掲示板

大沢久美子撮影

わが人生に授かる、助太刀

「情けは人の為ならず:人に親切にしておけば、その相手のためになるばかりでなく、やがてはよい報いとなって自分に戻ってくるということ。人のためならずは、人のためではないという意味。因果応報の考えに基づいていう」。わかりきっていることをあえて電子辞書にすがったのは、この成句は多くの人が意味の取り違えをするという。私が文章を書いているのは、この成句にかなり同義するところがあるからである。しかし、文章書き素人の私にとって、文章を書くことにはほとほと疲れるところがある。きのうは書き殴り文特有に、だらだらと長い文章を書いた。挙句、書き終えると、疲労度はいや増していた。「捨てる神あれば拾う神あり」。すなわち、お二人の神様のお褒めのコメントにより、わが疲労は癒されたのである。いつものことながら文章を書き終えると、ホッと安堵感が心身に染みわたる。文章の出来不出来にかかわらず、ちょっぴり味わえる快感である。いや、それほどに、文章書きに苦慮している証しである。7月16日(日曜日)、いつものように(もう書けない、もう書かない)という、思いをたずさえて起き出している。すでに淡い朝日の夜明けが訪れている。現在、心中にはこんなことが浮かんでいる。それは、わが身体の器官にかかわる戯言(ざれごと)である。言葉を変えればわが欠陥器官を補う、助太刀のあれこれである。一つは近眼を補う眼鏡、一つは歯の欠損を補う入れ歯、一つは耳の難聴を補う集音機、皮膚には日常的に痒み止めの薬剤が欠かせない。舌とて、舌先に口内炎の絶えることはない。身体の五官は、眼(視覚)、鼻(嗅覚)、耳(聴覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)である。ところが私の場合は、五官いずれにも無縁では済まされない欠陥人間である。これらにさらに付け加えれば、凡愚の脳髄には電子辞書の助太刀がなければ、にっちもさっちもいかない。生きている価値(甲斐)があるとは思えないけれど、83歳の胸の鼓動は続いている。きょうのわが予定には、最寄りのS医院への通院がある。採血のためゆえに、朝御飯抜きの通院である。朝日は梅雨晴れから、夏の朝の光に変わり始めている。きのうよりはかなり短い文章だけれど、疲労度はさして変わらない。文章書きはほとほと厄介である。だから、こんな文章でも書き終えれば、私はホッとする。結局、助太刀頼みのわが人生である。それらのなかでは、人様の優しいコメントこそ、効果覿面の助太刀である。浅ましい人間と自覚するところだけれど、あからさまにおねだりしてでも、それがなければ「ひぐらしの記」の継続はあり得ない。きょうあたり、梅雨明けを願っている。それに見合う、すっきりした青空である。

♪前田さんへメッセージです♪

前田さん、御返事の御投稿どうもありがとうございました*(^o^)/*
たいへん嬉しく思いました\(^o^)/
『ひぐらしの記』は、まったく大沢先生のおっしゃる通りですね♪♪♪

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

望月窯、お疲れさまでございました。
帰宅されて、夏野菜が生き返ってなによりですね♪♪♪
ぼくも幼少年期にお湯事件の経験がありますが、かまわずそのまま水まきをしていました(笑)。

私の畑

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今週の月曜日から古河の実家へ行き、水曜日に帰宅してみると、ベランダの私の畑は水不足で野菜立ちが青息吐息でうなだれていた。お昼時だったので水をまくわけにもいかず、仕事部屋の窓から横目でチラチラと視線を向けながら、パソコンに向かっていた。
 その後ようやく夕方になったので水をやろうと蛇口をひねるとホースの口からお湯が出てきた。以前には知らずにそのまままいてしまったことがあったが、今は手を当てて確かめて、冷たくなるのを待って水をまくことにしている。
 トマトもキュウリもナスも無事に生き返って、実が成りだしている。
今年の夏野菜はよく実る。ナスは三本、キュウリは六、七本採れた。トマトは実がいっぱい付いているが、まだ赤くならない。大満足である。

