実は、コロナに感染してしまい7/21〜7/31まで自宅療養していました。 まだ届いていませんが『流星群だより第42号』の到着を楽しみにしています♪♪ 流星群第42号(九月一日発行)を発行しました。 八月十日(水曜日)。世の中にはコロナが蔓延し、私には自虐精神が蔓延し、共に勝てず、生活に疲れています。生活とは、文字どおり生きるための活動、すなわち日暮らしです。それゆえ、生活と日暮らしは同義語と言えます。生活ができなければ人間は、それっきりでおしまいです。私の場合、日暮らしの一端を成す文章書きは、たちまち頓挫の憂き目をみます。「ひぐらしの記」、すなわち、わが「生活日記」は、おのずから幕が下りそうです。 八月九日(火曜日)。きのうに続いて連日、妻を引率の通院が予定されている。きょうの通院は、半年前の予約表にしたがって、「大船中央病院」(鎌倉市)への早出となる。きのうの通院は、住宅地内の最寄りのS医院であり、気分的には落ち着いていた。ところがきょうは、気分落ち着かず、逸っている。もちろんそれは、きのうに比べて大ごとだからである。きょうの通院目的は、妻の骨折・救急車・手術・入院・そして退院後の経過観察日のためである。なお具体的には骨量検査と、それを基にして主治医による診察と診断が予定されている。経過良好の診立てにありつきたいものである。妻はもとより、引率者のたっての願いである。この日が済めば今月末には、私はすでに済んでいるけれど、妻の四度目のコロナワクチン接種への引率がある。わが身だけの生活では済まされない、妻共々の老夫婦の日常生活のありようである。夫婦生活とは、共に安寧でなければ成り立たない。これは「言うは易く行うは難し」であり、文字どおりきわめて難事である。学び舎の運動会の競技の一つには、「二人三脚」があった。この競技には、必ず転ぶ組がある。それゆえ二人三脚は、面白い競技として、どこかしこの運動会の定番競技として定着している。しかしながら、晩年の老夫婦の二人三脚は、絶えず転んでばかりで、ちっとも面白くない。こんな身も蓋もないことを書いて、尻切れトンボのまま間に結文とする。弁解の理由は、妻を手伝って通院準備に取り掛かる、時間の訪れにある。夜明けの空は夏空であり、おそらく時間を追って猛暑日(気温三十五度以上)へ向かうだろう。ところが、きょうにかぎれば暑さは、まったく気にならない。とことん気になるのは、妻の検査結果とそれによる主治医の診立てである。私がこけたら、妻の引率はあてにできない。今や老夫婦の日常生活は片肺飛行、すなわち相身互い身寄り添って、慰め合うしか生存の手立てはない。こんな文章では、表題のつけようはない。心、せかせかと逸っている。 語尾に「難民」を付ければ、実際に難民として苦しむ人たちにたいして無礼千万である。だからこの場合は、その言葉を控えたい。すると、これに代わる適当な言葉探しを始めている。ふと浮かんでいるもので、最も厳しいものには不可能がある。やや緩いものでは、不便あるいはままならないという、言葉が浮かんでいる。このため、語尾に不便を当ててみる。加齢にあって総じて困るのは、日常生活における家事不便である。一つ一つの事柄では、買い物不便、通院不便、草取り不便、そして日課とする分別ごみ出し不便、さらには道路の掃除不便などがある。これらに加えて現在は、新型コロナウイルスへの感染を恐れて、外出行動を控えている。すなわち、外出不便である。やはり、難民に比べて、不便ではしっくりこないところがある。だとしたら、もっと適当な言葉探しをしなければならない。すると、これに尽きる。すなわち、年をとって、すべてのことがままならくなっている。加齢とは人間に付き纏う、「悪の権化(ごんげ)」と、言えそうである。もちろん、私にはそれを跳ね返す気力や便法もなく、甘んじて泣き寝入りの状態である。人生の終末期になって私は、都会の僻地にしか、終(つい)の棲家(すみか)を買い求めざるを得なかった、わが甲斐性無しの祟(たた)りに遭遇している。確かに、いまさら嘆いてもどうなることでもない。それでも嘆かざるを得ないのは、日に日に現れるわが甲斐性無しのせいである。きょうの私には、妻の通院行動にたいする引率および介助の役割がある。行き先は、最寄りすなわち住宅地内にあるS医院である。年老いたわが足でも歩いて、片道十五分程度である。ところが、リハビリ中の妻の足取りでは、これがままならないのである。通院不便、加齢のせいにはできない、わが甲斐性無しの証しである。心地良い夏の夜明けにあって私は、気分の滅入りをこうむっている。命、終末期の人生行路は、悉(ことごと)く不便、すなわちままならい暗夜行路である。 八月七日(日曜日)、夜明けの空は、朝日の見えない曇り空である。このところは、こんな夏の夜明けが続いている。この二日は昼間でも、真夏とは思えない寒気を感じていた。この先は、真夏や盛夏という言葉に逆らい、「生煮えの夏」になるのであろうか。もちろん、季節狂いは歓迎できない。しかし、いくらか望むところはある。道路を掃いていると、日増しに落ち葉が増えている。真夏にあっては炎天下、たぶん木の葉も生きづらいのであろう。