キング牧師暗殺の疑問 ――史料による検証と私的捜査による検証

 一九五〇年代以来、何回か逮捕されながらも種々の差別と戦った偉大なる黒人リーダー、マルチン=ルーサー=キング牧師は、一九六八年四月四日、テネシー州メンフィス市のロレーヌ=ホテルに於て凶弾によって暗殺された。キング牧師の暗殺については、ケネディー大統領の暗殺のように、公衆の面前で行なわれ、狙撃された方向が複数であり、狙撃犯人が本当に単独犯人であるか、種々の本などで異論が唱えられたのと異り、キング牧師を狙撃した犯人が暗殺を本当に実行したのかどうかについて、あまり異論がなく、疑問が唱えられていない。しかし、ごくわずかだが、キング牧師暗殺の資料があり、それを参照してみると、暗殺犯について大いなる疑問が湧き、検証してみる必要があると思われる。以下について資料を参考にした上で、私自身のキング牧師の暗殺現場ロレーヌ=ホテルでの現場検証捜査を記し、かつ、キング牧師暗殺犯が囮にされた犯人で、実際の犯人が至近距離から撃った可能性について述べてみる。
   (一)史料による暗殺の検証
 まず、キング牧師暗殺の経過を簡単に述べてみたい。一九六〇年代に、アメリカ、テネシー州メンフィス市では、市の黒人下水道局の清掃夫達が低賃金で劣悪な労働条件の下にあり、なかなか改善されずにいた。そこで黒人労働者達は、一九六八年三月、労働条件改善と黒人の労働者組合設立を求め、ストライキに入った。しかし、市長はそれを拒否し、ストの黒人を解雇し、非スト黒人を残し、白人の労働者を代わりに雇用したので、黒人労働者達は市内でデモ行進を行い、警察官と衝突して投石が行なわれ、暴動寸前に至った。
 そんな状況下、地元の教会関係者や黒人の南部諸州のキリスト教団体やその中心の南部キリスト教指導者会議(SCLC)が、黒人労働者を支援する動きを示していた。
 キング牧師は三月二十八日にメンフィス市入りし、教会で演説した後、ロレーヌ=ホテルに投宿し、彼が同年四月二十三日メンフィスで「貧者の行進」を計画し、支援者の黒人牧師、ラルフ=アバネシー牧師、ジェシー=ジャクソン牧師、そして後の国連大使、アンドリュー=ヤング氏と計画について話し合っていた。その間、連邦地方裁判所は、政府の求めでキング牧師達の行進を禁止する命令を出すべく、キング牧師に出頭命令書を裁判所書記官が手渡していた。(P29‐P81) ※ジェラロルド=フランク著・木下秀夫訳、「キング牧師暗殺事件―あるアメリカの死」 早川書房 昭和四十八年初版 洋書名 �GEROLD FRANK AN AMERICA DEATH WILLIAM MORRIS AGENCY�一九七二を参照した。文の下にカッコで頁を記す。以下も同じ。 キング牧師は一九六八年四月四日、宿泊先のロレーヌ=ホテルの三〇六号室前のバルコニーの所で、前の道、マルベリーストリートの向いの丘の上にあるサウス=メインストリート四一八︱三、労働者用簡易宿舎、間貸屋の5B室の浴室の窓から、同室に宿泊していた、エリック=ゴールトによって、ライフルで後から右アゴを撃たれたとされている。(後の捜査でゴールトはジェームス=アール=レイが本名だと判明)
 キング牧師がロレーヌ=ホテルのバルコニーでアール=レイに撃たれるまでのレイの生い立ちと、犯罪の前歴について、そして暗殺に至るまでの移動経過について触れてみたい。
 アール=レイはミズリー州の小さな貧しい村でアイルランド系アメリカ人の極貧の家庭に生まれた。家の回りには、同じく極貧の白人達が住んでいた。レイの家庭では一日わずか七十五セントしか食事に回せないほど貧しかった。そして、レイの回りの白人達は、白い肌を持っているということが、同じく貧しい黒人より上であるという誇りがあった。
 レイは学校をわずか一年ぐらいで落第し、兵役に就くが、能力不適応で、早くに除隊することになる。その後、レイは金めの物を奪う犯罪を重ねることになる。一九五二年から五九年までの間に、強盗、タクシー強盗、詐欺、強盗殺人を犯し、二度刑務所に収監されていた。キング牧師暗殺の前までは、ミズリー州ジェファーソンシティーの刑務所に収監されていた。
