
坂本弘司撮影 3月17日(日曜日)。現在のデジタル時刻は、4:14と刻まれている。暑苦しくて、夜具の一つ厚手の毛布を撥ね退けて、一枚布団で寝ていた。起き出して、冬防寒重装備は要なしにした。いつもは、ネタ不足に見舞われて、休みたくなる。ところがきょうは、ネタはあるけれど、休みます。体調不調と体調不良。共に、四文字にあって、最後の一字が入れ替わるだけである。だけど、大きな違いがある。体調不良の場合は、生存が危ぶまれる。私は、体調不良に見舞われている。きのう突如、左胸(心臓辺り)にだけ痛みが走り、心筋梗塞かな? と、恐怖をおぼえた。挙句、スマホにすがり、狭心症と心筋梗塞を十分に学んだ。現在、痛みは胸の裏側の肩筋から脇腹へ移っている。これまた初体験である。このところ背中には、普段はない痒みが発症している。これらを鑑みて、腎不全に用いている薬剤の副作用かな? と、自己診断のさ中にある。きのう気づいたことだけれど、おととい小銭入れの財布を無くしていた。実害は1万円ないし2万円ほどだから、こちらは病に比べれば嘆きは軽くて済む。だけどやはり、気分は鬱になる。春が来たから、春ボケなのか。わが日暮らしは、気分の滅入りに見舞われている。ゆえに、心折れて休みます。身も蓋もないことだけど、せっかく書いたことだから、もったいないかな! と、表題をつけたくなっている。寝起きの、わが浅ましい根性である。 3月16日(土曜日)。確かな、春が来ている。起きて、寒気はまったく感じない。そのせいで再び、寝坊助を被っている。ゆえに心焦り、パソコンを起ち上げている。もちろん、脳髄は空っぽである。わが文章の執筆は、仕事ではない。だったら、休めばいい。確かにそうだ。だけど、束の間の休息は、この先の途絶えになりそうである。ずる休みにともなう、いつもの恐れである。ならば、何かを書かなければならない。浅ましい心模様である。ところが現在、なさけなくもネタ無し状態にある。ネタが浮かばないときに、決まって嘆くことはこのことである。すなわちそれは、私自身が文章をものにする得意とする分野(材料・ネタ)をまったく持たないせいである。加えて、ブログ特有に書いてはバッシングを被る様々な箍(たが)を嵌められている。挙句、無難なわが身辺のこと、子ども時代のこと、とりわけ郷愁まみれのことなどで、お茶を濁してきた。ところがこれらは、すでに書き尽くしている。私には、フィクション(虚構・創作文)を書く能力はない。言うなれば私は、常に袋小路に入った状態で文章を書いている。もちろん、弁明が許されないわが凡庸な脳髄のせいである。時間がない。禁を破ろう。すると真っ先には、現下の政治(国の舵取り)における脱力感である。大相撲春場所(大阪府立体育館)は、きょうは七日目である。春場所は荒れるという、ありがたくない定評(風評)がある。ところが、今場所の上位陣(横綱・大関)は、これまで連日コロコロ負けの状態にある。私は、番付通りの強い上位陣を望んでいる。しかし、この先も危ぶまれる。これまた、こんなことを書くことは自分自身を戒めてきた。だけどまた、ネタ無しの穴埋めのためにちょっぴり書こう。きのうは、メジャーリーグ・ドジャース球団の大谷選手の奥様ご様子(名前)を知ることができた。こちらは書いてもいいはずだけれど、やはり憚(はばか)れるところはある。確かな春の訪れは待ち望んでいた半面、寝坊助を被りこんな体たらくに陥っている。夜明けの空には、のどかに春の朝日が輝いている。寝起きの私は、焦っていた。 3月15日(金曜日、デジタル時刻3:38)。寝ていて気付かなかったけれど、地震があったという。「15日午前0時14分ごろ、福島県沖を震源とする地震があった。最大震度5弱、マグニチュード5・8と推定される」。このところ頻発を続けている震源地は千葉県東方沖である。それに隣接する茨城県沖、さらに続く福島県沖。海の広がりは境なく一帯である。ゆえに現在、この辺りが恐れる地震地域と言ってよさそうである。