竹馬の友

 今朝の前田さんの「ひぐらしの記」を拝読して、故郷で共に過ごした幼友達の友情に感激している。そして、いつもながら富田文昭さんの優しさに胸が熱くなっている。故郷を愛し、幼友達に対する友情の深さにほろりとする。
 前田さん、「ひぐらしの記」は大切な宝物ですね。

わが命83年、人もウグイスもみな優しい

令和5年7月15日(土曜日)、わが83歳の誕生日の夜明け前にある(3:59)。窓の外は未だ暗闇であり、わが誕生日にたいするウグイスの祝福メッセージは届かない。ところが、高橋弘樹様の祝福メッセージは、いつもの「大大大エール」付きですでに、掲示板にご投稿を賜っている。感謝の厚志を掲示板にしたためてのち、この文章を書いている。きのうは思いがけない郵便が、郵便受けに届いていた。手にした「SmartLetter(スマートレター)の送信者は、「ひぐらしの記」の共著をなす、竹馬の友・ふうちゃん(ふうたろうさん)であった。胸の鼓動が高鳴り、スマートレターを開けると、短くこんなメッセージが記されていた。「かつ子さんから送られてきました。読みましたので、静良君に送ります。富田文昭」。送られてきたのは、熊本県地方紙「熊本日日新聞(熊日)」の記事の切り抜きであった。記事とはいえ、連載物の『わたしを語る』という、読み物であった。読み物の意図を伝える太字部分をそのまま記すと、こう書かれている。夢と感動子どもたちに 感性を育む活動70年 熊日童話会会長 渥美多嘉子。切り抜きは①から㊸、期間にして令和4年11月15日から12月29日までのものすべてである。少しずつ読んでいくうちに、先ずはかつ子さん、そしてそれを回してくれた文昭君の意図と優しさが身に沁みてきた。かつ子さんは、現在は熊本市内に在住のふるさとの同級生である。作者・渥美多嘉子さんとの面識はない。だから記事の中の拾い読みで、作者の周辺事情を知るのみである。主なところはこうである。私は1937(昭和12年)1月13日、父蔵原頼信、母は早子の元に、三男四女・7人きょうだいの三女として旧城北村(現在の山鹿市菊鹿町)に生まれました。経済的に厳しいと分かっていても、どうしても高校に行きたかった私は、父に無理を言って、進学を許してもらい、鹿本高校に合格しました(注:文昭君と私の母校)。1955(昭和30)年、鹿本高校を卒業し、熊本市古京町の国立熊本病院付属高等看護学校に入学しました。私は1988(昭和58)年、熊日に載った童話会のお話し会の告知を読み、参加したところ、ぐいぐい引きつけられて、その場で入会しました。これまでが一応、作者の人となりである。掲載文は一回あたり、2000字ほどでしょうか。文章の中には「内田川」をはじめいたるところにふるさと情景が描かれている。このため確かに、ふるさと慕情つのるところがある。だからそのための、かつ子さんと文昭君の粋な計らいのプレゼントだったのである。私は文昭君の許しを得て、かつ子さんへ御礼のメールを送信した。するとすぐに、かつ子さんより返信メールが届いた。「長い間、ご無沙汰いたしました。お変わりありませんか? 遅くなってすみません。大雨大変でしたね。熊本市内も7月盆ですか? きょうはお礼を申し上げます。新聞の切り抜きが文昭君から回ってきました。おかげさまで、ふるさと慕情がつのっています。ありがとうございました」。「今晩は本当に久しぶりです。あちこちで大雨被害が出ていますね。雨も昔と比べると、温暖化の影響ですかね? 梅雨明けが待ち遠しいです。昨日は御盆の入りで、菊鹿までお墓参りに行って来ました。故郷は田植えも済み冷風で暑いときは田舎が過ごしやすいと感じます。文昭さんから新聞の切り抜きが届いたそうで、静良さんまで回してもらい有り難いです。明日はお誕生日でしょう、格好よく絵文字二つが並んでいた。だけど私には、それをここで記す能力はない。二つの絵文字を見ながら、(奥様とケーキを食べてお祝いしてください)と、翻訳したのである。私自身には83歳を祝う気分はないけれど、高橋様とかつ子さんから祝福を受けたかぎり、へそ曲がりは返上し、素直に祝福気分にひたっている。一方で、身勝手な長文を詫びるところである。内視鏡検査の予約日は8月29日、検査開始時間は午後3時である。すっかり、夜が明けている。私は83年も生きてきたのだな……。ウグイスがお祝いエールを送っている。

髙橋弘樹様へ、感謝!

