間から物心つくまでの年数を除けば、たったの十年余りにすぎない。これまでのわが八十一年の人生にとってこの期間は、確かにあまりにも短いと言えるであろう。それなのにわが人生の多くは、この期間の出来事、のちには思い出で占められている。何たる摩訶不思議なことであろうかと自問して、腑に落ちないところでもある。その拠り所は、望郷そして郷愁と言えそうである。いや、もっと具体的にはやはり、優しい父母や多くのきょうだいたちと相なした、わが子ども時代ゆえであろう。すなわちこれこそ、わが望郷そして郷愁のいずるおおもと言えそうである。水田は、文字どおり水浸しになっているであろうか。「内田川」の川面にすれすれに、川岸、河川敷のあちらこちらに、水田、田園の上空、そしてそれらを取り巻く農道や畦道に、ホタルはふぁふぁと飛び交っているだろうか。これまた懲りなく書いているけれど、望郷そして郷愁は、人間のみが享有できる特権である。すると私は、ことのほかそれに浸りきって、人生に付き纏う憂さを晴らしているのである。確かに、これに浸りきれば、梅雨の合間の晴れやあるいは雨続きなど、おのずから用無しである。窓の外のアジサイは、七変化の初動を露わにして、艶やかに色を成し始めている。しかしながら、わが心の癒しにとってアジサイは、望郷そして郷愁共に、それには大負けである。もちろん、それらには勝ちようはなく、それは端(はな)からしかたがない。寝起きの書き殴りにネタはなく、またしても「望郷、郷愁」すがりである。

♪HIROKIのタレント日記!!

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《富良野ラベンダーのドライフラワー完成!!》
大沢久美子先生よりいただいた『富良野ラベンダー』のドライフラワーが完成しました!! 1週間で早かったです!!
コンセプトは、アンティーク調にしよう!! と考えがまとまり、ブリキポット・木製ガーデンピック・木製ミニすのこ・ガラスキャニスター・天然の麻繊維を用意して、★アンティーク調インテリア★の出来上がりとなりました★★★
ドライフラワーでも香りが続いていて癒されます!!!
花は、生花・切り花のほかにドライフラワーでも楽しめることがよくわかりました♪♪♪
大沢先生、本当にどうもありがとうございました。

♪前田さんへメッセージです!!

前田さん、御返事の御投稿どうもありがとうございます*(^o^)/*
前田さんから御返事をいただくと、ことのほか嬉しいです\(^o^)/

そうですね!! 九州地方を差し置いて、きのう梅雨入りしましたが、前田さんのおっしゃる通り、「降っては晴れて、晴れては降って」の穏やかな天候を望むところです。
ぼくは、自転車で長距離移動することが多く、雨の降りが強いと困ってしまいます↓↓
レインコートは着用しませんので、予定を中止するか変更するしかありません!!
ですので、秋雨前線が後退して秋晴れが続く日々と、雪が降らない晴天の冬が好きなんです♪♪

ムカデをはじめ節足動物の不快害虫は、本当に嫌ですが、なんとか前田さんが退治できますように祈りを捧げています!!

高橋弘樹様へ 感謝!

いつも、「大、大、大、エール」を賜り、
うれしいかぎりです。お礼を申し上げます。
梅雨入りが宣言されました。つつがなく、
かつ獅子奮迅のご活躍でお暮らしください。

関東甲信地方、梅雨入り

気象庁はきのう(6月6日・月曜日)、関東甲信地方の梅雨入りを発表した。これには、この記事が付記されていた。「今年は、これまで沖縄・奄美地方で梅雨入りしていますが、関東甲信地方が九州南部よりも梅雨入りが早かったのは、17年ぶりです。」この記事からすればわがふるさと県・熊本の梅雨入りは、未だしである。しかしながら、「17年ぶり」という特記からすれば、ふるさとも間もなくの梅雨入りであろう。ところが、いまだ梅雨入り宣言はないものの隣県・鹿児島の天候は、さきばやに大荒れが伝えられていた。例年、梅雨明けの頃には天候の大荒れに見舞われて、すんなりとした梅雨明けにはいかないところがある。挙句、日本列島のどこかしこは大きな災害の恐怖に晒されて、実際にもどこかは大きな災害に見舞われた。このことをおもんぱかって、梅雨入りにあってまず望むのは、無難な天候である。幸いなるかな! 梅雨入り宣言から一夜明けたきょう(6月7日・火曜日)、夜明けの天上・地上そして空中、見渡す視界には恐怖心をあざ笑うかのように、澄明な朝日が射している。なんだかなあー、腑に落ちない、これぞ! 胸の透く日本晴れと、言えそうである。しかしながらこの先、梅雨明けまでの晴れには、「梅雨の合間の晴れ」という、季節用語がついて回ることとなる。雨の日ばかりでも困るし、逆に雨のない「空梅雨」にはなお大困りである。だから、梅雨入りにあってわが望むところは、「降っては晴れて、晴れては降って」の穏やかな天候、できれば大盤振る舞いの天恵である。梅雨明け間近、いよいよふるさとは田植えシーズンの真っ盛りとなる。望郷をつのらせて、ほどほどの雨の梅雨入りを望むところである。わが家にあっては、身辺にムカデのお出ましに遭って、恐怖感つのる梅雨入りである。