これらの中ではやはり、福島県沖に最大震度5弱の地震が発生したとあれば、恐怖心もまた最大である。もとより、13年前の「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日14時26分)の恐怖がよみがえるからである。地震は発生地域が限られるものではない。狭い日本列島であれば地域限定なく一緒くた、すなわち総なめに発生する。人間の感覚とは異なり地震にあっては、能登半島と房総半島の間さえ、遠く離れているという距離感などあるはずもない。日本列島一帯が、しょっちゅう揺れている。不謹慎だけれど地震の頻発は、まるで手に負えない「モグラたたき」さながらである。そうであればやはり、大地震にならないことを願うだけである。しかしながら、直近すなわち今年の「能登半島地震」(令和6年・2024年1月1日)を浮かべるまでもなく、それは叶わぬ願望にすぎない。過去へ遡ればなおさら日本列島は、「地震列島」という汚名を被り続けてきた。日本列島は島国、取り巻く海の中にある。ゆえに、地震をはじめ台風、さらには海底火山などの恐怖にさらされる逃れられない宿命なのであろう。そうであれば私は、大の字の付く、大事に至らないことを願うだけである。起き立てにあって私は、福島沖に地震発生のニュースを目にして、予期していない文章を書いてしまった。人生行路は常に茨道。転げながら辿り着くところは「あの世」である。今や遠く偲ぶふるさとは、きょうから18日まで4日間n「相良観音春季恒例祭」ある。参道で無邪気に赤い「ニッキ水」を飲み、白い「綿菓子(綿あめ)を舐めていた子どもの頃が懐かしくよみがえる。子どもの頃には小さい地震の体験さえなかった。このことを鑑みれば、このところの地震の頻発は、日本列島の異変の前触れであろうか。わが身は死ぬまで、地震の恐怖まみれである。だからと言って、あの世へ急ぎたくはない。この文章は、ネタ切れを免れた一文にすぎない。しかし、こんなネタにはありつきたくはない。「春眠暁を覚えず」、眠りこけていたほうがまだまし、すなわち身のためである。夜が明けて茶の間へ向かいリモコンでテレビを点ければ、おのずから福島沖地震状況を観る羽目になる。日本列島に住むかぎり、日々絶えない宿命である。だったら、震源地地域の無事を祈るのみである。震源地は地域をかぎらず、めぐりめぐっている。 村で生まれ、高校は町へ通い、勤務時代は街の生活に明け暮れました。60歳定年後のこんにちまでは、村・町・街、らしい入り乱れる生活に身を置いています。きのう(3月13日・水曜日)の「バスツアー」の第一の目玉は、「成田山新勝寺」(千葉県成田市)でした。私には初見参でした。ここでは、境内の広さに驚くばかりでした。第二の目玉と言えるものは、昼食の「うな重」でした。ウナギは堪能するほどの厚みはなく、しかし9000円の参加費用を鑑みれば、それなりに舌鼓を打ちました。旅の後半、夕暮れ間近の頃にあってバスは、第三の目玉と言える「浅草寺」(東京都台東区)に立ち寄りました。ここには何度か訪れています。しかしながら境内は、様変わりになっていました。混雑する中にあって日本人は少なく、外国人の姿ばかりが目立ました。私は浦島太郎の気分に陥っていました。一方で、のどかな気分に酔いしれていました。なぜならそれは、外国人が日本の国の一端(観光地)を楽しんでくれていたからです。私もまた、久しぶりに大都会のいっときを愉しみました。「華の親子道中」はくたくたに疲れました。だけど、大沢さまの応援もあってかそれに背かず、老齢の身相応には愉しめました。人生の最後(最期)と思える旅は、無事に終わりました。最期迫るなかにあっては、再びバスツアーを愉しむことはないでしょう。そのせいかわが目は、暮れなずむ夕日、暮れゆく闇の中にあって、車窓から次々に現れる風景にこびりついていていました。この文章は、書くまでもないことを書いた番外編です。疲れは、とんでもない長時間の睡眠をもたらし、私は慌てふためいて20分ほど書きました。