華の親子道中

3月13日(水曜日)。現在のデジタル時刻は真夜中(1:09)。わが心中には二つの成句が浮かんでいる。一つは、ずばり「年寄りの冷や水」である。そして一つは、季節外れだが「飛んで火に要る夏の虫」である。もっと適当な成句があるとは思うけれど、わが凡庸な脳髄は、この二つで限界である。このところのNHKテレビニュースは、千葉県東方沖(房総沖)における地震発生の多さを、まるで呪文(じゅもん)のごとく唱えて伝えている。もちろんこれには、警告という「良心」が付き纏っている。きょうの私には、何十年ぶりだろうと思える「バスツアー」がある。行き先はこんな時期にあって、よりもよって千葉県方面である。ツアーの目玉は「成田山新勝寺」である。地震頻発を知らせる警告ランプが灯る中、危険を冒してのいで立ちである。同行する妻は、最後の最後まで地震を恐れて、わが決行を危ぶんでいた。しかし、配偶者の悲しさゆえに妻は、渋々同行を決意した。私とて気分良く進んで、参加を決め込んだわけではない。いや、これまた妻同様に渋々の決断だった。ツアー呼びかけ人は、横須賀市内に住む娘である。これまでの私は、娘の様々な呼びかけに対しては、悉(ことごと)く「NO」を返し続けてきた。ところが、今回は「OK」サインを返したのである。娘は、当てが外れてビックリしていた。わが決断の真意は、わが人生最後の「親子道中」の決行だった。その行き先が、地震頻発中の千葉県中心になったのは「時の不運」である。バスの発着地は娘の住む横須賀市内で、出発時間は午前8時30分である。そのためには、わが家を早や発ちしなければならない。そしてこれには、歩行不自由の妻を引き連れていかなければならない。それゆえに時間厳守(8時半)にそって、わが家を出るのは6時半頃と決め込んでいる。このあおりを食って私は、真夜中にこの文章を書いている。身も蓋もない文章だけれど、継続の足しにはなる。駄文、詫びて謝るところである。窓の外には強風が吹いている。しかし、幸いなるかな! 降り続いた雨は止んでいる。夜が明けて時が進めば、一転直下、晴れの予報である。地震頻発の警告ランプは灯り続けている。携帯するスマホにただならぬ「アラーム(警報)」が鳴り響くかどうかには、「知らぬが仏(ほとけ)」を決め込んでいる。なぜなら、地震を気に揉んでいては「わが人生最期の『華の親子道中』」にはありつけない。地震の恐れはあるものの晴れの予報は、粋な天の配剤なのかもしれない。