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坂本弘司撮影

揺れる「日本列島」

3月15日(金曜日、デジタル時刻3:38)。寝ていて気付かなかったけれど、地震があったという。「15日午前0時14分ごろ、福島県沖を震源とする地震があった。最大震度5弱、マグニチュード5・8と推定される」。このところ頻発を続けている震源地は千葉県東方沖である。それに隣接する茨城県沖、さらに続く福島県沖。海の広がりは境なく一帯である。ゆえに現在、この辺りが恐れる地震地域と言ってよさそうである。これらの中ではやはり、福島県沖に最大震度5弱の地震が発生したとあれば、恐怖心もまた最大である。もとより、13年前の「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日14時26分)の恐怖がよみがえるからである。地震は発生地域が限られるものではない。狭い日本列島であれば地域限定なく一緒くた、すなわち総なめに発生する。人間の感覚とは異なり地震にあっては、能登半島と房総半島の間さえ、遠く離れているという距離感などあるはずもない。日本列島一帯が、しょっちゅう揺れている。不謹慎だけれど地震の頻発は、まるで手に負えない「モグラたたき」さながらである。そうであればやはり、大地震にならないことを願うだけである。しかしながら、直近すなわち今年の「能登半島地震」(令和6年・2024年1月1日)を浮かべるまでもなく、それは叶わぬ願望にすぎない。過去へ遡ればなおさら日本列島は、「地震列島」という汚名を被り続けてきた。日本列島は島国、取り巻く海の中にある。ゆえに、地震をはじめ台風、さらには海底火山などの恐怖にさらされる逃れられない宿命なのであろう。そうであれば私は、大の字の付く、大事に至らないことを願うだけである。起き立てにあって私は、福島沖に地震発生のニュースを目にして、予期していない文章を書いてしまった。人生行路は常に茨道。転げながら辿り着くところは「あの世」である。今や遠く偲ぶふるさとは、きょうから18日まで4日間n「相良観音春季恒例祭」ある。参道で無邪気に赤い「ニッキ水」を飲み、白い「綿菓子(綿あめ)を舐めていた子どもの頃が懐かしくよみがえる。子どもの頃には小さい地震の体験さえなかった。このことを鑑みれば、このところの地震の頻発は、日本列島の異変の前触れであろうか。わが身は死ぬまで、地震の恐怖まみれである。だからと言って、あの世へ急ぎたくはない。この文章は、ネタ切れを免れた一文にすぎない。しかし、こんなネタにはありつきたくはない。「春眠暁を覚えず」、眠りこけていたほうがまだまし、すなわち身のためである。夜が明けて茶の間へ向かいリモコンでテレビを点ければ、おのずから福島沖地震状況を観る羽目になる。日本列島に住むかぎり、日々絶えない宿命である。だったら、震源地地域の無事を祈るのみである。震源地は地域をかぎらず、めぐりめぐっている。

番外編、村・町・街・大都会

村で生まれ、高校は町へ通い、勤務時代は街の生活に明け暮れました。60歳定年後のこんにちまでは、村・町・街、らしい入り乱れる生活に身を置いています。きのう(3月13日・水曜日)の「バスツアー」の第一の目玉は、「成田山新勝寺」(千葉県成田市)でした。私には初見参でした。ここでは、境内の広さに驚くばかりでした。第二の目玉と言えるものは、昼食の「うな重」でした。ウナギは堪能するほどの厚みはなく、しかし9000円の参加費用を鑑みれば、それなりに舌鼓を打ちました。旅の後半、夕暮れ間近の頃にあってバスは、第三の目玉と言える「浅草寺」(東京都台東区)に立ち寄りました。ここには何度か訪れています。しかしながら境内は、様変わりになっていました。混雑する中にあって日本人は少なく、外国人の姿ばかりが目立ました。私は浦島太郎の気分に陥っていました。一方で、のどかな気分に酔いしれていました。なぜならそれは、外国人が日本の国の一端(観光地)を楽しんでくれていたからです。私もまた、久しぶりに大都会のいっときを愉しみました。「華の親子道中」はくたくたに疲れました。だけど、大沢さまの応援もあってかそれに背かず、老齢の身相応には愉しめました。人生の最後(最期)と思える旅は、無事に終わりました。最期迫るなかにあっては、再びバスツアーを愉しむことはないでしょう。そのせいかわが目は、暮れなずむ夕日、暮れゆく闇の中にあって、車窓から次々に現れる風景にこびりついていていました。この文章は、書くまでもないことを書いた番外編です。疲れは、とんでもない長時間の睡眠をもたらし、私は慌てふためいて20分ほど書きました。あしからず。

