掲示板

坂本弘司撮影

 ありがとうございます。

 高橋さん、いつも花の感想ありがとうございます。私は、ザクロのジュースを飲んだことはありませんが写真を見ると美味そうですね。

 ありがとうございます。

 大沢さん、いつも花の感想ありがとうございます。蜜柑は今年夏の猛暑続きで、しおれて幹の皮が剥がれてしまい妻も「もうダメかもしれない」と言っていましたがその後水を相当量まいたところぐんぐん元気になり実をつけるまでなりました。今年のみかんは比較的大きいようです。

♪HIROKIのタレント日記♪

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《ザクロの木丸坊主!!》
本年9/24(火)付け日記に書いたさいたま市浦和区にある四国銀行社宅敷地内のザクロの木ですが、本日通りかかったら、ナント!! 剪定されて丸坊主になっていました↓↓
画像は、夜の撮影になってしまい、申し訳ありませんm(_ _)m
数日前までは健在だったのに、現代文藝社代表で作家の大沢久美子先生が『野木駅のオブジェ』のタイトルで本年10/18(金)付けで御投稿された”野木駅の樹木”も丸坊主となっていますので、Wショックです↓↓
ザクロの木の存在を知ってから、今回で2回目の剪定となりました。
枝葉が生えてきてさらに充実してくるまで2年かかると思いますが、それまでつまらない日々を送ることになります。
きょうは、ざくろ100%ジュースを飲んで、残念な心を癒したいと思います(◞‸◟)(◞‸◟)

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

大沢先生に同感です♪♪
蜜柑が写っていますが、収穫されれば、”早生みかん”になりますね(^^)

☆前田さんへメッセージです♪

最近の☆『ひぐらしの記』☆は、長文の御投稿で、☆前田さんの個性とパワー☆がたくさん感じられて、たいへん嬉しく思っております☆☆
文章を執筆する事は、前田さんに限らずどなたでもさまざまな困難を伴うことだと思いますので、前田さんにふりかかるたくさんの困難などお気になさらずに、お書きいただきたいと思います。
執筆時間を増やすために、御努力をされていらっしゃいますが、テレビ番組を録画されて、執筆後に御覧になるのも1つの方法だと思います。

☆本日の『ひぐらしの記』☆を拝見させていただきました。
「昼カラオケ店」での前田さんの”コミュ力”(=コミュニケーション能力)は、”抜群”で、その後の♪店内の楽しさ♪に繋がり、拍手大大大喝采ですねーー♪☆☆☆☆☆☆☆♪

再び、お詫び

このところの文章がいたずらに長く、書き始めから書き終わりの時間が遅くなっているのは、この三つせいです。一つは、ワードの扱いに戸惑い何度も書き直しをしていること、一つは途中、朝の洗面、頻尿、朝御飯に、時間をとられこと、一つは生来の手のろです。一方、一つだけ良いことは、今まで必ず見ていた7時からのテレビ番組を執筆時間を増やすため、泣く泣くたったためです。