木の葉は日照りに耐えきれずに枯れて、落ち葉と名を変えて、掃いている路上に野垂れ死にしている。憐憫の情が擡(もた)げてくる。いくつかを指先で拾ってみる。すると、枯葉とは言えないほどに瑞々しい生葉(なまは)もある。また、色のすがれた病葉(わくらば)もある。若死に病死、「まだ、生きたい!」と叫ぶも、叶わぬ人間模様の写し絵さながらである。だとしたら「鬼の目にも涙あり」、一瞬、私は掃く手を緩めたくなる。毎年八月、わが気分は重たい月である。それは今年で言えば七十七年前(昭和二十年・一九四五年)の日本の国における出来事、すなわち「広島、原爆の日」(六日)、「長崎、原爆の日」(九日)、そして「日本国、終戦(敗戦)の日」(十五日)が想起されてくるゆえんである。わが異母兄の一人は、フィリピン・レイテ島沖の戦場で命を絶った。わが次姉は、主治医に「戦争さえなければ、死ぬことはなかった」と、病床周りの家族に告げられて、薬剤が手に入らずに、若い命(十八歳)を盲腸炎で断った。これらに加えて、昨年の八月二十二日には、ふるさとの長兄がこの世から姿を消した。その妻(義姉)は、それより前の八月一日に亡くなった。私は甦る日本の国の出来事と、このところのわが身にまつわるつらい出来事を重ねて、きょうの文章を閉じることとする。私は為政者の定型の挨拶言葉、すなわち「哀悼の誠を捧げる」は白々しく、聞き飽きている。実際には言葉にできないほど、つらく悲しい出来事である。再び言う。私にとっての八月は、気分の重たい月である。そうであればわが命も兄姉に重ねて、できれば八月に尽きたい。なおできれば、枯れた木の葉にように、チラチラと静かに舞って…、野垂れ死にしたい。 前田さん、昨日は御返事の御投稿、どうもありがとうございました。 ぼくも前田さんと同じく、悲惨な状況は、そののちの学びで知りました。 令和4年(2022年)8月6日(土曜日)。77年前のこの日、この時間、(昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分、広島市において、原爆が投下された。風化してはならず、忘れてはいけない、悲しい記憶である。この時の私は、生誕地・熊本県の片田舎において、5歳と1っか月だった。それゆえに私は、原爆投下の悲惨な状況は、まったく知るよしない。だから、悲惨な状況はそののちの学びで知るだけである。きょうは、いつもの文章は休みを決め込んでいる。しかし、表題を記して、学んだ記憶を新たにしている。これくらいは、生きている者の哀しい務めだからである。 早速の「大、大、大、エール」を賜り、御礼申し上げます。♪前田さん、大丈夫です↑↑
幸いにも呼吸器には異常が無く、発熱(最大38.5℃です。でも熱を測るのもつらかったので、39℃超えもあったかもしれません。)・猛烈な全身倦怠感・キーンという耳鳴りを伴なう大頭痛・下痢を伴なう腹痛・吐き気・味覚の違和感が症状でした。自宅療養期間中は、まともに食事ができませんでした、療養解放後の体力の低下はさけられず、すでに仕事には復帰していますが、暑さにはことのほか弱い人なので、夜勤の帰りは、歩くのがかなりたいへんな状況で、こんなにも体力が落ちていることにがくぜんとしている毎日です。しかし、それはそれとしてすなおにうけとめて、仕事にがんばっています?!
規則正しい生活は、健康には一番良い事ですが、文章を書いてゆく場合には、時として打ち破らなければならない状況もあるかと思います。前田さんは、奥様の介助がありますので、規則正しい生活は必要ですが、生活の一部でどこかで、規則正しさを変えてみるのもよろしいかと思います。要するに物事の見方を変えてみるという事で、これによって今まで見えてこなかった部分が見えてくる可能性があります。(=複眼的思考法)。
ワンパターンの生活から脱却して、前田さん自身を活性化し、文章執筆をパワーアップ↑↑させる方法です。
ぼくの場合はマンネリ化しないようにいつもいろいろ考えていて、頭の中で考えてから行動に移すと遅くなる場合もありますので行動しながら考えるようにしています。
前田さんには自虐精神から脱却して自己賞賛も必要だと思います!!
ぜひぜひ『ひぐらしの記』を書き続けていただきたてと思っております↑↑
きょうも前田さんへ大大大エネルギー☆大大大パワーを贈ります。
(^o^)/(^o^)/(^o^)/(^o^)/(^o^)/(^o^)/(^o^)/♪大沢先生へメッセージです!!
現代文藝社編集部だより
ご意見、ご感想、近況報告などお寄せ下さい。迷妄
相身互い身、慰め合って連日の通院
すべてにままならない、人生の終末期
八月は気分の重たい月
前田さんへ「広島、原爆の日」の感想です
当時の新聞の画像を見てみますと、原子爆弾ではなく、「新型爆弾」と記載された見出しがありました。
それから、旧アメリカ軍は、原爆投下前に原爆に似た形の爆弾(原爆よりはるかに威力の弱い爆弾だったようです)を投下して、原爆製造のための実験をしていたようですね。「広島、原爆の日」
高橋弘樹様へ、感謝!
雷に肝を潰しました。
停電になれば、パソコントラブルに見舞われてお手上げです。
停電は逃れました。ほんとに、よかったです。