世田ヶ谷の外資系コンサルタント会社に勤める会社員宮沢みきおさん夫婦、娘、息子一家四人が、平成十二年十二月三十日の深夜、何者か侵入者に刺殺されてから十三年も経つ。当初は、犯人が残した衣類や凶器などが多くあり、犯人の逮捕は早急に行なわれ、時間の問題だとされていたが、未だ解決はしていない。
事件の概要は、年末の夜中の十一時以後に、背の高い、日本人ではあまり見られない、足の大きさが二十八センチの男が、宮沢家の家の側面の窓の鉄格子とフェンスから二階の鍵の掛かっていない風呂場の窓の格子を外し侵入し、中二階の子供部屋で眠っていた長男を刺殺し、その後、一階の仕事場にいた主人の宮沢みきおさんと一階から二階の階段で鉢合わせになり、宮沢さんを刺した。宮沢さんは足の腱が骨をえぐられる程だった。そして、中二階に戻り、三階の屋根裏部屋で寝ていた妻の泰子さんと娘をメッタ刺しにして殺害した。特に泰子さんは、娘を守るために、刺された後も犯人に抵抗し、百以上の刺し傷がある程だった。
その後犯人は、母娘との格闘で大変疲れたのか、宮沢家のリビングに残り、冷蔵庫からカップ=アイスクリームを三つ、メロンなどを食べ、その間パソコンを使っていた。その後、ぐっすり眠り、夜が明けてから、犯人は宮沢家から逃走したという。
犯人は、犯行現場に多くの遺留品を残している。二十八センチのバスケット=シューズ、帽子、マフラー、外套、トレーナー、ハンカチ、犯行に使った柳葉包丁、ヒップバックなどなど。その他に血痕や指紋もあった。
これだけの犯人の遺留品や痕跡が残され、これらの証拠になると思われるものが多いので、犯人は早急に逮捕され、事件の解決は時間の問題とされたが、現実は警察が犯人に行きつかず、実に十三年もの長い間、未解決になったままである。
警察が、未だ犯人に行きつかないのは、警察の捜査の手法が悪いというわけでもなく、また、警察の捜査能力がないというわけでもない。が、しかし、警察の犯人像の注目の仕方が、こんなに証拠があるのに誤っているように思われる。
それは何かというと、警察が犯人は日本人と断定していることだ。日本人が犯人であって、少なくとも外人ではないと見ていることだ。警察がそう判断している根拠は、宮沢家に侵入し、一家四人を殺した後逃走するまで、疲れから夜が明けて明るくなるまで宮沢家の中に留まり、アイスクリームなどを空腹を満たすためほうばりながらパソコンの画面で、メールやインターネットの内容が日本語のものを見ていたことだ。
しかし、この警察の日本人犯人説は、他の人種の可能性も含んでいるのに捜査を日本人に限定して捜査をしているので、結果として、十三年もの間犯人に行き当たらなかったように思われる。
犯人像として考えるべきは、日本人だけでなく、外国人も視野に入れるべきで、それも米軍基地に勤務していた兵士をも考慮に入れるべきである。その場合、兵士の中には、捜査の対象として、白人、黒人、ヒスパニックと呼ばれるメキシコ系米人などの他に、日系人も考えられるので、幅広く捜査が出来たはずである。
警察は、世田ヶ谷一家殺人犯人を日本人とした根拠は、犯人がパソコンの日本語のサイトを見ていたからというが、米軍基地の兵士の中に犯人がいるとして視点を広げれば、日系人の兵士なら日本語が理解できるので、宮沢家のパソコンを操作し、日本人が見るようなサイトやメールを見ていた可能性だってある。また、兵士が白人や黒人で、それが世田ヶ谷一家の殺人犯人だったとしても、米軍基地では日本のテレビ番組を見るべく案内をして、テレビ番組の解説や見方を兵士に指導しているので、日本の番組を見ている可能性もある。それは、一つには米軍兵士に、たとえ日本語がわからなくても、日本のテレビ番組を見て、楽しんでほしいということと、第二に、日本文化を日本のテレビを見て理解し、馴染んでほしいということがある。アメリカのテレビ放送が、なかなか見られないからだ。ポップスなど音楽を中心としたFENという駐留軍のラジオ放送は、日本人にも知られているが。
