掲示板

坂本弘司撮影

♪前田さんへメッセージです♪

筋肉痛が緩解してよかったですねーー*(^o^)/*\(^o^)/
きょうも前田さんへ”大大大エール”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/

筋肉痛は緩解

5月21日(火曜日)。目覚めると部屋の中には、昼間の光と思わす、満天晴れた朝が訪れていました。満腔は気分よく緩んでいました。ただそのせいで寝過ごし、執筆時間の圧迫を被っています。ゆえに、文章は書けず、諦めました。ウグイスは鳴いています。私は泣いています。だから、一つだけうれしいことを記して、文章を閉じます。他事ながら、筋肉痛は緩解しました。

♪古閑さんへメッセージです♪

古閑さん、アドバイスをありがとうございます*(^o^)/*
いろいろ試してみたい、と思います。
大切に育てます♪♪

高橋さんへ

 高橋さん、クリスマスローズと、くちなしの花を購入されたんですね。大事に育ててください。我が家でもくちなしの花は地植えであります。ネットで見たところくちなしの花は外に置くのがおすすめと書いてありました。その他にも水やりや肥料等書いてありましたがここではしつこくなるので省略します。

♪HIROKIのタレント日記♪

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《今頃クリスマスローズ&2代目くちなしを購入!!》
この『現代文藝社の掲示板』の御常連様で、いつも『庭の花』と題して、綺麗な花々の画像をたくさん投稿してくださる古閑忠義氏の影響”大大大”で、今頃(笑)クリスマスローズを購入しました(大笑)。
本当は、リアルタイムの冬季に購入したかったのですが、小さなポットでの販売しかなく、大きな鉢が欲しかったぼくは泣く泣く見送っていました↓↓
しかーし!! この時季に及んで、いきなり1鉢だけ置いてありましたので、2代目くちなしとともに迷わず購入しました!!
開花の時期を過ぎていますが、今年の冬の花盛りを目指して大切に育てて行きたいと思います。
花屋のおねえさんに「何故この時季に販売しているの?」と尋ねるも、「はて〜〜?? 」「さて〜〜??」と、スッとボケられてしまいました(大笑)。おそらく売れ残り? だったんでしょうね(笑)。
初代くちなしは、植え替えたにもかかわらず、枯れてしまいました↓
春〜夏の西日は、花々にとっては強烈過ぎるようで、初代くちなしは、これが原因ではないかな、と思っています。
くちなしは半日陰でも育つ、そうなので、2代目は、二重カーテン越しの空間に置いて、晴天の日は、午前中だけ日に当てよう、と考えています。
以上、今頃クリスマスローズ&2代目くちなし購入の話でしたーー♪♪

よみがえる、ふるさと慕情と肉親愛

5月20日(月曜日)。雨の夜明けの空を静かに眺めながら生きている。今や「ひぐらしの記」は、生きている証しを表すだけの文章に成り下がっている。なさけなく、恥ずべき状態である。しかし、恥をかくことは厭わない。なぜなら、恥晒しを恥ずかしいと思えば、もとよりこの世にわが生存はない。私にかぎらず人みな、生きる苦しみに耐え、恥をかきながらこの世に生きている。人々の生き様は、日々メディアを通して伝えられてくる。国内外の情報において、それらを見聞すれば、そう思いたくなる「人の世の業(ごう)」である。嗚呼、起きて、私はこんな愚の骨頂のことを書いている。それでも、机上に頬杖をついて、雨の夜明けを眺めているのは幸運である。なぜならやがて、病床に横臥すればこれしきのことさえできない。頬杖をついて物思いに耽っていると、音なくそぼ降る雨のせいなのか。来し方の様々なことがよみがえり、浮かんで来る。真っ先に浮かんだのは、梅雨入りにかかわるふるさと慕情である。沖縄県はきのう、梅雨入りした。すると、同じ九州圏にあるふるさと・熊本県の梅雨入りも、まもなくであろう。よみがえる梅雨入り前の村人たちの仕事には、麦の刈り取りと収納がある。それが済むと近づく田植えに備えて、苗床作りがある。この後は梅雨、いや雨を頼りにして田植えが始まり、田園風景はしだいに美的水田風景を成してくる。梅雨が鬱陶しいとか、仕事が忙しいとか言っておれない農家の、雨すがりの半ばうれしい好季節である。寝起きの瞼の中に、父と母の姿、姉や兄の面影が浮かんでいる。生きている私がさずかる、ふるさと慕情と肉親愛である。