楽しんで来てください!

 前田さん、今日の『華の親子道中』は、現在7時23分とパソコン画面の時刻は表示されているので、すでに自宅を出発なさったのだろうか。歩行不自由な奥様も同行なさるという。娘さんのお誘いとか。どうぞ、楽しんできてください。

華の親子道中

3月13日(水曜日)。現在のデジタル時刻は真夜中(1:09)。わが心中には二つの成句が浮かんでいる。一つは、ずばり「年寄りの冷や水」である。そして一つは、季節外れだが「飛んで火に要る夏の虫」である。もっと適当な成句があるとは思うけれど、わが凡庸な脳髄は、この二つで限界である。このところのNHKテレビニュースは、千葉県東方沖(房総沖)における地震発生の多さを、まるで呪文(じゅもん)のごとく唱えて伝えている。もちろんこれには、警告という「良心」が付き纏っている。きょうの私には、何十年ぶりだろうと思える「バスツアー」がある。行き先はこんな時期にあって、よりもよって千葉県方面である。ツアーの目玉は「成田山新勝寺」である。地震頻発を知らせる警告ランプが灯る中、危険を冒してのいで立ちである。同行する妻は、最後の最後まで地震を恐れて、わが決行を危ぶんでいた。しかし、配偶者の悲しさゆえに妻は、渋々同行を決意した。私とて気分良く進んで、参加を決め込んだわけではない。いや、これまた妻同様に渋々の決断だった。ツアー呼びかけ人は、横須賀市内に住む娘である。これまでの私は、娘の様々な呼びかけに対しては、悉(ことごと)く「NO」を返し続けてきた。ところが、今回は「OK」サインを返したのである。娘は、当てが外れてビックリしていた。わが決断の真意は、わが人生最後の「親子道中」の決行だった。その行き先が、地震頻発中の千葉県中心になったのは「時の不運」である。バスの発着地は娘の住む横須賀市内で、出発時間は午前8時30分である。そのためには、わが家を早や発ちしなければならない。そしてこれには、歩行不自由の妻を引き連れていかなければならない。それゆえに時間厳守(8時半)にそって、わが家を出るのは6時半頃と決め込んでいる。このあおりを食って私は、真夜中にこの文章を書いている。身も蓋もない文章だけれど、継続の足しにはなる。駄文、詫びて謝るところである。窓の外には強風が吹いている。しかし、幸いなるかな! 降り続いた雨は止んでいる。夜が明けて時が進めば、一転直下、晴れの予報である。地震頻発の警告ランプは灯り続けている。携帯するスマホにただならぬ「アラーム(警報)」が鳴り響くかどうかには、「知らぬが仏(ほとけ)」を決め込んでいる。なぜなら、地震を気に揉んでいては「わが人生最期の『華の親子道中』」にはありつけない。地震の恐れはあるものの晴れの予報は、粋な天の配剤なのかもしれない。

謝辞

高橋弘樹様。いつもながらの激励を賜り、御礼申し上げます。大沢さまそしてご常連の各位様。皆様のおかげです。感謝と御礼を申し上げます。

㊗︎☆前田静良氏☆☆【ひぐらしの記91集『自分史•私』】☆御出版!!㊗︎

前田さん、この度は☆【ひぐらしの記91集『自分史•私』】☆の御出版、本当におめでとうございます☆㊗︎㊗︎☆
心よりお祝い申し上げます。
超ハイスピードの御出版で、こちらはビックリ!! していますが、同時に嬉しさ☆100%☆となっております。
年内に☆『ひぐらしの記100集』☆御出版は確実ですねo(^-^)o
これからの御執筆&御出版を含めまして、きょうも前田さんへ”大大大エール”を贈ります☆(^O^)/☆×100

