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ワクチン接種後の症状

 八月二十七日(土)は四回目のワクチン接種の日だった。朝から気がかりなことがあった。この日は朝から日差しが強く、徒歩で三十分以上かかる旧保健センターまでタクシーで行こうか歩いて行こうか思案していた。それによって出発時間が違うからだ。早くから出かける準備は完了していたにもかかわらず、ようやくタクシーで行くことにしてタクシー会社に電話を入れると出払っていると断られてしまった。心配していたことが現実になった。仕方なく、駅まで歩いて行くことにした。接種時間が迫っていた。熱い日差しが照りつける中、熱中症の心配まで脳裏を過ぎる。
 駅に着いたが、乗り場にタクシーの姿はない。あんなに早くから出かける準備をしていたのに、指定されていた午後一時四十五分~二時十五分までにぎりぎりだった。
 どうにか二時五分に到着した。汗が止めどなく流れ落ちた。受付の女性に封筒を渡すと、「二時だったんですね」と念を押された。私はその言葉の意味がつかめず、「急いで来たんですよ。タクシーが捕まらなくて」と返答をした。女性はその後指定の位置に案内してくれた。私は気になって、返された文書に目を通すと、唖然とした。指定の時間は一時四十五分から二時までとなっていたのだ。何度も確かめたはずの時間だったのに、どこですり込まれたのか勘違いしてしまっていた。
 とんだハプニングの後に、無事に接種を済ませ、妹に終了のメールをした。私を気遣って泊まりに来てくれるという妹と駅で待ち合わせしていたからだ。
 接種後の二十八日の朝三時三十三分に気分が悪くて目が覚めた。熱が三十七度六分あり、前もって主治医に出してもらっていた頓服のカロナール錠200㎎を一錠飲んだ。体中が痛く、頭が重く痛みまで加わって眠れない。朝まで寝返りを打ってしのいだ。薬はどうやら効いたようだが、起き出してみると節々が痛く、何もする気になれない。熱は三十六度六分~三十六度三分にまで下がったが、筋肉痛がひどくて頭痛がするのでカロナールをまた一錠飲んだ。熱は三十六度七分になった。体中の痛みが激しく夕方五時にカロナールをまた一錠飲んだ。
 夜七時頃、気分が悪く、もう起きていられないのでベッドに横になった。熱が八度一分になっていた。その後は何度か目を覚まして熱を計ったが、三十七度から下がらなかった。
 二十九日(月)になって、起床時に熱が三十六度六分に下がった。その後は熱は出なかった。体の痛みも注射を打った左肩の関節の痛み以外は嘘のようになくなった。倦怠感もなくなって正常になった。
 妹が来てくれていなかったら、何と心細い事だったろうと思うと、有り難くて感謝の気持ちでいっぱいだった。

継続だけの文章は、切ない

八月三十日(火曜日)、夏らしくない夏、秋らしくない秋、冬みたいな気分の夜明けを迎えている。すっきりしない季節変わりのせいである。きのうから私は、着衣にあっては軽装の夏スタイルに未練を残し、 防寒の冬スタイルに変えた。実際には、上半身は半袖から厚手の長袖に替えた。下半身は短パンやステテコなど未練なく、布地の下着と長ズボンに替えた。就寝時には、重たい冬布団に潜った。どれもが、突如の防寒対策だった。(なんで、こんなに寒いのだろう……)、わが実感だった。傍らの妻にたいし、わかりきった警告を告げた。「寒いね。風邪をひいたら大損だよ。絶対、風邪ひくなよ!」。同時に、私自身にたいする警(いまし)めの言葉でもあった。私はいまだに治りきらない二度目の夏風邪に手を焼いている。それゆえに、かなり後ろめたい気分の警告ではあった。いや、それだけに身に沁みた警告でもあった。確かな、異常気象の秋の訪れにある。わが実感は、メディアニュースにも現れていた。それはぐずつく天候のせいで、体調を崩す人が多いというものだった。夏は夏らしく、秋は秋らしく、冬は冬らしく、そして春は春らしい、まっとうな季節変わり望むところである。春・夏・秋・冬、すなわち四季を分ける日本の国特有の季節変わりが崩れたら、災害列島の汚名を雪(すす)ぐ特長を失くすこととなる。そうなればきわめて残念無念である。今朝は、寒さに加えて雨模様の夜明けである。きのうの夜明けにあって私は、昼間の胸の透く秋空を願った。ところが、この願いは空念仏に終わった。雨模様の大空を眺めながら、私はきょうも再び、懲りずに願うところである。このところのわが文章は、実のないものばかりである。そのうえ、ミスも目立っている。異常気象は、わが精神状態に異状をもたらしている。いや、異常気象のせいにはできない、わが脳髄の不出来のせいである。それゆえ、きょうもまた、書かずもがなの文章を書いてしまった。過ぎ行く八月は、とことん恨めしい月である。急に大空が明るくなり、朝日が射し始めている。わが憂鬱気分直しは、やはり自然界にすがるしか便法はない。