私は幸運児(爺)

5月19日(日曜日)。梅雨の走りみたいなどんよりとした、夜明けが訪れている。つれて、わが気分もどんよりとしている。しかしこの時間、地震さえ起きなければ、わが気分は穏やかである。いつもの寝起きに違わず、ネタ無しでパソコンの起ち上げにある。だからと言って出まかせで書けるほどには、文章は容易くない。就寝中は悪夢に魘され、目覚めれば文章のネタ探しに苛まれる。挙句、心中ではしょっちゅう、(もう書けない、もう書かない)という、さ迷う決断を強いられている。これまでの私は何度、こんなフレーズを繰り返し記してきたことだろう。決断(力)の鈍さは、わが生来の優柔不断の証しとはいえ、つくづくなさけなく思うところである。ゆえに現在の私は、意識して自己慰安に努めている。六十(歳)の手習いにしてはこれまで、私はたくさんの文章を書いてきた。だからもう、書き足りないことなどまったくない。いや、反吐が出るほどに十分に書き尽くしている。半面、その確かな証しはネタ切れにともない、様にならないこんな文章である。道理、書かなければ、恥を晒すことはない。書くから、恥を晒すのである。間抜けにさずかり私は、恥を晒すことを厭わないのかもしれない。いや、恥晒しには慣れっこになり、今ではその利得にあずかっているのかもしれない。なぜなら恥晒しは、わが生きるエネルギーの一端を成し、そして恥と抱き合わせの愚痴こぼしは、文章の継続の支えを成している。わが文章書きは、常に呻吟・苦衷にまみれである。それでも、書き続けていることにより私は、数多の幸運にありついてきた。私は幸運児(爺)である。幸運のいくつを記すと、これらが浮かんで来る。定年後の生活がぐうたらにならずに済んでいること。加齢が進むにつれて遠のくはずの人様との交流は、途絶えず続いていること。絶えず心中に語彙を浮かべていることで、認知症の予防を成していること。書けば、大沢さまのご好意にさずかり、単行本に編まれて、わが宿願を叶えていただいていること。書き続けていることでふるさと慕情、さらにはまぼろしになりかけている肉親愛(親、きょうだい)は、眼前にいや増してよみがえる。この先を書けば、かぎりなくだらだら文となる。ゆえに、このくらいで書き止めである。ネタ無し文章は、ほとほと骨の折れる難行である。確かに、継続是非の決断を迫られている。しかし書けば、しがないわが身に余る果報、僥倖もある。朝日、先送りの曇り空である。

♪前田さんへメッセージです2♪

自分だけの力では、どうすることもできないことが、世の中の常ですが、前田さんの本日の『ひぐらしの記』は、『知友、あまた多し』とのタイトルで、素晴しく思っております☆☆☆☆☆☆☆

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

大沢先生は、『私の畑』と『望月窯畑』の2か所で、作物や花々をたくさん育てられていて、なによりだと思っています♪♪

私の畑

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ベランダの私の畑には夏野菜が元気よく育っています。二十日大根はもう二回ほど収穫しました。サニーレタスは毎日のように葉が大きくなり、一枚ずつ掻いて食べています。冬の間は枯れそうで駄目かなと思っていたのです。玉ねぎも順調です。
 富良野のラベンダーが今年も花が沢山咲きそうです。去年のものが玄関につるしてありますが、まだ青い色が残って香っています。