世田ヶ谷一家の殺人犯人が外国人であり、また日系人であり、また米軍基地に勤務する兵士であることは、犯人が宮沢家の中で、残した血痕から検出されたDNAでわかる。
DNAの鑑定で、それも人類学的鑑定によると、犯人の遺伝子は、父方が、「D3Eスター型」という特徴を持っているので、父方がアジア系人種であって、母方が南欧系であることがわかっている。つまり、犯人は、それらの混血である。
日本の警察は、この遺伝子鑑定結果によって、日本人と欧米人の混血か、他のアジア人朝鮮人か中国人と南欧系の混血外国人としている。しかし、これは広く社会一般を見た場合の犯人が、日本にいる混血児であるとか、アジア系混血児とかいっているのであって、もっと狭く絞ってみて、在日米軍基地のそれも横須賀基地か座間基地の兵士でカリフォルニア州あたりの出身で、日系米人とヒスパニックと呼ばれるメキシコ系米人か、又はイタリア系米人のどちらかの混血であって、それも低所得者階層の出身であろう。兵士が低所得者出身というのは、アメリカで兵士に応募入隊する大きな一般的動機の一つとして、一定期間兵役について、問題を起こさず、何事もなく平穏に除隊すれば、名誉除隊として国、連邦政府から大学や専門学校など、その後進学すると、学費を出してもらえるからである。つまり、低所得者であって貧しく、授業料などを払えなくても、連邦政府の援助で払ってもらい大学など高等教育を受けられるからである。
米軍基地内の兵士が宮沢家の殺人をやったであろうという証拠は、遺留品の中にある。まずアーミー=ナイフという米軍内で使われる軍事用ナイフがあったこと。それと、宮沢夫婦を刺し殺そうとした時、夫妻の反撃にあい、自分自身も切り傷を負った。その際に、とりわけ、娘を守ろうとした妻泰子さんの母性本能はすごく、全力で犯人に抵抗し、力尽きて刺殺されたといわれている。犯人は泰子さんから受けた傷を手当てするのに、娘さんが使っていたティッシュペーパーを使って血を拭い、さらに止血するのに軍隊で使われている止血剤や麻酔系の薬剤、ベンセトリンが使われていた。これは、ボクシングなどで相手のパンチ攻撃で顔面を切って流血を止めるためのワセリンと共に、米軍でお馴染みなものだ。これからも犯人が米軍基地内の兵士であったことが窺われる。
さらに、宮沢一家の殺人の犯人が、カリフォルニア州の日系米人とメキシコ系米人の混血であることを強める要素は、犯人がスケート=ボードに乗って遊んでいる人間であることがわかる。犯人が宮沢家に残していたヒップ=バックの中から、スケート=ボードに乗るための靴の底が滑らないようにする粉が見つかっていることだ。
それと、宮沢家の殺人が行なわれる前に、宮沢家から少し離れた空地、広場のようになっている所で、黒い服のアジア系の不良グループがスケート=ボードに乗っており、その音が回りの家で騒音を起こし、宮沢家にも悪い影響を及ぼした。そのことで主人の宮沢みきおさんと口論となって、トラブルがあったと言われている。その中の一人が犯人と思われ、警察もアジア系の不良だとしているが、むしろ、その中の一人が、犯人として、前述のカリフォルニア州あたりの出身の日系人とメキシコ系米人の混血の兵士の若者ではないかと思われる。