現代文藝社編集室だより

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前田静良著「ひぐらしの記91集」を発行いたしました。

♪大沢先生へメッセージです2♪

大沢先生、きょうも感想と御褒めの御言葉をいただいて、たいへん嬉しく、心より感謝申し上げますm(_ _)m
鼻の調子は、今年限りだと思いますが(笑)、食べ物の匂いや沈丁花の香りを楽しんでいます♪♪

春の訪れ、迷い言

3月12日(火曜日)。卓上カレンダー上には、「奈良東大寺二月堂お水取り」と記されている。古来、伝統ある歳時(記)なのであろう。しかしながら私は、どんな催しなのか、まったく珍紛漢紛である。ゆえに私は、この文章を閉じれば、パソコン上のインターネットで学ぶ心づもりにある。きょうの天気は雨の予報である。ところが、雨はきょうかぎりで、あすは晴れの予報である。冬の雨には濡れたくない。春の雨には濡れても構わない。もとより、氷雨と暖雨の違いである。これまで、呆れかえっていた季節狂いの春は、ようやくきのうあたりから本来の春の訪れにある。今のところ窓の外には雨降りはなく、パソコン部屋は頭上に二輪(にわ)の蛍光灯がともる、夜の静寂(しじま)にある。先ほどの洗面における蛇口の水は温んでいて、私は怯えず隈なくかつたっぷりと顔面を濡らした。パソコンを起ち上げて椅子に座す現在(4:21)、寒気は緩みこれまたまったく怯えはない。こんなのどかな季節、いや春の訪れにあって過去(13年前)には、「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日14時26分)が起きたのである。地震は、季節構わず起きる証しでもある。きのう(3月11日・月曜日)のテレビ映像にはほぼ一日じゅう、この地震にまつわる厳粛な祈りの儀式、さらには様々な悲しい光景が映し出されていた。時あたかもことしの初日(令和6年・2024年1月1日)には、「能登半島地震」が起きた。こちらには「大震災」という冠は付いていないけれど、実際の惨状は「能登半島大震災」が適当であろう。いや、震災は大小にかかわらずどれもこれもが大震災である。命名は大事である。なぜなら、命名を誤れば惨状を伝えきれないところがある。震災地および被災者にすれば、メデイアのニュースからは外れても、悲惨きわまりない大震災同然である。日本列島に住むかぎり国民は、常に大小の地震の恐怖に晒されている。きのうの私は、ひっきりなしに現れる「東日本大震災」の映像に身を竦めていた。挙句、身勝手なことだけれど、わが生存中にあっては、震災に遭わないことを願っていた。相対する妻の身体は、悲惨な映像が現れるたびにブルブル震えていた。ようやく、待ち望んでいた「春」が来た。地震さえなければ日本国民にとっては、「わが世の春」である。学び舎は、どこかしこ卒業式たけなわの頃にある。翻って私の場合は、寒気に震えることなく、のんびりと文章が書ける季節の到来である。文章の出来不出来はともかく、心身は寒気に凍えることなく和みにありつけることとなる。杉山に囲まれたふるさと時代に耐性ができたのか、幸いにも私には花粉症状はない。春が来て困るのは、暖気に緩む脳髄のボケふやけである。ボケふやけの試しは、「奈良東大寺二月堂お水取り」の学びになりそうである。

良い匂い!

高橋さん、鼻の具合が良くて香りを楽しめて幸いですね。食べ物は匂いが感じられないとおいしく食べられないそうです。春の香りのフキノトウも今年は味、香りともに味わうことが出来て良かったですね。嬉しさが「タレント日記」に溢れています。