あしからず。 前田さん、今日の『華の親子道中』は、現在7時23分とパソコン画面の時刻は表示されているので、すでに自宅を出発なさったのだろうか。歩行不自由な奥様も同行なさるという。娘さんのお誘いとか。どうぞ、楽しんできてください。 3月13日(水曜日)。現在のデジタル時刻は真夜中(1:09)。わが心中には二つの成句が浮かんでいる。一つは、ずばり「年寄りの冷や水」である。そして一つは、季節外れだが「飛んで火に要る夏の虫」である。もっと適当な成句があるとは思うけれど、わが凡庸な脳髄は、この二つで限界である。このところのNHKテレビニュースは、千葉県東方沖(房総沖)における地震発生の多さを、まるで呪文(じゅもん)のごとく唱えて伝えている。もちろんこれには、警告という「良心」が付き纏っている。きょうの私には、何十年ぶりだろうと思える「バスツアー」がある。行き先はこんな時期にあって、よりもよって千葉県方面である。ツアーの目玉は「成田山新勝寺」である。地震頻発を知らせる警告ランプが灯る中、危険を冒してのいで立ちである。同行する妻は、最後の最後まで地震を恐れて、わが決行を危ぶんでいた。しかし、配偶者の悲しさゆえに妻は、渋々同行を決意した。私とて気分良く進んで、参加を決め込んだわけではない。いや、これまた妻同様に渋々の決断だった。ツアー呼びかけ人は、横須賀市内に住む娘である。これまでの私は、娘の様々な呼びかけに対しては、悉(ことごと)く「NO」を返し続けてきた。ところが、今回は「OK」サインを返したのである。娘は、当てが外れてビックリしていた。わが決断の真意は、わが人生最後の「親子道中」の決行だった。その行き先が、地震頻発中の千葉県中心になったのは「時の不運」である。バスの発着地は娘の住む横須賀市内で、出発時間は午前8時30分である。そのためには、わが家を早や発ちしなければならない。そしてこれには、歩行不自由の妻を引き連れていかなければならない。それゆえに時間厳守(8時半)にそって、わが家を出るのは6時半頃と決め込んでいる。このあおりを食って私は、真夜中にこの文章を書いている。身も蓋もない文章だけれど、継続の足しにはなる。駄文、詫びて謝るところである。窓の外には強風が吹いている。しかし、幸いなるかな! 降り続いた雨は止んでいる。夜が明けて時が進めば、一転直下、晴れの予報である。地震頻発の警告ランプは灯り続けている。携帯するスマホにただならぬ「アラーム(警報)」が鳴り響くかどうかには、「知らぬが仏(ほとけ)」を決め込んでいる。なぜなら、地震を気に揉んでいては「わが人生最期の『華の親子道中』」にはありつけない。地震の恐れはあるものの晴れの予報は、粋な天の配剤なのかもしれない。 高橋弘樹様。いつもながらの激励を賜り、御礼申し上げます。大沢さまそしてご常連の各位様。皆様のおかげです。感謝と御礼を申し上げます。 前田さん、この度は☆【ひぐらしの記91集『自分史•私』】☆の御出版、本当におめでとうございます☆㊗︎㊗︎☆ 大沢先生、きょうも感想と御褒めの御言葉をいただいて、たいへん嬉しく、心より感謝申し上げますm(_ _)m
やはり表題のつけようはなく、休みます
書くまでもなかった、悔いまみれの一文
揺れる「日本列島」
番外編、村・町・街・大都会
楽しんで来てください!
華の親子道中
謝辞
㊗︎☆前田静良氏☆☆【ひぐらしの記91集『自分史•私』】☆御出版!!㊗︎
心よりお祝い申し上げます。
超ハイスピードの御出版で、こちらはビックリ!! していますが、同時に嬉しさ☆100%☆となっております。
年内に☆『ひぐらしの記100集』☆御出版は確実ですねo(^-^)o
これからの御執筆&御出版を含めまして、きょうも前田さんへ”大大大エール”を贈ります☆(^O^)/☆×100♪大沢先生へメッセージです2♪
鼻の調子は、今年限りだと思いますが(笑)、食べ物の匂いや沈丁花の香りを楽しんでいます♪♪