なぜならば、宮沢みきおさんと口論していることから、会話は日本語で行なわれているが、カリフォルニアあたりのヒスパニックと混血の日系人であるなら日本語が出来ることも考えられ、同時に英語やスペイン語を話すこともできる者である可能性がある。 この時の宮沢みきおさんとのトラブルが、宮沢家への怨みとなり、お金目当ての犯行と共に、一家皆殺しの惨殺となった。憎しみと同時に、お金を奪っているのが、日本人の殺人の仕方と異なる点でも、犯罪の手口が外人のやり方で、これまでに述べて来たカリフォルニア州あたりの出身の日系人とメキシコ系米人との混血の米軍兵も当然、該当する。日本人の犯罪の手口として、怨念、怨み、憎しみで殺す場合は、感情のみによる犯行などで金品を奪った例はあまりない。金品も奪っていることから考え、物質欲のあるアメリカ人的な犯罪の性質である。
さらに、犯人が宮沢家に残して行ったものの中で、トレーナーとヒップ=バックの中からカリフォルニア州モハヴエ砂漠の南西部にあるエドワード空軍基地の砂が見つかっている。合わせてネバダ州の砂も見つかっている。このエドワード基地の近くにスケート=ボードの大会が開かれている。このことから世田ヶ谷一家の殺人犯人は、カリフォルニア州出身の日系人とヒスパニック、メキシコ系米人の混血で、同州のエドワード基地に勤務した、あるいは、そこで入隊した人間の可能性があることがわかる。
また、一説には、キューバのグアンタナモ基地の砂も見つかっているという。これは犯人が、その基地に勤務した経験もあることが推定される。日系人とメキシコ系の混血ならスペイン語が話せるから。
その他に、犯人が宮沢家に残していった物の中に、英国ブランドの韓国製のスラセンジャーのスニーカーがある。この足の大きさが二十八センチあり、日本では二十七・五センチまでしか販売されておらず、ということは、韓国で買ったか、日本米軍基地で購入したものかになる。二十八センチの足の大きさは、一部のバレーボール選手やプロレスラーが特注するくらいで、日本人の大きな各種スポーツ選手でも二十七センチがせいぜいであるという。
そうなると、世田ヶ谷一家殺人犯は、米軍基地の兵士ということは、これからも証明される。米軍基地内の売店なら多くの韓国製の製品も売っているし、靴も例外ではない。
靴が韓国製だということで、警察は、犯人が宮沢家の近くでスケート=ボードを乗り回していて、みきおさんとトラブルになった若者で韓国人がいるとみて、韓国警察に問い合わせたが、そのような人間はいないという回答を得た。韓国内で二十八センチの大きさは稀であると思われる。やはり、犯人は米軍基地内での人間で、靴もそこで購入したと思われる。日本の米軍基地内だけでなく、韓国の基地にかつて勤務し、その後日本の基地へ来た兵士である。
以上のことから、世田ヶ谷一家殺人犯は、日系人とメキシコ系米人の混血、カリフォルニア州あたりの出身で、カリフォルニアで米軍に入隊し、場合によってはキューバのグアンタナモ基地に勤務し、また韓国にも勤務し、日本の米軍基地へ転勤になって来た者となる。二十八センチのスラセンジャーのスニーカーを日本の販売店で見つけても行きつかないわけである。さらに、その兵士が日本のどこの基地に勤務をしていたかを示す証拠が見つかっている。それは、犯人が宮沢家の中に残して行ったジャンパーのポケットの中から、三浦半島の北下海岸、三浦海岸、馬堀海岸の砂が見つかっている。
米軍基地内の兵役は大変苛酷で、常に緊張を強いられる。それゆえ、基地内では休日には精神の保養として、近くに電車などで気軽に行ける行楽地、保養地として三浦半島の海岸や江の島などへ行くことを奨励し、行楽地の案内を積極的に行っている。従って、馬堀海岸はかつてのような大きな海水浴場ではなくなり、住宅が建て込んでいるが、三浦海岸や北下海岸は、海水浴が可能だ。かって筆者は、久里浜の近くの海岸で、横須賀の米軍基地内にいる兵士に英語で聞いたことがあるが、基地内では逗子海岸や江の島、横須賀沖の猿島(米軍はモンキー=アイランドと呼ぶ)、その他の海岸を紹介しているという。
