大沢久美子撮影 有名な辛うまタンメンの店、「蒙古タンメン中本」がカップラーメンを販売しています。 きのうタイトルは、NHKテレビスペシャル新、映像の世紀「第二次世界大戦」だったかな? を観て私は、明けて今なお映像の恐ろしさに怯(おび)えている。怯えの基はわが余生(片手指の本数)にあって、日本の国が戦争に巻き込まれるのか、あるいは戦争をしでかすのかの予感に苛(さいな)まれているからである。なぜなら現下の世界事情は、第二次世界大戦開戦時に相似ていると思えるからである。なお具体的には、現在のウクライナ(ゼレンスキー大統領)とロシア(プーチン大統領)、これらに加わるアメリカ(トランプ大統領)のやり取りか推し量られるところがある。きょう3月2日(日曜日)。寝起きの現在、まったく寒気を感じない。いや、きのうの「春3月の入り日」にあっては、家じゅうのすべての暖房器具と、わが防寒着衣もまた不要になっている。待ちに待った掛け値なしの、いや正真正銘の「春が来た」というのに、それに背いて現在のわが心象は、きのう観た映像のせいで憂鬱状態にある。こんなことでは観なければよかったとか、途中でチャンネルを変えればよかったと思うけれど、もはや後の祭りである。ところが、私はそうはできずに目を凝らして、映像の全編に見入っていた。映像を観て、わが感慨はおおむね二つである。一つは、戦争は呆気なく起きるということ、そして一つは、為政を司(つかさど)る悪人(悪徳独裁者)の怖さである。すると、メディアの伝える現下のウクライナとロシア、それにかかわるアメリカの国および人を推察するかぎり、まるで映像の写し絵さながらである。だから、端的に表現すれば現在は、(怖い、怖い)の心境にある。こんな心境では、春の訪れは「台無し」状態にある。現在、未だ夜明け前にある(5:39)。いや、薄っすらと夜が明けかかっている。執筆時間はまだたっぷりとある。しかし、気鬱症状に阻まれてこの先は書けず、ここで「おさらば」である。憂鬱心癒しのウグイスの鳴き声はない。 かなり、願望交じりに期待していた。けれど、トランプ大統領(アメリカ)とゼレンスキー大統領(ウクライナ)との会談は、互いの主張を譲らず応戦を和らげることができずに、中止になったという。この先がいっそう思いやられる、喫緊かつ緊要の世界事情である。こちらは、ニュースを観ていないからわからない。すなわち、岩手県大船渡市の山火事は、まだ燃え続けているのであろうか。さらにきのうには、長野県と山梨県にも山火事が起きていた。これらは日本列島に降りかかっている火の粉ゆえに、アメリカ・ホワイトハウスに起きている火の粉、遠い対岸の火事を見ているような気分にはなれない。ひたすら私は、いっときも早い鎮火と、恐れる付近住民の無事安寧を願っている。こんな世界事情および日本事情がある中で、寝起きの私は、のほほんと自分本位の身勝手なことを心中に浮かべていた。(冬の季節にあっては日々、寒気に怯えていた。春の訪れが待ち遠しかった。だから、とうとうと言うべきか、いよいよと言うべきか)。春三月初日(1日・土曜日)の夜明けが訪れている。朝日なく、春霞なく、風雨はないもののどんよりとした曇り空の夜明けである。春は寒気こそ遠のけるけれど、名前負けしてぐずつく天候不順に見舞われがちである。眺めている曇り空は、その兆しなのかもしれない。心中で秘かに、(冬の季節が良かった)と、嘯(うそぶ)くようでは身も蓋もない。年明け以降は季節に応じて落葉がなく、日課の道路の掃除は免れている。このため、買い物行の無い日の私は、ほぼ終日(ひねもす)、茶の間のソファに背もたれて、日向ぼっこを決め込んでいる。この間のわが動作は、ほぼこんな三つ巴である。一つは、開けっ広げの窓ガラスを通して、山や庭中を眺めている。一つは、傍らに置く駄菓子を貪り続けている。そして一つは、それらの合間に「難読語便覧」(三省堂)に眼(まなこ)を落している。これらのなかで最ものどかな気分になるのは、ツバキの花びらの蜜を吸いに、山から飛んで来る番(つがい)のメジロを見るひとときである。メジロはまるでサーカスの空中ブランコさながらに丸出しの花びらにぶらさがる。そして、揺れてほんのいっとき蜜を吸っては、危なくなったのかすばやく、葉っぱが覆う枝へ飛んで行く。するとこんどは枝葉を頼りにして、近くの花びらの蜜を吸い始める。だからと言って、メジロの危険が去ったわけではなく、追っかけてヒヨドリが荒らしに来る。メジロはヒヨドリに追っぱわれて、すばやく逃げ飛んで行く。きのうから私は、パソコンを起ち上げる前には両耳に、補聴器を嵌めている。この狙いは、ウグイスの甘く初心(うぶ)な鳴き声を聞き止めるためである。ウグイスの初鳴き声が響けば、春本番の訪れにある。きのうに続いて名を知らぬ山鳥が、人の怒鳴り声みたいな響きで、いま頻りに鳴いている。