秋晴れの下、きのうは共に生きる「わが夫婦の感謝デー」

11月1日(金曜日)。久しぶりにほぼ定時に目覚め、そのまま起き出して来て、すぐにパソコンを起ち上げている(54:49)。晴れた夜明けが訪れている。きのうの秋晴れをひきついてくれたようである。夜長は日増しに延びて、冬至(12月21日)へ向かっている。旧暦の11月は「霜月」である。この呼称の由来は、文字どおりこのあたりから霜が降りて、いよいよ寒さが増してくるからだという。あれれ? 現在は、霜は降りず、寒さもそう感じない。それもそのはず霜月は、現在の新暦と比べればずれて、ほぼひと月の遅れだという。子どもの頃を想起すれば確かに、12月の入り日あたりにあっては、庭先や田んぼの一面には、真っ白く霜が降りていた。つれて、心身共にブルブル震えていた。現在の11月は、まだ何日かは秋晴れを残し、寒気も身に堪えるほどでもない。しかしやがては、11月とて「小春日和」を待ち望むことになる。夜明けの晴れは昼間へ向かうにつれて、どう変化するであろうか。欲張りのわが望むところは、きのうの秋晴れをひきついて、その延長線上にさらなる好天気を願っている。きのうの私は、きょうの天気予報は聞きそびれている。きのうは気象予報士の予報がピッタリと当たり、爽やかな秋晴れに恵まれた。さて、きのうのわが家はこれまた予定の行動に違わず、いやそれを超えて完全無欠にそれを為した。予定していた二つの行動を再記すればこうである。一つは、妻の髪カットへのわが引率同行である。そして一つは、それを終えると昼食を挟んで、こののちは妻を誘っての「昼カラオケ」への率先躬行だった。完全無欠と言ったけれど昼食は抜いた。それでも、完全無欠と言いたかったのは、昼カラオケへの行動、そして店内の楽しさが昼食抜きをはるかに超えて、完璧だったからである。夜間は生業にスナックを営む「昼カラオケ店」は、私が不断の買い物のおりに、通りすがりに看板を目にしていたところである。ゆえに、一見の飛び入りだった。私はヨロヨロの妻の足取りを気遣っても躊躇せず、「先に入れよ」と言って、怪訝そうな妻の背中を押し入れた。見知らぬ店内には、一人の男性と二人の女性がいた。昼カラオケのご多分にもれず、三人とも高齢者だった。その人たちは、歌は歌っていなかった。私たちはいくらか夜の雰囲気にのまれて、恐々とゆっくり、奥のソファに腰を下ろした。二人のうちひとりの女性は、カウンター内でこしらえ物をされていた。ひとりの男性と女性は止まり木に足を下ろし、カウンターに向かわれていた。まだ歌は流れず、店内はひっそり閑としていた。せっかくきたのにかたわらの妻の表情は、オドオドとして不満そうである。「早く歌、歌えば。歌いたくないの…」「うん」「そうか、それならここは出て、ほかのところへ行ってもいいよ」「うん」私はせっかく入ったのに、これはまずいと思った。4、5人連れの高齢女性が入ってきた。馴染みなのであろうか、気おくれすることなく、所定と思われるカウンターに陣取られた。少し経って、こんどは一人で高齢の女性が入られた。これまた馴染みなのか勝手知った如く、私たちの近くに座られた。まだ、歌は一曲も流れない。私はまた妻へ尋ねた。「歌、早く歌えよ。ここでは歌いたくないの?」「うん」これはまずい。私はやおら立ってカウンターへ近づいて、最初目にした見知らぬ女性にたいし、こうお願いした。「歌、歌って雰囲気を盛り上げてください。歌好きの妻が『ここは、出よう』」と言っていますから、頼みます、歌、歌ってください」。私たちの近くに座られた未知の人にたいしても、私はこう言った。「こちらへ寄ってください。妻は歌好きですから、できたらバンバン歌って、盛り上げてほしいのです」。するとご婦人はにこやかに近づいてこられて、この後は昔からの馴染のように三人共に、すぐにいっときの仲間になったのである。火付け役を思いたった私のエンターテイナーぶりは功を奏してすぐに、最初にお願いした女性を皮切りに、次には妻、次には仲間となった隣の女性、そして連れの女性たちも次々に歌い、切れ目なく歌が流れた。妻は持ち歌の数曲を歌った。やはり、上手い。私はいつものように一曲さえ歌うことなく、みんなの歌にたいし、手叩き屋に甘んじた。2時間ほど経って私は、「もう帰ろう」と、妻をけしかけた。妻は不満そうに、「パパ。まだいいわよ」と、首をふるばかりである。この二人のやり取りを見ていたのであろうか、数人が私たちの周りに集まり、「まだ、居てください」などと言って妻に味方して、私たちの引き留めに躍起だった。私は「ありがとうございます。また来ますから、仲良くしてください」と言って、立ち渋る妻を強引に立たせて、秋晴れの下に連れ出した。この店はビル中の最下段あり、道路続きにあったのである。書き殴りは果てなく続きそうで、ここで書き止めである。ゴミ出しの時間が迫り、一度の推敲さえ許されず、ミスに気を揉みながら投稿ボタン羽目になった。きのうに続く秋晴れが、ミスを恐れるわが気分を癒している。

古閑さんちのお庭

 花たちは色鮮やかに咲いていますね。花の季節もだんだん終わりになって、庭は淋しくなりますが、春が待ち遠しくなりますね。少ない花々だから咲いてくれれば楽しみです。あっ! 蜜柑見ーつけた!

