尽きない、望郷そして郷愁

六月九日(木曜日)、まさしく梅雨空らしい夜明けの空をしばし眺めている。雨こそないけれど、どんよりとした曇り空である。こんな遠回しの表現は止めて、日本人であれば老若男女のだれもが知りすぎている、梅雨空である。しかしながらわが身には、鬱陶しさは微塵もない。いや、爽やかな気分である。こんな気分をもたらしているのは、この時期、心中に飛びっきり蔓延(はびこ)っている「望郷、郷愁」のおかげである。まったく飽きずもせずに、私はなんどこんなフレーズを繰り返し書いていることだろう。人様からすれば、おまえは「何たるバカ者なのか!」と、叫びたいであろう。もちろん私は、そんな非難囂々には馬耳東風、いやいや知ったこっちゃない。なぜなら、私にとって望郷と郷愁は、わが生存における大きな糧(かて)の役割を成しているからである。なおかつそれは、心中に浮かべるだけで済む、無償の恩恵を成している。私は常々、こんなことを心中に浮かべている。それはこうである。私がこの世に生まれて生誕地で生活をしたのは、高校を卒業するまでの十八年間にすぎない。そして、この期間から物心つくまでの年数を除けば、たったの十年余りにすぎない。これまでのわが八十一年の人生にとってこの期間は、確かにあまりにも短いと言えるであろう。それなのにわが人生の多くは、この期間の出来事、のちには思い出で占められている。何たる摩訶不思議なことであろうかと自問して、腑に落ちないところでもある。その拠り所は、望郷そして郷愁と言えそうである。いや、もっと具体的にはやはり、優しい父母や多くのきょうだいたちと相なした、わが子ども時代ゆえであろう。すなわちこれこそ、わが望郷そして郷愁のいずるおおもと言えそうである。水田は、文字どおり水浸しになっているであろうか。「内田川」の川面にすれすれに、川岸、河川敷のあちらこちらに、水田、田園の上空、そしてそれらを取り巻く農道や畦道に、ホタルはふぁふぁと飛び交っているだろうか。これまた懲りなく書いているけれど、望郷そして郷愁は、人間のみが享有できる特権である。すると私は、ことのほかそれに浸りきって、人生に付き纏う憂さを晴らしているのである。確かに、これに浸りきれば、梅雨の合間の晴れやあるいは雨続きなど、おのずから用無しである。窓の外のアジサイは、七変化の初動を露わにして、艶やかに色を成し始めている。しかしながら、わが心の癒しにとってアジサイは、望郷そして郷愁共に、それには大負けである。もちろん、それらには勝ちようはなく、それは端(はな)からしかたがない。寝起きの書き殴りにネタはなく、またしても「望郷、郷愁」すがりである。