坂本弘司撮影 ふうたろうさん、今年もよろしくお願いします。私もそう思います。決めつけないことが長続きする秘訣ですね。よくぞ投稿してくださいました。感謝です。 継続は何とか、とも、言うが?・・・3日、書いて、休憩して!・・・気が向いた時、又、3日書けば、それでいいではないか?・・・ 大沢先生、感想の御投稿とタレント日記のコーナーへのUPをどうもありがとうございます。 遡上して来た生来の怠け心を断つため、継続の当てはなくも意を決して、書き始めた文章は3日目を迎えている。きょう限りであすへ繋がらなければ、文字どおり三日坊主の汚名がよみがえる。もちろん、この汚れは撥ね退けたい。しかしながら、三日坊主と意志薄弱は共に抱き合って、とうとうこれまで修復できずじまいになって来たわが悪癖である。これらのことを思えばあすのことであっても、不安はいや増すばかりである。確かに、あすのことはわからない。だけど、きょうのことだけはわかる。何がなんでも、何でもいいから、きょうは書かなければならない。こう、自分自身に誓っての、パソコンの起ち上げである。こなんことでは用意周到の題材などあるはずはなく、端から文章の出来など望めない。書き殴りでどうにか文尾までたどり着けば万々歳、わが誓いと決意に適うことになる。ただ、夜明けも近くなり、朝飯の準備も迫っている。殴り書きに加え走り書きとはいえ、ただただ焦燥感がいや増している。人生行路を手近なもので模すとすればそれは、車両繋ぎの汽車、列車、電車が適当である。私の場合、完全なるふるさと巣立ちの上京は、大学入試の合格を得て、新たな決意を固めてわが家の門口を離れた、昭和34年(1959年)の3月のある日だった。今は亡き長兄に、「熊本駅あるいは上熊本駅」で見送られて私は、暮れなずむ夕方、当時の国鉄・東京行き夜行寝台急行列車へ乗った。互いは別れの手を振り合い、双方の体が見えなくなるまで、あふれ出るままに涙が流した。乗車した汽車は、熊本駅始発の東京行き「急行阿蘇号」か、もしくは西鹿児島駅始発の東京行き「きりしま号」だった。ただ、どちらだったという、記憶はない。5時近くの発車のベルに急かされた汽車は、明くる日の午前11時近くに、東京駅のプラットホームに滑り込んだ。ふるさとからの巣立ちは、はるかな長旅であった。このときの私に、日記を書くことや、メモを取る習慣でもあればと、今になってとことん悔やまれるところである。白煙いや黒煙をたなびかせる機関車が、後方にいくつの車両を繋いでいたかも、知らないままである。もちろん、わが車両番号(先頭から何両目)など、記憶にあるはずもない。東京へ向かって次々に駅名が現れては、また新たな駅名に出合った。いやおうない、わが生涯果てまでの未知の旅だった。夕方の日のあるうち、明けて朝日が輝きを増すなかにあって、私は流れてゆく車窓の風景をじっと見つめていた。夜行寝台急行列車は、このときが乗り収めであった。わが東京行き通勤電車は、「JR北鎌倉駅」で乗車の「JR横須賀線」だった。今や、記憶遠のく過去物語である。当時の横須賀線の車両編成は、現在と変わらず15の車両を繋いでいる。この中で毎朝私は、ほぼ決まって同じ番号の車両に乗っていた。しかしながらそれが、何両目だったかの記憶はない。冒頭に返れば人生行路は、汽車、列車、電車などに模せられる。ところがに明確に違うのは、こうである。すなわち、人生行路の車両は、選びようない最後尾の15両目である。視覚はメガネ(近眼・老眼ダブル修正)、聴覚は安価な集音器では飽き足らず、旧年末に高価な補聴器へ買い換えている(50万円弱)。頭脳、知力は、日々劣化を極め行く。挙句、肝心要の命は、プラットホーム間近である。 久しぶりの高橋さんのタレント日記は、その味がしっかりと刻み込まれるような巧みな紹介です。私は一人で外食をしたことがなくて、とても行けそうにはないのですが、画像を見ると食べてみたくなります。私の妹は、食べることが好きで、いろいろとその味を私に教えてくれるし、おいしてものを食べるために一人で外食もする人ですが、私は真似できません。おいしいものを売るお店も目を見張るほど知っていて、古河の実家へ行くときは、珍しい食べ物を持ってきてくれる頼もしい妹です。高橋さんもタレント日記で紹介してくれるおいしいお店は楽しみです。 《㊗︎2024年初!! 天丼は『てんやの野菜天丼』!!㊗︎》 大沢先生、新年2024年初の御投稿をどうもありがとうございます\(^o^)/ 今年も明けてから五日になりました。掲示板が前田さんの「ひぐらしの記」の復活と高橋さんの励ましの言葉でにわかに賑やかになりました。今年はどんな掲示板になるのか楽しみです。皆様今年もよろしくお願いします。 もはや、恥も外聞もない。短く、ガラクタでもいい。もちろん、雑文と罵られても構わない。ちょっとだけでも、文章を書こう。