このことから、三浦半島の海岸から、砂が見つかったということは、近くの米軍基地の兵士が世田ヶ谷一家殺害の犯人であることを示している。この三つの海岸では、横須賀海軍基地の兵士なら、横須賀線や京浜急行で手軽に行ける距離にあるが、世田ヶ谷の殺人現場の宮沢家への交通は、小田急線であることから考えると、座間陸軍基地か厚木空軍基地の兵士である可能性もある。横田空軍基地は交通の便から考えられない。
他にもう一つ、宮沢家一家を殺害した人間が、米軍基地の兵士である可能性がある証拠物件として、犯人が宮沢家に侵入して、持ち込んだ凶器、「柳葉包丁」がある。犯人が持って行った、通称、俗に「刺身包丁」と呼ばれる先が尖っていて細長く、刺せば人の胴体に深く入るものである。このことから言えることは、犯人が宮沢家に侵入する前から、人を殺す意志があったことを示す有力な証拠だ。これが、果物ナイフを外から宮沢家に持ち込んだとすると、たとえ殺人行為を行っていたとしても、「初めから殺すつもりではなかったが、成り行きで相手と格闘になり、傷つけるつもりが、結果として刺し殺してしまった」と言い訳が裁判の公判や警察の取調べで、できてしまう。柳葉包丁を殺人犯人は、宮沢家四人を殺害するのに使ったが、細いのですぐ折れてしまい、宮沢家の台所にあった文化包丁を代わりに使い、四人にあれだけの傷を負わせて刺殺したのだ。だから、あれだけの無数の傷を一家四人に負わせれば、「結果として殺してしまった」などとの言い訳は、犯人は出来ない。
犯人が宮沢家に持ち込んだ柳葉包丁、通称「刺身包丁」は、関孫六銀寿包丁で、日本製と思われるので、世田ヶ谷一家殺人を捜査する所轄警察署などは、銀寿包丁を販売している刃物屋をいくつかあたったが、包丁の購入者から犯人には行き着かなかった。この捜査は手詰まりになっているようだが、別の視点を持たないからだ。
銀寿包丁は、日本だけで売られているのでなく、アメリカでも売られているもので、少なくとも三十年も前から売っていた。筆者は約二十年余前に、アメリカのテキサス州の大学院で留学していた時、部屋で銀寿包丁が�GINSU KNIFE�として、テレビの通販で、その切れ味をテレビで実演放送をしていた。丁度、日本で言うと、日本直販とかジャパネット高田などのテレビ通販と同じようなものを、アメリカのテレビでやっていた。故に、アメリカで売っているので、日本の米軍基地内の売店で売っている可能性も大であって、そこで購入した銀寿包丁を持って犯人が世田ヶ谷の宮沢家へ侵入したことが考えられる。このことも一家殺人犯が米軍の兵士である可能性がある証拠である。警察も柳葉包丁の購入ルートを捜査する場合、米軍基地に捜査の目を向けるべきだ。
犯人と思われる若者が、唯一姿を現わした可能性がある。それは、日光の東武鉄道の駅の駅務室に、背の高さや足の大きさ、そして服装などが、世田ヶ谷一家殺人犯と思える三十才ぐらいの男が、刃物か何かで手が骨まで見えるほど切れている手を駅務員によって応急手当てされ、名も名乗らずに立ち去ったという。この風貌が、外人風にも日本人風の混血児だったという。そして、現われた時刻が、丁度宮沢家を去り、約六時間の年末三十一日の夕方頃であった。この日光に犯人とおぼしき若者が現われたのも、米軍基地の人間である可能性が高い。なぜならば、日光が基地内で休暇として、保養のため軍務を離れるため一番近く、行きやすい有名観光地として奨励されている場所なのだ。
このことは、すでに述べた通り、横須賀基地などでは、三浦半島周辺の海岸の案内をしていると同時に、大型ツアーとして日光ツアーも勧めている。やはり、日光東照宮の陽明門の文化的価値、特に彫られた三猿「見ざる」「聞かざる」「言わざる」や陽明門を「日暮しの門」と呼ばれるくらいの一度は見るべき所としてのすばらしさは、米軍基地に勤務している兵士なら誰でも知っているほどに浸透している。
