掲示板

坂本弘司撮影

梅雨入り劈頭の朝ぼらけ

6月22日(土曜日)。梅雨入り劈頭(へきとう)にあって、のどかに晴れた夜明けが訪れている。わが精神は静かに落ち着いて穏やかである。長く気分を迷わし続けていた、気象庁の梅雨入り宣言が決着したためである。もちろん、気分の落ち着きは万全ではない。それは歳月の流れの速さに抗しきれず、唖然としているせいである。きのうの自然界(気象)は、奇妙と言うか絶妙と言おうか、ミラクル(奇跡)を演じた。すなわち、きのうの気象は「夏至」と梅雨入り(地域限定、関東地方ほか)を同日に合わせたのである。こんなことが気象庁の過去記録にあるかどうかは知る由ない。しかし、私には奇跡に思えていたのである。夏至が過ぎてきょうから日長は日々縮んで、変わって「冬至」(12月21日)へ向かって夜長が延びて行く。一方梅雨は、人の口の端や気象予報士の予報にあって、こんどは梅雨明けの時期が取りざたされてくる。人間界の営みは、良くも悪くも自然界現象に翻弄され、あるいは多大な恩恵を得ながら、過去から現在そして未来永劫へ、世代や世相を変えて連なるのである。ゆえに、わが限られた生存期間は、まさしく芥子粒ほどもない。だったら日々、クヨクヨするのは大損である。わかっちゃいるけれど、それを止められないのは、わが生来の「身から出た錆」なのであろう。確かに私は、大バカ者である。今朝の晴れは、梅雨明けまでは「梅雨の合間の晴れ」、すなわち限定晴れに呼び名を変える。ときには、「束の間の晴れ」とも呼ばれる。限られた梅雨の合間の朝ぼらけを喜んで、山のウグイスの鳴き声は、ひと際朗らかな高音(たかね)である。アジサイの彩りもまた、ウグイスの鳴き声に負けまいと妖艶さを増している。アジサイは、きのうの雨の名残露にあずかっている。

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

今朝は、大収穫でなによりでしたね♪♪♪♪
本日、関東地方は梅雨入りしましたが、野菜や花のためには、『記録的に速い梅雨明け』がよろしい、かと思いますが、人々にとっては、梅雨明け後の酷暑・炎暑がなんとも言えないところですね(//∇//)(//∇//)

♪大沢先生へ『お花畑の出現』ありがとうございます♪

大沢先生、♡ハートマークのお花畑♡の感想の御投稿、どうもありがとうございます*(^o^)/*
たいへん嬉しく思います\(^o^)/

実は中庭で、サッカーをする少年たちがいて、花々がふみにじられたりしないか心配なところですが、もしそうなったら、役員の方と有志の方に連絡を取り、柵を設置するつもりでいます。

♪前田さんへメッセージです♪

そうですね!!
平年に比べて14日、昨年に比べて13日遅い梅雨入り、だそうですね。
各地、記録的に遅い梅雨入り、との事です。

私の畑

2024_06_21syuukaku

ベランダのプランターの畑には日々収穫の野菜たちが成長している。今朝は、トマト、ナス、シソ、モロヘイヤの収穫となった。早速朝食で食したいと思う。新鮮な野菜が食べられるのは有り難い。しかし、今日辺り梅雨入りなのだろうか。野菜の成長は止まってしまうのだろうか。水をまかずに済むのは助かるのだけれど、気温が低いと成長に影響が出るだろう。