 その独房は、黒人に対して憎悪をいだく多くの白人達が収監されていた。レイは白人が貧しいのは、黒人が貧しさから脱出しようとして、白人の職を奪うことになるからだと思い、黒人を憎むようになった。そして、獄内で「キング牧師を殺せば多額の奨金を得られる」という噂を吹き込まれる。レイはキング牧師を暗殺すれば報酬が得られると信じ脱獄する。その方法は、脱獄が厳重なはずのところ、パンを運ぶカートの中にレイが隠れ、監獄の外に出て、近くの鉄道の線路沿いに歩き、アラバマ州バーミンガムで中古車のムスタングを買い、家族のいるシカゴへ行き、二人の兄弟と会うことになる。極貧の生活をしていた家族は、ポルノをやろうとしていたが、レイはキング牧師暗殺をほのめかす。
 その後、アール=レイは、カナダのモントリオール、メキシコで売春婦と過ごし、ロサンゼルスに四ヶ月ほど滞在する。ここでレイは、ダンスを習ったり、カギ師の職業訓練やバーテンダーの学校を出たり、出所後の手に職をつける行動を取っている。そしてキング牧師がロサンゼルスで演説したのを聞き、キング牧師の住むアトランタに住居を移し、暗殺の機会を待った。三月になって、アラバマ州モントゴメリーへ行き、スコープ付きのライフル銃を買い、三月二十八日にメンフィス市に入り、市内のモテルに宿泊し、監獄から持ち出したトランジスターラジオでキング牧師がロレーヌ=ホテルの三〇六号室に宿泊していることをつかみ、暗殺の数日前に、向い側の労働者用間貸屋の一室を借り、暗殺に備え、近くで双眼鏡を買い、キング牧師を浴槽の窓から監視していた。そして暗殺を実行した。
 ゴールト(レイ)が犯人とされた根拠はいくつかある。まず、ゴールトの名が宿帳にあり、キングが撃たれた時間帯に5B室浴室からライフルのような布に包まれた物を持って出て来たのを隣人に見られている事(P134‐P136)。さらにそれを持ってかかえて宿の外へ逃げ去ったのを目撃され(P295‐P296)、同間貸屋の近くの店からレイ所有のアラバマ州ナンバーの白いムスタング車に乗って逃げたのを目撃されている事(P131)。そして、ゴールトは前の日に別のホテルに投宿し、メンフィスに犯行時にいたことのアリバイがある事(P307)。近くの銃砲店でケース入りのライフル銃を購入したのを目撃されている事(P90)。また、近くのバーでゴールトが黒人二人によって目撃されている事(P138)。同じ銃砲店の前で間貸屋宿で目撃されたライフル銃が店先に破棄されていた事などである(P131‐P132)。
 キング牧師暗殺者の捜査は、まず幾人かのメンフィス市警の警察官が駆けつけ、非常線を張った。そして、キング牧師が黒人運動を支援をし、当局が取り締まっている重要人物なので、FBIが暗殺犯を全国的手配をした。捜査の過程でゴールトなる人物は、前年の三月にミシシッピー州の刑務所を脱獄したジェームス=アール=レイである事が判明し、セントルイス、ニューオーリンズ、ロサンゼルス、メキシコなどへ移動して暗殺の前にメンフィスに入り、暗殺を決行後、白のムスタングでアトランタへ行き、その後バスでカナダへ行き、偽名の偽造パスポートでロンドンに渡り、さらにポルトガルから白人主義者の国アフリカのローデシアに行こうとしたが、アフリカ行きの船がすでに出航していて、仕方なくロンドンへ戻った時、アメリカの司法当局の共助手続きによりロンドンで拘束されメンフィスに護送され、州の裁判所で刑事起訴された。
 裁判に於ては、レイが実行犯としては疑惑があるので弁護士が公判で反証しようとしたが、レイは取り調べでラウルという人物に多額の報酬で依頼され、単独犯として殺人を行ったと認めたが、三日後に否認し、裁判で争ったが、九九年懲役刑に自ら服した。そして一九九八年に獄中で死亡した。
