坂本弘司撮影 高橋さんは本当に心優しい方なんですね。物言わぬ植木の思いをちゃんと察して、お仕事が大変でも世話をなさる。野菜や植木の世話をする私でも、そこまでは気が回りません。きっとクチナシは高橋さんの思いやりに応えてくれることでしょうね。 わが家が日頃からかかりつけにしていた内田医院は、父親の老医師から二代目の長男・青年医師に代替わりをはじめていた。二代目の内田医師は、色白の眉目秀麗でお顔がふっくらとして、見るからに人格高潔で寡黙な医師だった。九州大学医学部を卒業し、インターンを終えて、父親が開いている「内田医院」へ、Uターンされたばかりだった。二代目内田医師は、一日に何度も往診に来てくださった。母の診察を終えて医院へ帰り着かれたばかりなのにまた、看護団のだれかが往診依頼へ駆けつけていた。母の病床で見守りを続けているだれかが、母の容態の変化に居たたまれず、内田医院まで20分ほどの道のりを全速力で駆けていたのである。こんな繰り返しが続いていた。母はなお、高熱に魘され、そのたびに幻覚症状が現れて、「ほら、壁に、いっぱい虫が這ってるよ」などと、意味不明の譫言(うわごと)をひとしきり唸り続けた。それが止むとこんどは、疲れ果てたのか? 死人のように眠り続けた。母の病床のかたわらで見守る者にとっては、どちらも不安だらけだった。父は内田医師の往診のたびに戸口元で爪先立って、一秒でも速く内田医師の到着を待ちわびた。内田医師が到着されるたびに父は、「助けてやってください。お金はどんなにかかってもええから、助けてやってください」と、内田医師に取りすがり歎願し続けた。現在、敏弘のことを書いたときのように私の目から、涙がぽたぽたと落ちている。内田医師の懸命の診立てにもかかわらず、母の病名は不明のままに日が過ぎてゆく。見守る者の多くは、人知れず匙を投げかけていた。表情をひた隠し、すでに絶望している者もいた。父とて、とうに諦めかけて、一縷の望みにすがっていたはずだ。しかし、自分が諦めないことが母への愛情と思い父は、耐えて内田医師にすがり続けていたのだ。父は病の母に重ねて、先妻を亡くし後添えに母を迎えて、子沢山に恵まれた人生を浮かべているのかもしれない。異母が産んだ子どもたち、母が産んだ子どもたち、共に母の支えがあってこそ、みんな仲良く輪になって、この世に存在することができたのである。「絶対に死なせてはならぬ。助けなければならぬ」。父の並々ならぬ決意には、数奇な人生を母と二人で乗り越えてきた思いがあったのであろう。不断の父には、後継の妻そして年齢差19の母への罪償いもあったのであろうか。なぜなら、亡くなった異母が遺した長男(私の異母長兄・護)には、母の妹のイツエを妻として迎えている。いや、罪償いは、父の母への最大かつ最良の配慮でもあったのであろう。日常生活における父の母へのいたわりで、私が見たエピソードにはこんなものがある。鶏をさばいていたときなど、わずかばかりとれた珍味の笹身に、父はみずから醤油をかけて、「ニワトリは笹身が一番うまいところだから、食べてみてよ。早く食べないと、だれかに食われるぞ!」と言って、箸先に摘まんでは真っ先に母の口に入れた。こんな思い出の数々が、看病する父の脳裏によぎっているのか、父は眠る母の唇を武骨な指先がそっと撫でた。「父ちゃん。なんとしても、母ちゃんを助けてあげようね」「ああ、大丈夫だ。母ちゃんはきっと助かる。助けてやらねばならぬのだ!」。父は、自分自身に言い聞かせでもするかのように強く言った。固い結束の看護団も日に日に疲弊した。方々の農家では、猫の手も借りたいほどに多忙な麦の穫り入れに併せて、一年じゅうでそれを超えてもっとも多忙な田植えの準備がはじまっていた。