望月窯だより

真夜中の停電騒ぎ
 六月十二日から十四日の予定で古河の実家を訪れた。雨模様のぐずついた天気だったけれど、十三日火曜日はどうにか晴れ間が覗いたのでいつもの通り畑仕事や草取り、樹木の剪定などと忙しく立ち働いた。
真夜中の二時頃ベッドの上で眼を開けると寝室は真っ暗で何も見えない。私の脳裏に突如失明したのかと衝撃が走った。
 寝室は、真夜中に目覚めたとき暗闇では危険なので、隣室へと続く廊下廊下の足元灯の明かりが届くようにとドアを開け放している。だから寝室は薄暗くなっている。
ところがこの時は眼を見開いても暗闇の中だった。視線を動かすと蛍光灯の紐の先についているグッズの光が眼に入った。
「ああ、よかった。失明したのではなかった」
 私はホッとしたのもつかの間、寝室がなぜ真っ暗なのか一瞬理解できなかった。
「電気が切れたのかしら」
 私の頭の中はまだ目覚めのスイッチが入っておらず鈍いままだった。
ゆっくりと起き上がって、暗闇を眺め回しながらやっと頭が回転しだした。
「えっ、停電? どうして?」
 今度はなぜ停電しているのかわからない。梅雨に入って、各地で雷注意報が出ていることが頭を過ぎった。
「まさか、停電が起きるほどの雷が鳴っているのに目が覚めなかったってこと?」
 そう思うと眠るというのはそこまで意識が無くなることなのかと恐ろしくなった。
 とにかく起きて、部屋中の点検をしなければならない。
 その前に真っ暗闇の中で懐中電灯を見つけ出さなくてはならない。傍らの妹に声をかけて停電をしていることを知らせた。妹はすぐにスマホのスイッチを入れた。どうやら電源を確保できて歩く道筋は照らされた。隣の部屋に置いてある人感センサーライトを持って階下に降りた。
 ブレーカーを見たが落ちていなかった。家の外の様子を見たが、周囲は民家がないため明かりは見えない。遠くにちらほらと光が見えるが、外は雨が降った様子はなかった。
 妹がスマホでしきりに停電情報を調べている。特に近くで停電している情報は無いという。
「東京電力に電話して聞くしかない」ということで、電気料金の通知書に書かれている「停電・設備に関すること」となっている電話番号に携帯から電話をかけた。
電話音声で「緊急」の番号を押すとすぐに繋がった。現在、実家の地域に停電はないという。「それじゃあ、どうしたらいいですか」と聞くと、「調査に向かいますが、立ち会ってもらえますか」と言う。「今すぐ来て頂けるのですか。もちろん立ち会います」と応えると、「一時間から一時間半ぐらいかかります。その場合、もし、お宅の方に原因があったら、一万三千円かかりますが、よろしいですか」と言われ承知した。
しばらくして私の携帯に故障・設備担当だという若い男性の声で電話がかかった。
「そちらの地域で電線が切れていてこれから修理に向かいます」
とのことだった。
私はまだパニクっていて、どれぐらいかかるのか聞くことも忘れて電話を切ってしまった。時計は二時半過ぎだった。それから待つこと一時間近く経ったが、何の音沙汰もなかった。
 私は携帯に入っている先ほどの男性の番号に電話を入れた。
「今、着手したところです。もう暫く待ってください」と、忙しげに応答された。
「井戸のモーターが止まっていて、真っ暗な中で水も出ません。不安なのですが、どれぐらい待てば良いのですか」
 と、思わずどうにもならない不安をぶつけてしまった。
「そうですよね、もう暫く待ってください。いま、作業しているところです」
 と申し訳なさそうに、しかし、電話の応対をする暇も無いというよう様子が伝わってくる。私は電話を切ってから、自分の身勝手な態度を思い起こし恥ずかしくなった。
 それから、今のソファーでうとうとしていて外の物音に気がつき、玄関を開けて出てみると、自宅の私道に入る砂利道の細い公道に作業車が止まっていて、大声を出して点検をしていた。私は近づいて行くと、「もうすぐ通電しますから、ご迷惑をおかけしています」と若い男性の方がこちらに向かって歩いてこられた。
「ここからだいぶ戻ったところで蛇が電線に絡まって感電していて、断線したのですよ。見つけるのに時間がかかりました」
と、説明を受けた。
「連絡してくれた方ですか」
 と、改めて聞かれて、私は、
「慌てていたものですから、騒がせてしまってすみません」と詫びると、
「連絡いただいて助かりました。連絡が今ごろになっていたら、もっと時間がかかって大変でした」
 と帽子を取って頭を下げられて、私は恐縮してしまった。
 今回の真夜中の突然の停電騒ぎで私は、このところの災害のことを色々と考えさせられた。
「真夜中に、真っ暗闇の中で作業をしなければならない工事の人も大変だね」
 妹もしみじみと有り難みを感じているようだった。