思いがけなく早々に、わが誕生日にたいする祝福メッセージを賜り、篤く御礼申し上げます。「ひぐらしの記」の継続は危ぶまれますが、もう少し生き長らえるつもりです。きのうの通院にあっては、内視鏡検査の予約をしてしてきました。私にとってはこんなまどろっこしい延命処置より、髙橋さんの「大大大エール」が効果覿面のわが命の賦活剤です。感謝にたえません。いつもいつも、ありがとうございます。

☆祝!! 前田静良氏HAPPY BIRTHDAY☆

前田さん、お誕生日おめでとうございます。
これからも☆前田パワー☆『大大大全開!!!』で、『ひぐらしの記』をお書きになってくださいねo(^-^)o
きょうも前田さんへ『大大大エール&大大大エネルギーパワー』を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

心急く、通院日

7月14日(金曜日)、「7月盆」のさ中にあって、夜が明けて朝が訪れている。生きていればこそ、日を替えて朝に出遭えることは、生きている者の最大幸福の一つである。あの世に、朝があるのかどうかはわからない。だから私は、あの世へ行き急ぎはしたくない。きょうは、命を長持ちさせるためにほぼ半年前に予約されている通院日である。きょうの病医院は、歯医者や耳医者などの部分器官の手当ではなく、身体のエンジン部分をなす内臓器官の検査是非(可否)のための受診である。具体的には「大船中央病院」(鎌倉市)の診療科の一つ「消化器内科」への外来である。私は、主治医の診立てにすがるしかない。歯痛や難聴(緑内障の経過観察)のように自覚する症状はない。けれど、それらを凌ぐ気分の重たい通院である。電子辞書にすがることなく私は、自分流の一つの言葉を浮かべている。それは「生きるための苦しみ」、すなわち「生活苦」という言葉である。文字どおり私は、日々生活苦に取りつかれては喘いでいる。電子辞書を開いた。「生活苦:生活上の苦労。特に、少ない収入で生活していく上での苦労」。わが浮かべている生活苦と、辞書の説明書きの生活苦との違いは、もとよりわかりきっている。しかしながらあえて、わが思いの生活苦を浮かべている。なぜなら、生きる活動(生活)には収入(金)の不足にかぎらず、すべてに苦労が付き纏っているからである。私の場合は広義、辞書の場合は狭義、共に生活苦と言えるであろう。ネタのない継続文は、つまらないことでも書かなければ頓挫に見舞われる。まさしく、気狂い沙汰模様である。しかし、精神科への外来は、自己診断ではまだ先延ばしにできそうである。夜明けの空は未だにぐずつく梅雨空であり、わが望む清々しい夏空は持ち越しである。予約時間は午前9時、通院準備に心が急いている。

つらい夏の朝

7月13日(木曜日)、目覚めてみると夜が明けている(6:28)。きょうは時間にせっつかれて、文章は書けない。真夜中に目覚めてうろうろしていたため、寝床に寝そべるといつの間にか、眠りこけていた。もちろん、ぐっすり眠れたとは言えない。しかし、それでも睡眠に恵まれて、寝起きの気分だけは快感である。しかしながら一方、心急いて文章は書けない。だけど、一つだけ書いておかなければならないことがある。きょうは「7月盆」の入り日である。様々な思いが交錯する中にあって、「御霊新入りの次兄の悔しさ」が、わが胸を締めつけている。到底、「迎えに来ました」とは言えない。夏の朝にあって、わが胸の痛みがまた一つ増えた。どこまで続く、夏の朝のわが胸の痛みであろうか。きょうは確かに駄文、しかしどんな名文を書いても、読んで誉めてくれるきょうだいは、もはやだれもいない。つらい夏の朝である。