 ところがレイが犯人として疑わしい根拠がいくつかあるのだ。レイが向い側の間貸屋の浴室から撃ったとする証言が確実でない事(P307)。それにレイの公判担当の弁護士の依頼で探偵が森でヤギをキング牧師に見立てレイが撃った同じ角度から撃った所、角度から言ってキング牧師殺害は不可能だという結論を持った事(P292)。また、キング牧師を病院に車で運んだ人々の話では、同氏は右アゴに穴があき、体の方々に複数の被弾痕があった事(P294)。この事は色々な角度から撃たれた事を示す。また、ホテルの斜向い側の消防署員の妻が、ロレーヌ=ホテルの内部から撃ったのを見たという証言(P294)。間貸屋のウラの茂みの中で撃って逃げた別の白人がいたとする証言がある事である(P295)。さらに、キング牧師が撃たれた時、すぐに掛け寄って介抱したナゾの白人がいた事(P117)。これらの証言は公判で取り上げられなかった(P301)。
 他に、ライフル銃の弾丸がキング牧師の体内を貫通したものであるという科学的証明がなく、指紋も一致しないなど(P292)。
 このようにキング牧師の暗殺犯をレイだと断定するには大いに疑問がある。       (二)筆者(黒田昌紀)によるキング牧師暗殺現場捜査検証
 筆者は昭和五十八年十二月より翌年一月末までキング牧師の暗殺現場、以前から黒人が主として泊まるロレーヌ=ホテルに滞在した。当時筆者はメンフィス州立大の歴史学の博士課程に在籍中であった。
 同ホテルは昭和三十年代に繁華街であったミシシッピー川沿いの土手の高い所にあるメインストリートから一区画入った、消防署の角を曲ったマルベリーストリートにある。
 同ホテルの間取りは次の通り。通りから入って左手に受付のガラス張りの開き戸のある事務所があり、その上がジャズアーティストBBキングが泊ったシャンデリアの特別室がある。その右手にプールがあり、奥に広い駐車場があり、その奥に二階建てのモテルがある。二階建てで下は二〇一号室から二一五号室、上に三〇一から三一五号室があり、鉄の手すりがあり、下に向う階段があり、二〇七号室の所、そして二一五号室の所にあった。二階は部屋の前がバルコニーになっている。キング師のいた三〇六号からバルコニーは、三〇七号室が一部屋分奥に引っ込んでいるのでカギ形に曲っていた。キング牧師は上の三〇六号室に泊まり、暗殺後はこの部屋をガラス張りし、花輪が飾られた記念館になっている。筆者は下の二〇五号室に滞在した。モテルの左手は、旧ホテルでうす茶のレンガ作りで、従業員などが滞在していた。
 当時いた人は、黒人の経営者のウォルター=ベイリー氏と兄のオーティス=ベイリー氏、すでに二人共六十代の黒人で、他に料理人のスコービー、受付のジャッキー=スミス、若い黒人の売春婦二人とカルヴィン=ブラウンがいた。筆者は同ホテルで料理を作ってもらって、この人達と一緒に食事をしていた。
 さて暗殺についての検証であるが、私が現場検証による捜査をした結果、レイが犯人ではない疑いがある。向い側のレイが撃ったとする労働者用の間貸屋は、当時すでに廃屋、空家になっていたが、入口から入りレイが撃ったとする5B室の窓からロレーヌ=ホテルのキング牧師の部屋を覗いてみた限り、レイがキング牧師を暗殺するのは角度から不可能であると思われる。その理由は、レイがいた部屋から見てキング牧師の三〇六号室は右斜め水平に約四十五度、垂直に三十度から四十度の角度になる。直線で約二百フィートの距離である。そこからキング牧師のアゴを撃つのは可能であるが、弾丸は斜め上の方からなので、首を貫通していなければならないが、後で述べるように遺体の写真では、そのような形跡がない。また当時のメンフィスの写真屋アーネスト=ウィザース氏の撮った写真によると、倒れ方が不自然である。キング牧師のいた三〇六号室は三〇七号室が一部屋分奥へ引っ込んでいるので、前のバルコニーがカギ形に曲っていて、キング牧師は道の方へ足を向け、三〇七号室への三〇六号室の横の壁に沿って倒れているのだ。もしレイが道路向い側の労働者用間貸屋の浴室から撃ったなら、キング牧師は部屋のドアの所で撃たれ、ドアに寄りかかり仰向けに倒れるはずである。