一日に何度も重なる内田医師の往診と、熱意ほとばしる施療だけが、並み居る看護団の頼りであった。病臥の母の寝息は、いつまでもつであろうか。 規定では、画像は5枚までだそうですが、知らずに7枚投稿したところ、なぜか7枚はUPされましたが(驚き)、そのかわり、本文が一部欠落してしまいました(笑)。 1枚目〜3枚目は、クチナシの葉が黄色く変色した状況画像 最近、仕事が忙しくて、まとまった時間が取れず、枯れたりしないだろうか、と毎日ヒヤヒヤ状態でした(冷汗)。 《クチナシ&江戸錦(椿)の鉢植え替え》 前田さん、即行の御返事御投稿どうもありがとうございます*(^o^)/*\(^o^)/ 「ひぐらしの記」の誕生日を覚えていただいており、感謝申し上げます。加えて、大大大エールをたまわり、お礼申し上げます。 前田さん、☆『ひぐらしの記』連載16周年☆本当におめでとうございます☆ 今回の『望月窯だより』は、小説風の随想でしたので、停電時の状況が具体的に伝わってきました。 真夜中の停電騒ぎ 本当に人間らしいふうたろうさんは、子供の頃からそうだったのですね。他人の痛みや哀しみをさりげなく、そして深く理解してくださるふうたろうさんに憧れてしまいます。
思いやり
今回(二十日目)の前田さんの自分史は、お父さんの看病の様子が胸に迫ってきます。作品を書きながら当時を思い出し涙する作者の思いも胸に迫ってきて、一緒に泣きたくなってしまいました。読者の記憶をも呼び覚ましてくれる感動の一文でした。連載『自分史・私』、20日目
本文の追加です!!
4枚目は、植え替え後のクチナシで、黄色い葉は剪定済みの画像
5枚目は、江戸錦の落ち葉した状態画像
6枚目は、植え替え後の江戸錦です。
7枚目は、各種土と植木鉢ですが、これを1枚目に持って行きたかったのですが、間違えてしまい、申し訳ございませんでした
漸く植え替えができました(^^)(^^)
ですが、これでNGならば、万事休すです!!♪HIROKIのタレント日記!!
クチナシの蕾と葉が落下したり、葉が黄色に変色したり、江戸錦(椿)の葉が落下するような状況になったため、鉢の植え替えをする事にしました。
健康的な蕾や葉が落下したり、変色するという事は、根詰まりか根腐れを起こしている可能性が高い、という事になるそうです。
鉢は、画像7枚目の通り、それぞれ元鉢より1回り大きいサイズ(クチナシ⇒6号鉢・鉢の直径約18cm、江戸錦⇒5号鉢・鉢の直径約15cm)を用意して、今回の用土(花用の培養土なら簡単です・笑)は、園芸学的に(大笑)、クチナシ⇒赤玉土7:腐葉土3の割合で混ぜた土を、江戸錦⇒赤玉土1:鹿沼土1:腐葉土1の配合土を作って植え替えました。
元鉢から出した時、やはり根が集まり過ぎていて、塊のようになっていました。
できる限り、元土を振り落として、鉢の底には、根腐れ防止のため、それぞれ鉢底石を敷いて、その上にある程度、配合土を被せてから、しっかりと植え替えました。☆前田さんへメッセージです!!☆
これからも前田さんの☆”大大大活躍”☆を楽しみにしております♪♪♪髙橋弘樹様へ、感謝!
☆祝!! 前田静良氏『ひぐらしの記』連載16周年!!☆
心よりお祝い申し上げます☆
同日記内連載随想『自分史・私』は、毎日、真摯な気持ちで拝見させていただいております。
今までの前田さんとこれからの前田さんへ”大大大エール”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/大沢先生へ『望月窯だより★真夜中の停電騒ぎ★』の感想です!!
大沢先生は、失明の疑念⇒停電と断水のたいへんな状況下を過ごされました!!