ウグイスは、出番を挫かれているのかもしれない。あるいは、おとといまでにことしの初鳴きは、終えているのかもしれない。だったら、きょうの昼間にはウグイスの鳴き声に出遭えそうである。コジュケイが庭中へ飛んで来れば、妻はパラパラと米をばら撒き始めることとなる。わが家の米は、甥っ子直送のふるさと産米である。だから妻は、高値にびくびくすることなくばら撒ける。自然界の恵みとわが夫婦の行動が相まって、待ち望んでいた春が来たのである。だけど、ウクライナの行き先と、日本の山火事の多さには、気を揉んでいる。 大沢さまは、多芸多能具わるプロの写真家である。目を見張る上掲の写真を見て、私はつくづくそう思う。こんな写真にありつける私は幸福である。 いつもの常套句にすがり、文章を書き始めている。「ひぐらしの記」は、「わが日暮らし日記」と思えば、許されるだろうと、勝手に思っている。2月最終日(28日、金曜日)、現在のデジタル時刻は、5:01と刻まれている。未だ、暗闇の夜明け前にある。寝起きにあって、恐れていた寒気は緩んでいる。カレンダーは、あすから3月の歩みになる。日本列島の大雪地方では、難儀の雪掻きや雪下ろしはようやく過去になりつつある。ところがこんどは、新たに雪崩の恐怖に晒される。できれば田畑を潤す雪解け水の温かさに、大雪のせいで疲労していた身を解(ほぐ)し、併せて心を癒してほしいと、切に願うばかりである。こんな取ってつけたような激励文を書けば、かえって私は、雪国の人たちから恨みつらみを買うかもしれない。それでも私は、書かずにおれないわが心根(人間らしい魂)にある。これまた、いつものように寝起きに心中に浮かべていたことを記すと、きょうは気違いじみたことである。すでに親はいない。異母きょうだいを含めてあんなに(14人)いた兄や姉、そして唯一の弟たちの中で、この世に生きているのはもはや、われひとりである。しかし、多くの兄や姉がいたせいで、ふるさと県・熊本、隣県・福岡、はたまた東京都、埼玉県、なお福島県にいたるまで、私の周りにはたくさんの甥や姪が散らばっている。加えて、わが家族には、妻、娘、孫、つごう3人が存在する。ところがこれらのだれしもは、「ひぐらしの記」の読者にはなり得ていない。このことでは、悲しさ、寂しさ共に、ひとしおつのるものがある。それゆえに反面、私には人様の好意と情けの深さにひれ伏したい思いが充満している。さて、私は日々、拙(つたな)い「六十(歳)の手習い」の文章を書いてきた。これまでの84年の長い人生行路において、文章と言えるものを書いた記憶をよみがえらしている。先ずは、小学校1年生と2年生の頃の「綴り方教室」における作文である。ところがこれ以降、小学校高学年、中学校、高校までは、教科に絡む文章以外は、まったく書かずじまいだった。これらふるさと時代にあっては、手紙さえ書く必要や機会もなかった。大学入試も現在とは異なり、論文など入試科目にはなく、文章は書かずに済んだ。都会(東京、埼玉、神奈川)に住むようになってもふるさとへは、手紙は書かず電話一辺倒にすがった。恋愛体験もなく、恋文(ラブレター)も書いていない。ところが、社会人になるとこんなことでは済まされず、二度だけ必須の書かなければ機会が訪れた。一度は就職試験であり、そして一つは、入社した会社における「幹部登用試験」だった。こんな私は、定年(60歳)を間近にひかえると、定年後の空き時間を見据えて、大慌てでにわかに、文章を書き始めたのである。最初は、ふるさとの長兄への長い文章の「ファックス送信」だった。次には、「日本随筆家協会」(故神尾久義主宰)への入会だった。そしてこののちは、「現代文藝社」(大沢さま主宰)との出会いによる、「ひぐらしの記」の誕生だったのである。「ひぐらしの記」が途轍もなく長く続いてきたのは、大沢さまのご好意はもとより、加えて人様の励ましのおかげだった。きょうから私は、これまでは寝起きには嵌めない補聴器を両耳に嵌めている。そのわが魂胆は、ウグイスの鳴き声を聞くためである。ウグイスの鳴き声はまだ聞こえないけれど、名を知らぬ山鳥が頻りに鳴いている。2月末日、夜明けてのどかに「春」が来ている。ところが私は、「ひぐらしの記」の途切れにびくびくしている。様にならない、長々の駄文のせいである。 「ひぐらしの記」、長いあいだ書いてきましたが、初めて文章を誉められました。有頂天外までも昇るような、うれしい気分です。 たまごさん、ありがとうございます。前田さんをずばり言い当てておられ、理解されている。こんな感想文をいただけば、また書きたくなる思いになります。嘆き文でも読んでくださる方によっては、励みになったり、感動になったり、同感と心に刻まれたりする。