 そして当時、経営者のウォルター=ベイリー氏に、キング牧師が柩に入った未発表の写真を見せてもらった限り、葬儀屋の死体手術で整形されていたが、書物で言われているように右アゴが砕けておらず、左アゴに下からつき上げるような弾痕があった。このことは、二〇八号室の前の駐車場あたりから上へ、横斜めからキング牧師を撃ったことを示している。するとレイ以外に致命傷をキング牧師に与える弾丸を撃った者がホテルの敷地内にいる事になる。そしてキング牧師の死体には数ヶ所の弾丸による傷がある事から、道を挟んだ向い側の労働者用の間貸屋の茂みから撃った人間がいた可能性もあるし、キング牧師をすぐに介抱した白人が至近距離から撃った可能性もありうる。また。ロレーヌ=ホテルの敷地内にいたキング牧師に反対する黒人が撃ったかもしれない。
 レイは向い側の間貸屋の浴室から発射をしたのは事実であろう。その点、暗殺直後のキング牧師の倒れた三〇六号室でヤング氏やジャクソン師などが向い側の間貸屋の窓の方を指差している写真が残っている。しかし、囮の発射で、実際には別の者が至近距離からアゴを撃ったのだろう。
 そのような暗殺の背景には、流星群十二号のケネディー大統領の暗殺に関する作品で、ケネディー、マルコムX、ロバート=ケネディー、ウォレスの犯罪は、FBIの陰謀と述べたが、手口が共通していて、逮捕された犯人アール=レイは囮で、実際の犯人は至近距離で撃っている可能性がある。キング牧師の暗殺もレイに発砲させ、実際には同時に二〇八号室のあたりと、間貸屋の外の茂みからも撃っている可能性が高い。      (三)キング牧師暗殺に関するFBIの陰謀の可能性について
 キング牧師暗殺の裏にはFBI長官エドガー=フーバーの陰謀が感じられる。
 FBIにとって、キング牧師がメンフィスを訪れ、三月二十八日のメンフィス市の清掃局職員のストライキをした時に、それに参加し、結果的に警官隊と衝突し、小暴動化し、さらなる支援活動として来たる四月二十三日にメンフィス市に於ける貧者であり、かつ、低賃金労働者である黒人の清掃局職員を支配し、「貧者の行進」を実行しようとしていたことが大変な脅威であった。
 前年から、キング牧師の弱者黒人を支援する闘争の方針に変化がみられた。それまではキング牧師は、レストラン、駅、学校、劇場などの公的な場所で、黒人を白人と共同使用させるのを引き離し隔離する制度に反対し、抗争するやり方から、貧しき人々にデモや行進をして貧困を根本的に改善するために、政府に貧困改善を求めるという「貧者の行進」を進めようとしていた。
 前年の一九六七年十二月に人々の前で講演をし、黒人ばかりでなく、貧しい白人やメキシコ系米人など貧困に喘ぐ人々、総てをワシントンに集結させ、政府に極貧を根本的に改善する改革を求めようという「貧者の行進」を、翌年一九六八年一月に行うことを計画していた。
 そんな時に、三月にメンフィス市に於て、市の黒人清掃局労働者のストライキが起った。彼らは八十五セントという時給よりも七十セントも下回る低賃金しか支払われず、さらにゴミを掃する仕事にも拘わらず、風呂で体を洗う設備が供給されず、ウジが付いて、バスにも乗れず、歩いて帰宅していた劣悪な労働条件にあった極貧の黒人が、メンフィス市長に改善を要求したが受け入れられず、市長の反対にも拘らずストライキを行ったのを、キング牧師はメンフィス市に於ける「貧者の行進」として支援したのだった。
 結果として、警官隊と衝突し、小暴動を起こした。そして、さらに四月二十三日には、裁判所の禁止命令書を受け取っていたにも拘らず、それを無視してさらに「貧者の行進」をメンフィスで実行することをFBI長官フーバーは大変懼れていた。
