
坂本弘司撮影 大沢さん、月下美人きれいに咲いています。花は良い香りがするそうですが翌日はしぼんでしまうのが一寸残念です。 いつも花の写真の感想ありがとうございます。 ☆月下美人☆ついに開花しましたねーー☆*(^o^)/*\(^o^)/☆ 7月14日(日曜日)。ふるさとは「7月盆」の最中(さなか)にある。起き出して、「お盆」の追想に耽っている。それぞれの御霊を浮かべている。今や、ただひとり生きているわが務めである。まぼろしの墓(前田家累代の墓碑)は、わが心中に建っている。盆にかぎらず春・秋の彼岸、あるいはときどきの墓参りの原風景は、こうである。母は「墓参りに行くばい…」と言って、決まって私を連れだした。墓参りどきの母は、野良仕事の普段着から、いくらか見栄えのする装いに替えていた。たぶん母は、道すがらに出遭う人様にたいし、気兼ねをしていたのであろう。わが子どもの頃、すなわち生家の当時の行政名は、熊本県鹿本郡内田村だった。現在の行政名は、熊本県山鹿市菊鹿町である。ふるさと言うにはやはり、内田村こそしっくりする。熊本県の北部地域に位置し、熊本、福岡、大分と県境を分け合う尾根に囲まれた内田村は、山囲いの盆地を成していた。もちろん、今なお変わらない。当時の村人のほとんどは、農業と山林の上がりを生業にしていた。何らかの仕事を兼ねていても、生計は主にそれらの上りにすがっていた。農家は狭隘な田畑、さらには家畜(牛馬)の入れようのない鍬や鎌頼みの段々畑にすがっていた。もとより、村人の生計は、自給自足を旨に営まれていた。山林へ向かう人の仕事とて、炭焼き、椎茸作り、筍(たけのこ)の掘り出しくらいで、実入りを増やす大掛かりな山働きなどなかった。それでも、村中には製材所が一軒あったから、その仕事にたずさわる人達だけは、本業として山に入っていたのかもしれない。馬車引きさんは二人ほどいた。往還(県道)には「産交バス」(九州産業交通)が定時に往復し、ときたま「〇通(丸通)」(日本通運)のトラックが走っていた。乗用車(自家用車)は見ることはなかったけれど、のちにわが家のかかりつけの「内田医院」(内田医師)」の自家用車が登場した。村中のあちこちには、よろず屋風の「なんでんもんや」の店があった。小学校と中学校(内田村立)の位置する村の中央の堀川地区には、内田医院、村役場、駐在所、文房具店、酒屋、鍛冶屋、精米所、畳屋などがあった。村中は地区ごとに、小さな集落(名)を成していた。わが生家は、「内田川」べりの「田中井手集落」に位置していた。墓は内田川から離れて、歩いて片道20分ほどの「小伏野集落」の小高い丘の上にあった。それは、父の生誕地が小伏野集落だったことに起因している。父はのちに、水車を回して精米業(所)を営むために、田中井手集落へわが生家を構えていたのである。内田医師、そしてふうちゃん地区の「原集落」の相良医院(相良医師)、ほか「谷川医院」(谷川医師)を除けば、村中の公務員(役場人や学校の先生)を含めて村人たちは、農家を兼ねて暮らしを立てていた。母が私を連れ立つ墓参りは、いつもこうだった。母は縁先のちっぽけな花壇から、自然生えみたいな草花を摘んだ。それを古新聞で束ねた。大きな薬缶にはたっぷりと川水を入れた。火付けには、大きなマッチ箱を用意した。封切らずの線香の束を携えた。私は薬缶を手提げた。野末の墓には、絶えずそよ風が吹いていた。墓標を水で浄めて、置かれている茶碗の汚れは指先でぬぐい取り、両脇の花入れには持参の花を挿げた。これらが済むと、マッチを取り出し、古新聞に火をつけた。火を線香へ移すと、燻る火を足で踏んづけて消し去った。線香立ての線香の炎がゆらゆらと空へのぼりはじめた。母は「さあ、参ろうかね…」と、言った。「うん」。私は応じた。二人は並んで腰をかがめて、墓標に向かって深々と合掌した。雨のため道路へ向かえず、時間があることをいいことにして、長々とこんな文章を書いてしまった。つくづく、かたじけない。 こちらもさいたま市も両日、わりあいに涼しかったです(^^) 望月窯にもいろいろな花が咲いていますね。カサブランカは有名な花だそうですね。球根も現在は分かりませんが以前は結構高かったそうです。ムクゲもきれいに咲いていますね。 起床後か『ひぐらしの記』をお書きになる前に、あぐらをかいて床に座ってください。目を閉じます。手は祈りを捧げる時のように手を合わせても、膝の上においてもかまいません。呼吸は、胸でする浅い呼吸ではなく、腹式呼吸です。 ぼくは先週、夜勤の時に毎回、胃痛や腹痛に悩まされて、苦しい勤務となっていました↓↓
月下美人
大沢さんはやはり花がお好きなだけあってよく花の名前をご存じですね。参考まで全部の名前を書いておきます。
上段左から、ヒオウギ、ムクゲ、フロックス。 下段左からダリア、オイラン草、フロックス、奥の紫色はミソハギです。 高橋さんへ
☆大沢先生へメッセージです☆
途中までの画像ですが、綺麗です☆
先生、夜遅くまでの開花のお付き合い、たいへんお疲れさまでございました。よみがえる「ふるさと盆」の追想
♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪
今回の花々もお手入れがじゅうぶんに行き届いていて、素晴しく綺麗ですね♪♪♪♪♪♪
もう☆古閑植物園☆といった感じです☆☆☆☆☆☆ 望月窯の花
♪前田さんへメンタルトレーニングを実践してみてください♪
雑念が浮かんでくるかと思いますが、ここで、御釈迦様 前田さんの御父様御母様 前田さんの守護霊様に対して、
「前田さんと奥様が毎日平和に生活できています事に心より感謝申し上げ、前田さん御自身の細胞のひとつひとつが活性化するように願い、『ひぐらしの記』が話題豊富に楽しく書けますように』と具体的に映像を頭の中に思い浮かべて、願ってみてください。そのほかにも願い事があれば、具体的に祈ってください。
5分でも10分でも短時間でよろしいかと思います。
この後、御気持ちが充実していましたら、『ひぐらしの記』をお書きになり、苦痛のようでしたら、本日はお休みして、また明日実践してみてください。
要するに、御気持ちが充実した時だけ、お書きになられたらいかがでしょうか?
市販薬を服用して、その時は良くなっても翌日になるとまた痛くなり!! の繰り返しで、「ダメだ!! 薬が効かなくなってる!! 重症の胃腸炎になってるかもしれないなあ〜〜↓↓ いよいよ通院しないとダメかな?!」と思っていましたが、毎日起床後に、「日々生活できている事に感謝を申し上げ、早く胃痛や腹痛がよくなりますように」と”具体的映像”で、祈りを捧げたところ、今週に入ってピタリ!! と良くなり、”完全に治って”しまいました*(^o^)/*\(^o^)/
「病は気から」という言葉がありますが、”気の部分を充実させた”ので、良くなったのだ!! と思った瞬間でした(o^^o)