それでも、大きな前進である。こういう心境できのうの私は、文章を書いた。旧年の十月二十五日の文章を書き止めにして、新年の正月三日までの間、私は文章書きの沙汰止みを続けていた。言葉を用いればまさしく、頓挫、挫折の憂き目をこうむっていた。この間の私は、三度の食事はもとよりきっちりと食べ、加えて間食には駄菓子を鱈腹食べるだけの、「生きる屍」状態に陥っていた。わが魂は病みを超えて、まさしく惻惻状態にあった。しかし一方まだ、これではまずいという、一縷の魂の滴は悶々として残っていた。僅かにこれだけが、まだ生きている証しだったのである。きのうは新年の「仕事始め」の日でもあり、さらには新年の挨拶がわりに書き易いこともあった。それゆえにこのことを幸いにして私は、わが萎えていた心身に鞭打ち、文章を書いてみようと決意した。ところがそれは、あからさまに学童の頃の「綴り方教室」の心境に似ていて、心中には覚束なさが充満していた。一方で、書き終えた気分はさわやかだった。なぜなら、止まっていた文章が書けたからである。頓挫、挫折中の私は、まったく文章が書けなかった。いや、まったく書く気にならなかった。だから、書いたことだけは前に言う「大きな前進」であったのである。私の文章書きは常々、惰性に乗っかっている。言うなれば惰性こそ、わが文章書きの助け、救い神である。無理矢理わが意を添えれば、私の場合の「惰性」とは、いま世間に持て囃されている「ルーチン(routine)」と、似ているところがある。スマホの語句調べにさずかり、ルーチンを覗いてみた。「ルーチン:習慣的・定型的な手続きや仕事のこと。日課。定常処理」。つまり、わが文章書きはルーチンとは言えず、なり得ず、似て非なるいたずら書きの惰性にすぎない。ところが私は、惰性にすがっている。しかしながら、こんな文章を何日か書き続けているうちに、ルーチンまではならずとも、かつての惰性が蘇れば儲けものである。ただ、恐れることには私は、生来の怠け者、三日坊主である。だから私には、惰性さえ定着の望みはない。二か月余の空白は、その確かな証しだった。書き殴りに甘んじていまだに私は、早くなりはじめている夜明け前の暗闇の中にある。(4:37)。 前田さん、御返事の御投稿どうもありがとうございます*(^o^)/*\(^o^)/
私も同感
三日坊主でいいじゃないか
♪大沢先生へメッセージです♪
てんやは、テイクアウト(お持ち帰り)もやっていますので、ぜひ御自宅で召し上がっていただきたいです。
てんやに限らず、すき家・松屋などの牛丼屋さんや日高屋までもテイクアウトをやっていますので、御利用いただければと思います。
テイクアウトは、女性のお客さんが多いです♪
博識家の妹様には、ぜひ『現代文藝社の掲示板』に御投稿いただきたい、と思っているところです☆現在は最後尾、15両目
食べてみたい
♪HIROKIのタレント日記♪
2024年初!! の天丼をてんやで食べました♪
画像は、野菜天丼のご飯大盛(みそ汁&漬物付で税込670円)です。
なす・かぼちゃ・さつまいも・れんこん・いんげん・まいたけの野菜天6品で、どれもたいへん美味です☆☆☆☆☆☆
作り置きはしていないようで、オーダーを受けてから揚げるので、出てくるまで多少時間がかかりますが、そこが㊙︎うまさのヒミツ㊙︎のようです!!
平成20年代位に食材の仕入れの関係で、一時期、さつまいも⇒じゃがいも に変更された事がありましたが、こちらも美味でした♪
昨年は、秋頃からちょくちょく店に通い、てんや=野菜天丼 の図式?? が出来上がっていました(笑)。
家の近くの北浦和店は、たいへん残念なことに、コロナの影響による業績不振から2020年(令和2年)12/31で閉店してしまいました↓↓
きょうも含めいつも通っている店は、㊙︎ヒミツの某店㊙︎です(大笑)。
コロナの影響を受けても営業を継続していますので、”かなりの集客力がある店舗”です!!
昨年同様2024年も大大大応援して行きたいお店です(^O^)/(^O^)/(^O^)/♪大沢先生へ『前田氏は「現代文藝社の掲示板」の”柱”です!!』♪
やはり、前田さんは、『現代文藝社の掲示板』になくてはならない存在の方で、掲示板の”柱”となっております。
昨日の『ひぐらしの記』の新年初の御投稿より、掲示板が活性化してきました(^O^)/
前田さんが”起爆剤”になられている事は間違いありませんねー*(^o^)/*現代文藝社編集室だより
夜明け前の「迷い言」
♪前田さん、ありがとうございます!!♪
はい、前田さんを全力で支えますからねーーーーーーーo(^o^)oo(^o^)oo(^o^)oo(^▽^)oo(^-^)oo(^-^)oo(^-^)o
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