人間って千差万別だなとあらためて「ひぐらしの記」の存在が貴重であることを思い知らされました。 前田様の今回の短いエッセイは、人生の終末期を迎えた人間がどんな心境に至り、またどのような暮らしを営んでいくのかについて具体的に描かれており、老後を迎えた人のリアルが描かれているエッセイとして、とても秀逸だと思いました。 2月27日(木曜日)。壁時計の針は、このあたりを回っている(5:46)。寒気はきのうほどには緩んでいないけれど、それでも春の先取りと思える寒の緩みにある。寝起きの私は、心中にこんなことを携えている。わが生存行動、すなわち働きのあるわが日暮らしは、買い物にほぼ一極集中している。あとは働きの範疇に入らない、命の鼓動を保つだけの惰性の生活にすぎない。命の鼓動を支える両輪は、医療と食品である。おのずからわが家におけるお金の費消(生活費)には、この両翼がダントツに首位争いを演じている。もはや、わが夫婦の教養を高めたり、旅行はもちろんのこと娯楽を愉しむことなど、隙間風ほどもない。妻を連れ出す「昼カラオケ」など、歌を忘れたカナリヤ同然である。私は、図書館通いさえしない。新聞購読は長いあいだ断っていたけれど、勧誘員の脅しや騙しに嵌り、しかたなく再講読をしている。しかし、契約期間切れには、再び止める決意を固めている。結局、わが家の日暮らしは医療費を除けば、食品に縋る食生活一辺倒を余儀なくし、エンゲル係数だけが上昇を極めている。すると、おのずからそれを叶えるお金は枯渇し、こちらには日々心細さが増し続けている。挙句、現在は、この先の「命のどれくらいかの在る無しに」怯え悩まされている。こんな状態にあっては長生きなど欲張らず、すぐにでも「命の一巻の終わり」を望む心境にさえある。遊び心や余興(よきょう)とも思えないことを書いたのは、終末人生を生きる私につきまとう悲しさであろうか。いや、多大の医療費や食費を費やしてまでも、命を粗末にはできない人間固有の悲しさであろう。長生き、すなわち命の存否(要不要)のわが決断は、この先へ向けて鈍るばかりである。こんな実の無い文章を継続文の足しにしている私は、みずから愚か者と情けなさのダブルパンチをこうむっている。薄っすらと、風雨の無い夜明けが訪れている(6:25)。 2月26日(水曜日)。まだ夜明け前だけれど、日を追って夜明けは早くなっている(5;06)。2月はきょうを含めて、まだ3日を残している。ところが、気象予報士の予報によればきょうあたりから、気温の高い春の陽射し(陽気)が訪れると言う。寝起きにあっては確かに、寒気は遠のいていて身体の震えは無く、私はのんびりと机上に頬杖をついている。自然界と気象は人間界に、早やてまわしに春を恵んでいる。だったら、すんなりと悦ぶべきではあるけれど、年齢を重ねて84歳を生きる私は、季節のめぐりに戸惑いをおぼえている。もちろんそれは、季節のめぐりに先立つかのように、縮みゆくわが命に狼狽(うろた)えているからである。狼狽えても焦ってもどうなることでもないことに身を窶(やつ)すのは、愚の骨頂の極みである。だけど、それを防ぎきれなのは、わが生来のマイナス思考と共に小器の証しである。待ち望んでいた「春」が来たのに、こんな文章しか書けない私は、とことん哀れである。この先、本格的に訪れる春は、私を苛立たせ、弄(もてあそ)ぶのであろうか。去りゆく、冬を惜しむようでは様にならない。きょうは、ここで書き止めである。薄く夜明けが訪れている。長く身に纏っていた冬防寒重装備は、きょうで役割を終えそうである。
蒙古タンメン中本、カップラーメン
私は、その味に魅了され、店にも何度も通いましたが、身近に手に入れられるカップラーメンをよく食しています。
今朝も、軽く腹を満たすために、一杯食しました。
豆腐と、キャベツ、人参、キクラゲという彩りのある野菜が盛られたラーメンは、野菜の味が滲み出してきて、とてもいい味わいです。
スープは、香辛料が効いていてとても辛く、食べていると、顔中に汗が噴き出してきます。
同時にこれも野菜の味なのか、旨味も感じます。(おそらく、それだけではなく、原材料名を見ると、様々なものが入っているので、その味もあるでしょう)
辛さと野菜たっぷりのタンメンという組み合わせがとても良いと思いました。
クセになる一品です。テレビ映像がしでかした「おさらば」
3月初日、「春が来た」
掲示板、上掲の見事な写真
2月末日、迷い文
たまごさまへ、感謝と御礼
目の覚めるような応援批評
終末期のリアル
前田様は、よくご自分のことをなさけないとおっしゃいますが、これは、執筆のお好きな前田様にしか書けない文章かと思います。
長々と偉そうなことを書いてしまい、失礼いたしました。
これからも応援しております。終末人生における、「わが生き様」
切なく、「春」が訪れている
掲示板