「冠の秋」が来た

八月二十九日(月曜日)、夜明けの空は朝日の光を強めている。天気予報は見ていないけれど、昼間には胸の透く天高い秋空になるだろう。きのうは、曇天と言うより雨空だった。このところは暑気が去って、早やてまわしの秋モードにある。もはや夏風邪とは言えないが、名残の夏風邪はいまだに治りきらず、鼻先ムズムズの不快感が尾を引いている。いつものことだけれど、「後悔、先に立たず」と「後の祭り」という、同意義の成句を抱き合わせて、浮かべるなさけなさである。風邪の兆しが現れたら市販の風邪薬には頼らず、掛かり医者の処方箋をたずさえて、行きつけの調剤薬局に行くべきだった。確かに、市販の薬は、効果覿面(てきめん)とはいかないところがある。反面、市販の薬には容易に買えて、買い置きもできる便利さがある。それゆえに、面倒くさがり屋の私は、ついつい市販の薬にすがっている。挙句、私は小さな夏風邪さえ長引かせる愚か者である。優柔不断すなわち決断力の不足は、わが生来の性癖(悪癖)の一つである。再び書くけれど、このところは秋風とともに、急に風の冷たさが身に沁みている。このためまずは、就寝にあっては掛布団が必需品になっている。さらに、肌身には重ね着が必要になってくる。おのずから夏の醍醐味は、遠のいて薄らぐばかりである。一方で、残暑の暑気の厳しさは知りすぎている。だとしたら欲張って、肌身に優しい季節変わりを願っている。さらに欲張って、台風の来ないさまざまな「冠の秋」の訪れを願っている。欲張りの私には、まだ欲張るものがある。それは、夏風邪の退散である。満天、日本晴れに変わっている。あれ! 鼻先のムズムズ感がとれている。「冠の秋」が来た。

人間

八月二十八日(日曜日)、東京都下(国分寺市内在住)の次兄(92歳)伺いのため、朝駆けいたします。このため、文章はこれだけです。きのうの夕方は、妻の四回目のワクチン接種の引率同行でした。幸い妻は、痛みのない夜明けを迎えています。効果はわからず気休め程度です。接種会場は混雑しており、人みな生き続けるために必死です。それらを優しく支えてくださっていたのは、数多いスタッフです。人間のすばらしさを垣間見られて、私にはうれしいひとときでした。確かに、個々の人間はすばらしいです。ところが、党を組むとなさけなくなります。改めてこんなことを知り得て、私にはとても時間でした。

ぼくは、妻の引率

驚きました。今日は妻の四回目のモデルナワクチン接種のための引率です。こちらは夕方です。共に、無事を祈ります。

四回目のワクチン接種の日

 本日は四回目のワクチン接種の日である。午後一時四十五分から受付という通知を受け取っている。モデルナの副反応の心配と四回目接種ということで末の妹が用心して泊まりに来てくれるという。近くに居住しているとはいえ、つねに気遣ってくれていて、心強く感謝している。妹の口癖は、「お母さんがいつも言っていたのよ。きょうだい仲良くしてね」である。よほど母の言葉が心に残っているのだろう。そのお陰で、私は恩恵に浴している。