お花畑の出現

 お花畑のハートのマークの周辺の花々の成長が楽しみです。作業をされた皆さんの笑顔や会話が聞こえてくるようです。

「夏至」

私の重なるミスで、掲示板は汚れていた。ゆえに、心が沈んでいた。掲示板は、大沢さまが綺麗にしてくださった。わが心、晴れ晴れの夜明けである。だったら気分良く、麗しい文章を書きたいところである。しかし一方、私にはそうはいかない歯がゆさがある。それは歳月の流れの速さに気分が殺がれ、なお脅かされているせいである。一言で言えば、人生の終末を生きる高齢の身の、同義語を重ねて「悲哀」である。きょうは「夏至」(6月21日・金曜日)、こんなことに悲哀を感じるようではもはや、私には愉しめる日常はない。知りすぎている言葉だけれど、電子辞書を開いて復習を試みている。【夏至】「二十四節気の一つ。太陽の黄経が90度に達する時で、北半球の昼が最も長く、夜が最も短い。太陽暦では6月21日頃。季語夏。対語冬至」。こちらはスマホを開いて、知りすぎていない言葉の学習である。【summer soistice(夏至)】「至点(soistice)とは1年に2回、天球上において太陽の赤道面からの距離が最大となる瞬間、またその時の太陽の位置をさす語である」。この十日ほど私は、中学・高校の英単語の再学習に戯れている。面目ないけれど、その証しを試みたのである。ネタのない一時しのぎにこんなことに縋れば、またどこかにミスが出ているかもしれない。夜明けの空は、確かな梅雨空である。気象庁は、梅雨入り宣言をミスっているかもしれない。同類と、喜ぶべきであろうか。いや、わが身の浅ましさである。

朝駆けの掃除ののちの文章

6月20日(木曜日)。晴れてのどかに夜明けが訪れている。あすは「夏至」(6月21日)、昼間の長いブービーである。今朝は文章を書くのは諦めて、5時前あたりから道路の掃除を開始した。おとといの雨上がりの道路は、きのうの日照りで、ようやく掃除に耐えた。そうであれば朝早く道路の掃除へ向かうのは、朝の散歩組に人たちにたいするわがしがない気配りである。懸命に1時間20分ほどかけて、いつもより広く長く隅々まで、かつ丁寧に掃除を終えた。普段の散歩組に出遭ったのは、にこやかに挨拶を交わす夫婦連れだけだった。わが朝早い道路の意図は功を奏したのである。加えて、普段は見知らぬ初見のご高齢の男性に出遭った。年恰好は私ぐらいだったけれど、羨むほどに長身かつハンサムな万年青年の人だった。私は挨拶をかけた。同時に、思いがけない言葉が返った。「アジサイ、綺麗ですね。みんなが綺麗と言っていますよ」「そうですか。ありがとうございます。うれしいです。救われます」。私は弾む気持ちで言葉を返した。掃除を終えると、駆け足で二階へ上がり、パソコンを起ち上げ、椅子に座っている。ところが、諦めていた心に息遣い激しく、額の汗を拭きながら書き出している。さらに心は大揺れて、この先の文章は書けない。普段の私は、継続を断たないことだけを念じて、無理して文章を書いている。無理して書く文章はわが意を叶えず、さらにはへま(ミス)に慄くばかりである。挙句、(もう書きたくない、もう書けない)という、気持ちが増幅する。このことは、現在の偽りのないわが心境である。その心境を逃れるために、この文章は20分ほどで、ここで書き止めとする。こんな短い文章であっても、ミスをしでかしているかもしれない。「くわばら、くわばら…、三十六計逃げるに如かず」である。書き殴りをかたじけなく思う、日長ブービーの夜明けである。

ただいま謹慎中

6月19日(水曜日)。きのうは一日中、強雨ならぬ嵐に見舞われていた。なのに、雨は止んで、満天青く朝日輝く夜明けが訪れている。しかし、梅雨の合間の晴れ(好天)とは書けない。実際にはいまだ、気象庁の梅雨入り宣言前の好天(天恵)である。きのうの雨は、たっぷりと各地の水がめ(ダム)に水量を溜めたはずだ。そうであればこの先、梅雨入り・梅雨明け共に宣言なく、本格的な夏になっても、一向に構わない。いや、欲深い私は、それを望んでいる。わが欲のツッパリの証しである。しかし自然界は、人間界と比べればはるかに律儀者である。なかんずく気象は、その筆頭にある。ゆめゆめ、梅雨入りをほったらかしにすることはないはずだ。梅雨入りが遅れて、気を揉むのは気象庁だけである。夜明けの空は、ひときわ明るく光っている。アジサイは雨に濡れて、露を帯びたままに彩り(艶)をいや増している。ウグイスは囀(さえず)り超えて、高音で鳴き続けている。ところが、私はしょんぼりしている。しょんぼりは、このところのミスの多い文章の名残のせいである。ゆえに私は、業(ごう)を煮やし、みずからに謹慎を強いている。この文章は、謹慎の禁を破った雑文である。雑文、かたじけなく思うところである。