駐留米軍のラジオ放送を聞いていると、日光や苗場スキー場などは、オフ=シーズンの旅館の空いている時に格安料金で行けるので、米軍兵士のためのツアー参加者を募集している。参加希望者は参加者リストに署名、サインしなさいという案内をしている。
このことから、東武日光駅の駅務室に現われて傷の手当てを受けた手の大きな男は、その後立ち去った後、行方がわからないが、米軍に従軍する兵士であることの可能性は大で、風貌も外国人風だったとある。その後、この情報を受け、警視庁の警察官が行ったが逮捕できなかった。
この世田ヶ谷一家殺人犯と思われる人間が日光へ行ったのも、日光の知識のある米軍兵士だからこそ、宮沢家から去り、小田急線、地下鉄と乗り継ぎ、東武線に乗り込んで日光へ辿着いた可能性がある。その後姿を消したまま、この人物の行方は知れていない。
その他に、直接米軍基地の兵士と呼べるものではないが、間接的な状況証拠がいくつかある。
先ず、殺害犯人が、宮沢家に風呂場の窓から侵入して長男を殺害したり、母娘を殺害したりした時、中二階の中心に残した足の動きが、バスケット=ボールをやっていた者だという動きをしている。長男、母娘を殺害した足の床への置き方が、バスケット=ボールのピボットのような動きが見られ、大変無駄のない要領のよい動きをしている。犯人は、バスケット=ボールの心得がある人間ということになる。
これらからは、米軍兵士であると特定できる証拠ではないが、二十八センチのシューズを履いて、宮沢家の中二階の風呂場に侵入していたことをも合わせ、米軍の兵士である可能性も含んでいる。バスケット=ボールは、アメリカ人にとってものすごくやられているスポーツだから。もちろん、日本にいる他の西洋人の可能性もあるが。
次に、犯人が破り捨てたと思われる紙の片が数多く、宮沢家の風呂場の湯舟の水面にまき散らされていた。これは、犯人が、お金を奪って逃げて行ったことから考えて、初めは宮沢家の戸棚などにお金を物色したが見つからず、その腹いせに紙を破り捨てて、湯舟にまき散らしたと思われる。このようなシーンは、日本のテレビで放送している洋画は、殆んどアメリカ映画だが、時たま、アメリカ人の俳優がバス=タブに紙の片を破りまき散らしているのを見かける。アメリカ人がよくやることで、これによって、犯人はアメリカ人であるということで、米軍基地の兵士とは特定できないが、その可能性を含んでいる。
もう一つ、犯人が宮沢家の母娘を殺した後、夜が明けるまで居座って、パソコンを見たり、宮沢家の冷蔵庫からアイスクリームを三つ、手で握りつぶすように食べていたのが確認されている。この握りつぶし、ほうばる食べ方が、アメリカ人独得な食べ方で、日本人などは、まずやらない。当然、米軍基地の兵士の可能性も十分ある。アイスクリームをほうばったり、長時間宮沢家に留ったのも、娘を殺そうとし、母親泰子さんに娘を守ろうとした母性本能から物凄い抵抗をされ、百以上傷を負わせ格闘したため、ぐったりと疲れ、お腹が空いたからで、何時間も宮沢家に留った理由である。警察はこのことも理解していなかった。
以上のことから、世田ヶ谷一家殺人犯を米軍基地兵士の可能性が大であるのに注目せず、日本人と見なしたことが、警察が十三年もの間犯人に辿着かなかった理由である。犯人が米軍兵士であることに注目するのが大変遅れてしまい、また、日米軍事協定、秘密主義の壁が高いが、外交ルートを使っても、犯人をつきとめて解決に向かって欲しい。
参考資料
平成十三年一月一日〜三日までの産経新聞、毎日新聞、朝日新聞
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世田ヶ谷一家殺人事件
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