 庭の花

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 ここのところ寒さを感じるようになり庭の花も少なくなってきています。

きょうは爽やかな秋晴れ(予報はピッタリ)

10月の最終日(31日・木曜日)。遅い起き出しを食らって壁時計の針は、すでに夜明けの頃を過ぎて、朝へめぐっている。当たり前だけれど時計の針はこの先、昼間へ向かって時を刻んでゆく。起き出してきたままに、当たり前のことを書きたくなっているのはこのせいである。きのうの気象予報士が、「あしたの昼間は、爽やかな秋晴れになります」と、言ってくださったからである。なんだか自分自身、気恥しくなるような違和感のある「もったいぶった」表現をした。しかしながらこのときの私は、「言ってくださった」、いやもっと丁寧には、「言っていただいた」のほうががいいかな?…という、心境をたずさえていたのである。今さら言うまでもないことだけれど、こんな心境の発露は、この秋の悪天候続きに嫌気がさしていたからである。それゆえに正直なところ私は、気象予報士の予報(言葉)にたいして、お礼の心をたずさえていたのである。きのう昼頃(正午)あたりまでは、雨が降っていた。ところが昼過ぎになると、前日の気象予報士の予報に違わず一転直下して、満天、空中、そして地上、隈なく晴れ渡った。するとこれに呼応するかのようにわが気分はパッと明るくなった。それは、このところの悪天候続きで憂鬱気分に陥っていたことによる裏返しだったのである。その証しにはこれまた突然、私はこんな言葉とそれに逆らわない行動を開始した。似非(えせ)の茶の間で相対していた妻は、痛い腰をさすり、今にも立ち上がらんばかりにびっくり仰天した。「晴れたね。おれはこれから、大船へ行ってくるよ。買い物がてらに、きょうは気分直しだよ。買いたいものがあれば、後でメールして、もう行くから…心が逸(はや)っているから…」「これから行くの?…、少し待ってて、わったしも行きたいから…」「待てないよ。買い物があるならメールして…」「わたしも行くから、待っててよ!」「いい天気だから、待てないよ。おまえにはあした、髪カットの予約があるから、あした行けばいいよ。おれも一緒に行くよ。そのとき、このまえ日延べした昼カラオケにも行くよ」「少し待って、私も行きたいから」「待てないよ、もう行くから。おまえの支度は、いつも長くなるから…もう行くよ」「パパは、いつも勝手だから…行くなら、早く行きなさいよ!」私はすばやく不断の買い物姿に身なりをととのえて、玄関口から門口へ出た。雨上がりの道路は、輝き始めたばかりの日光に、いまだ露を帯びてキラキラに光っていた。速足で歩き出すと、「確かに、身勝手だったかな?…」と、ちょっぴり自分を責めた。一方では自分を慰めた。きょうの私には、妻の髪カットへの引率同行、そしてその後には、私には妻が願えば「昼カラオケ」への、こちらは率先同行の心づもりがある。これらの妻へのわが情愛は、あいにくとんだ「罪滅ぼし」に様変わっている。しかし、昼カラオケへの率先同行には、過日、果たせなかった記憶がよみがえり、きょうも一抹の不安に怯(おび)えている。きょうの妻の髪カットも予約は、妻が一週間の天気予報を鑑みて、雨の予報のないきょうに予約を入れていたのである。予約の日は見事に功を奏して、再び繰り返すと気象予報士は、「あしたの昼間は、爽やかな秋晴れになります」と言ってくれたのである。予約時間は11時45分。昼間には少し早いけれど、昼食そして昼カラオケの時間などを鑑みて、私はこのあたりを願ったのである。幸いなるかな! 大空の秋晴れは前倒しになり、すでに爽やかに輝いている。罪滅ぼしには絶好の秋晴れである。だけど、やや不安のところもある。その不安を除くためには、妻へのわが情愛と偽りのない実践躬行である。どうかな…?。