秋の夜明けにすがる私

八月二十七日(土曜日)、きのうの夜明けのわが嘆きに報いてくれたのか、いくらか秋の夜明けを叶えている。それでも、夜明けに朝日の輝きはなく、二日続いて恨みを買わない程度の、いまだ八歩留まりである。だからなお、胸の透く秋の夜明けを願うことに変わりない。人の世は、人間だけでは成り立ち得ない。いや、多くは、自然界の恵みにおんぶに抱っこされている。すなわち人の世は、人間界と自然界の二人三脚で歩んでいる。もちろん、両者の足がもつれ、あるいは片方の足が崩れて、倒れること多しである。それでも二人三脚は、過去、現在、未来永劫にわたり、できるかぎり足をそろえて歩いて来て、この先はてしなく歩いて行く。目下、私は好季節にふさわしい秋の夜明けを望んでいる。具体的にはわが夏風邪治しは、薬剤の効果を凌いでさわやかな秋の夜明けにすがっている。現在、夜明けに呼応しわが夏風邪の治りも八分程度である。全天候型の夜明けと、つれてわが夏風邪の全快を望むところである。季節のめぐりには、春夏秋冬という区切りがある。それゆえに私は、せっかくの秋がぐずついて、早やてまわしに冬にでもなればもったいなく、おのずから焦燥感つのるものがある。ここまで時間をかけて書いても、まだ朝日の輝きはない。天高い夜明けの秋空は、もうしばらくであろうか。きのうは、いつもの大船(鎌倉市)街へ買い物に出かけた。コロナのせいでわが外出行動は、自粛すなわち自主規制のさ中にある。それでも最低、生存の糧(かて)すなわち、食料だけは買い置きしなければならない。やや浅ましい気持ちはするけれど結局、人間は「食べるために生きる」というより、背に腹は代えられず、「生きるために食べる」動物である。このことは売り場に立てば、人様の様子を凝視しながら実感できるところがある。われのみならず人様も、生きるための食料探しと品定めに躍起である。必ず食べなければならないものであれば、できるだけ長生きできる体に良いもの、さらには美味しいものを血眼(ちまなこ)になって探すのは、命ある者の定めである。そしてそれには、財布の中のお金の過多、この頃では電子マネーの過多の縛りがある。言うなれば売り場は、売る人と買う人、相まみえる生活戦場の様相である。この戦場を癒してくれるのは、海産物、農産物、加えて人工の食品である。海幸・山幸、秋にはサンマが話題にのぼり、さらには新米および山菜そして果物、総じて「実りの秋」満載である。「生きるために食べる」とはいえ、楽しい秋の訪れである。その先陣を切るのはやはり、さわやかな秋の夜明けである。だから私は、とことんこれにすがっている。指先ノロノロと時が過ぎて、大空日本晴れとなり、視界には澄明(ちょうめい)な朝日が輝き始めている。夏風邪の名残は、かなり遠のいている。

待ち焦がれる、さわやかな秋の訪れ

八月二十六日(金曜日)、さわやかな秋とは言えない、ぐずついた夜明けが訪れている。わが気分は、鬱状態である。気象のことはちんぷんかんぷんで、まったくわからない。ところが、わが気分の崩れはわかっている。それは二度寝にありつけないことが招く、煩悶のせいである。煩悶に苛(さいな)まれるのはなぜか。それもわかっちゃいるけれど、どうにもならない。なぜなら、わが人生行路にとりつく傷(いた)みだからである。文は人なり。大沢さまの文章は常に前向き。わが文章は常に後ろ向き。もとより、人間性と器の違いの証しである。創作分とは異なり「ひぐらしの記」は、わが日常生活をありのままに書いている。もちろん、文飾(ぶんしょく)のしようはなく、恥をさらけ出して書いている。もとより、恥をさらけ出すことには吝(やぶさ)かでない。なぜなら、恥さらしを怖がっていたのではネタなく、文章はすぐさま頓挫の憂き目を見ることとなる。いや、呻吟しながら書くのは、大損であり野暮でもある。だから、恥晒しなど知ったこっちゃない。確かに、恥晒しを恥と思えば、十五年も続くはずもない。「ひぐらしの記」と、ほぼ同時に誕生した孫のあおばは、現在中学三年生(十五歳)である。私は根っからのふるさと志向の塊である。ところが、わがふるさと生活は十八年にすぎない。これらのことをかんがみれば、おのずから「ひぐらしの記」の長さ浮き彫りとなる。すなわち、恥晒しを恥と思えば、書き続けられるはずもない長さである。もとより、六十(歳)の手習いは恥さらしである。ところが恥さらしは、「ひぐらしの記」継続の根源となっている。仕方なく、そう悟りきってはいる。それでも、さらけ出す恥の多さには辟易している。結局、二度寝にありつけない原因は、総じてわが人生行路から生じているさまざまな傷みである。だから、いのち尽きるまで修復のしようはなく、二度寝など望むべくもない。もっぱら泣き寝入りしか、眠る方法はないであろう。こんな実のないない文章であっても、十五年継続の足しにはなっている。もちろん、わがお里の知れる文章である。二度目の夏風邪は、まだ治り切っていない。憂鬱気分を晴らす、さわやかな秋の訪れを願っている。