望月窯の地域は、自然が大大大豊富ですから、落雷ではなく、蛇が原因の停電もあるのですね@
復旧してなによりで、本当にお疲れさまでございました。望月窯だより
六月十二日から十四日の予定で古河の実家を訪れた。雨模様のぐずついた天気だったけれど、十三日火曜日はどうにか晴れ間が覗いたのでいつもの通り畑仕事や草取り、樹木の剪定などと忙しく立ち働いた。
真夜中の二時頃ベッドの上で眼を開けると寝室は真っ暗で何も見えない。私の脳裏に突如失明したのかと衝撃が走った。
寝室は、真夜中に目覚めたとき暗闇では危険なので、隣室へと続く廊下廊下の足元灯の明かりが届くようにとドアを開け放している。だから寝室は薄暗くなっている。
ところがこの時は眼を見開いても暗闇の中だった。視線を動かすと蛍光灯の紐の先についているグッズの光が眼に入った。
「ああ、よかった。失明したのではなかった」
私はホッとしたのもつかの間、寝室がなぜ真っ暗なのか一瞬理解できなかった。
「電気が切れたのかしら」
私の頭の中はまだ目覚めのスイッチが入っておらず鈍いままだった。
ゆっくりと起き上がって、暗闇を眺め回しながらやっと頭が回転しだした。
「えっ、停電? どうして?」
今度はなぜ停電しているのかわからない。梅雨に入って、各地で雷注意報が出ていることが頭を過ぎった。
「まさか、停電が起きるほどの雷が鳴っているのに目が覚めなかったってこと?」
そう思うと眠るというのはそこまで意識が無くなることなのかと恐ろしくなった。
とにかく起きて、部屋中の点検をしなければならない。
その前に真っ暗闇の中で懐中電灯を見つけ出さなくてはならない。傍らの妹に声をかけて停電をしていることを知らせた。妹はすぐにスマホのスイッチを入れた。どうやら電源を確保できて歩く道筋は照らされた。隣の部屋に置いてある人感センサーライトを持って階下に降りた。
ブレーカーを見たが落ちていなかった。家の外の様子を見たが、周囲は民家がないため明かりは見えない。遠くにちらほらと光が見えるが、外は雨が降った様子はなかった。
妹がスマホでしきりに停電情報を調べている。特に近くで停電している情報は無いという。
「東京電力に電話して聞くしかない」ということで、電気料金の通知書に書かれている「停電・設備に関すること」となっている電話番号に携帯から電話をかけた。
電話音声で「緊急」の番号を押すとすぐに繋がった。現在、実家の地域に停電はないという。「それじゃあ、どうしたらいいですか」と聞くと、「調査に向かいますが、立ち会ってもらえますか」と言う。「今すぐ来て頂けるのですか。もちろん立ち会います」と応えると、「一時間から一時間半ぐらいかかります。その場合、もし、お宅の方に原因があったら、一万三千円かかりますが、よろしいですか」と言われ承知した。
しばらくして私の携帯に故障・設備担当だという若い男性の声で電話がかかった。
「そちらの地域で電線が切れていてこれから修理に向かいます」
とのことだった。
私はまだパニクっていて、どれぐらいかかるのか聞くことも忘れて電話を切ってしまった。時計は二時半過ぎだった。それから待つこと一時間近く経ったが、何の音沙汰もなかった。
私は携帯に入っている先ほどの男性の番号に電話を入れた。
「今、着手したところです。もう暫く待ってください」と、忙しげに応答された。
「井戸のモーターが止まっていて、真っ暗な中で水も出ません。不安なのですが、どれぐらい待てば良いのですか」
と、思わずどうにもならない不安をぶつけてしまった。
「そうですよね、もう暫く待ってください。いま、作業しているところです」
と申し訳なさそうに、しかし、電話の応対をする暇も無いというよう様子が伝わってくる。私は電話を切ってから、自分の身勝手な態度を思い起こし恥ずかしくなった。
それから、今のソファーでうとうとしていて外の物音に気がつき、玄関を開けて出てみると、自宅の私道に入る砂利道の細い公道に作業車が止まっていて、大声を出して点検をしていた。私は近づいて行くと、「もうすぐ通電しますから、ご迷惑をおかけしています」と若い男性の方がこちらに向かって歩いてこられた。
「ここからだいぶ戻ったところで蛇が電線に絡まって感電していて、断線したのですよ。見つけるのに時間がかかりました」
と、説明を受けた。
「連絡してくれた方ですか」
と、改めて聞かれて、私は、
「慌てていたものですから、騒がせてしまってすみません」と詫びると、
「連絡いただいて助かりました。連絡が今ごろになっていたら、もっと時間がかかって大変でした」
と帽子を取って頭を下げられて、私は恐縮してしまった。
今回の真夜中の突然の停電騒ぎで私は、このところの災害のことを色々と考えさせられた。
「真夜中に、真っ暗闇の中で作業をしなければならない工事の人も大変だね」
妹もしみじみと有り難みを感じているようだった。素敵な悪ガキ
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