望月窯だより

 八月二十二日から二泊三日で末の妹と古河市の実家を訪れた。毎年落葉の降り積もった屋根や樋、ベランダの落葉の清掃と建物の点検のため、建物を建ててくれた先代からお世話になっている建設会社に依頼している。今年も六月に依頼して記念館の屋根が傷んでいるので新しくしてもらうことにした。今回訪れた時、足場を組んであって、屋根屋さんが一人で仕事をしていた。この職人さんは、母屋を建てたときからの人である。炎天下に黙々と働いてくれていた。私も妹も負けじと草取りをした。休憩のたびに汗でずっしりと重くなった作業着を着替え、山のようになった洗濯物を洗った。
 翌日、建設会社の若社長が訪れて作業の途中経過を報告してくれた。
とにかくこの時期は、草の成長に追いつかず、綺麗に抜いても再び訪れた時には元の木阿弥状態だ。それでも懲りずにやれるのは、私も妹も健康で達成感を楽しめるからだ。
 今年は、夏野菜の収穫もあり、ようやく二個成ったスイカが一つは収穫時期が過ぎて腐ってしまったけれど、一つはどうにか味見ができた。
 訪れるとまず父母と弟、先祖代々の祀ってある神棚に向かって手を合わせ、感謝し、お守りくださいと祈る。帰宅するときは、「今回もよく働いたね。楽しかったね。ずいぶんすっきりとなったよ」などと語り合って帰路につく。望月窯は私と妹の心の拠り所になっている。

二日続けてのずる休みを避けて、書いただけ

八月二十五日(木曜日)、「ひぐらしの記」は、わが生きている証しだから、起きてパソコンへ向かっている。しかしながら、書く気力は失せている。どう気張ってみても、おのずから命の終焉が近づいてせいであろう。きのうは、二度とはドジを踏まないつもりだった夏風邪をひいてしまい、気分が鬱になりずる休みをした。ところが、二度目の夏風邪はいまだに治りきらず、こんななさけない文章を書く羽目になっている。確かに、老いの身をかんがみれば、爽快な気分を望むのは、もはや欲張りなのであろう。ウイズ・コロナの表現を真似れば、わかこの先の人生は、ウイズ・老い耄れと言えそうである。すなわち、私は老い耄れの心身をたずさえて、日々生きる活動(生活)をしなければならない。もちろん、若い頃の幻想は捨てて、その覚悟はしている。実際には、老齢に見合う暮らし向きである。しかしながらこのことは、「言うは易く行うは難し」の典型である。だから、元気いっぱいとはいかなくとも、こんな泣き言の文章は書かずに済むくらいの、日常生活にはありつきたいものである。しかし、だれ(人様)にすがることはできず、要はわが精神力の賦活(克己心)に頼るしか便法はない。今の私は、こんななさけない文章を書いて、恥を掻いている。ただ、こんな文章でも二日続けてのずる休みを免れた益にはなる。いや、休んだほうがよかったのかもしれない。夜明けの空は、今にも雨が降りそうな曇り空である。世の中は、コロナと政治家の混迷ぶりでどんよりとしている。だから、夏風邪ひきに加えて、気分の晴れようはない。こんな気分、もうしばらくの我慢と言えようか。それともこの先、延々と続くのであろうか。季節は夏過ぎて、さわやかな秋の訪れで、わが気分直しと世直しを願うところである。ところが、夜明けの空は、もどかしく気迷っている。ならば、鳴き疲れている山の鳥と里のセミの声、つれて集く秋の虫たちの鳴き声に、わが気分直しと世直しを託してみたくなっている。