 それまで、一九六五年のロサンゼルスの暴動や、一九六七年のミシガン州デトロイトやニュージャージー州ニューアークでの黒人の放火や略奪による大暴動が起きて、社会の脅威になっている背景で、キング牧師が裁判所の命令を無視して、さらなるメンフィス市に於ける「貧者の行進」を決行することは、ストライキの時、すでに、警官隊との間で小暴動となっているのに、さらなる黒人による大暴動がメンフィス市で起き、全米に黒人による大暴動を誘発しかねない。フーバー長官は、この暴動が全米に於ける黒人革命とも成りかねないと憂慮した。
 それ故、キング牧師を何とかしなければ、このまま放置すれば取り返しがつかないと思い、秘かに暗殺しなければならないと、計画した可能性がある。そこで、FBIフーバー長官は、暗殺する実行犯として、アール=レイを選び、労働者の間貸屋宿泊所B5号室の窓から、向い側のロレーヌ=ホテルのバルコニーに出たキング牧師を撃たせ、実際には別の真の暗殺者を用意し、近い所からキング牧師に向け撃たせ、暗殺させたのである。そしてアール=レイは囮の暗殺者として逃がし、指名手配にし逮捕したのだった。
 ちょうど、ケネディー大統領暗殺の時に、実際には別に撃った者がいるのに、教科書会社のビルの六階からオズワルドが単独で撃ったとして囮の犯人として逮捕されたのと同じやり方である。
 アール=レイがキング牧師暗殺犯の囮の実行犯として、仕立てあげられたと思われる状況的証拠が幾つかある。
 まず第一に、アール=レイが貧困な生い立ちを持ち、白人として黒人に対して強い偏見を持っている人間として選び、キング牧師に対して暗殺する動機を持つ者として、囮の暗殺者として仕立て上げたのだ。刑務所でアール=レイを黒人に偏見を持つ白人が多く入った独房に入れ、「キング牧師を暗殺すれば名声と報奨金が貰える」などと噂を立て、吹き込み、アール=レイにキング牧師暗殺の動機つけをしたのも、意図的にFBIが刑務所に働き掛け、行ったものと思われる。ちょうど、オズワルドがソ連にいた経験や共産主義者の活動をさせ、ケネディー大統領暗殺犯として仕立て上げられたのと似ている。
 第二に、アール=レイが脱獄が大変難しく不可能に近い刑務所をいとも簡単に脱獄している点である。パンを運ぶ荷車に刑務所内で隠れ、容易に発見されず脱獄しているが、警備が厳重な刑務官が気が付かないはずがない。これは、FBIが刑務所側に圧力を掛け逃がした疑いが大きい。
 さらに、脱獄しても脱獄犯として刑務所も警察も、指名手配をせずに積極的に追跡をしなかったことだ。これはFBIがアール=レイを囮のキング牧師暗殺犯として仕立てるために逃がし泳がした可能性が高い。不審なのは、アール=レイが脱獄後逃亡するため、中古車のムスタングを買ったり、暗殺実行までの間だ一年ぐらい全米、カナダを転々と移動した資金として五千ドル以上所持していた事である。FBIはこの点に関してはラウルなる人物から、アール=レイは多額の報酬を受け取って、キング牧師を殺害した共同謀議であるという捜査結果があるにも拘らず、アール=レイの公判ではそのことを否定している(P330‐P340)。ラウルなる人物は架空の人間で存在せず、FBIがアール=レイを単独暗殺犯に仕立て上げるための陰謀を企てた疑いがある。これはFBIが暗殺資金を用意して、アール=レイに提供した可能性が高い。
 また、前述のように獄中に於て、「キング牧師を暗殺すれば名声と報酬が得られる」とアール=レイが洗脳されたとしているが、レイにははっきりとしたキング牧師を暗殺する動機がまったく見当たらない。また、このことについて公判でも立証されていないのだ(P308)。この点についてもFBIが、アール=レイを暗殺犯に仕立てあげる陰謀を感じる。
 さらに、アール=レイが暗殺犯人でないではないかと疑わせるのは、レイが暗殺時にいたとする間貸屋のB5室にいなかったとする疑いや、暗殺後、犯人はムスタングで逃げ、アトランタで乗り捨て、バスでカナダへ逃亡した人間はレイではなかったという証言がある。にも拘らず、公判でテネシー州政府の圧力で証言されなかった。これもFBIが証言を差し止めるよう、州政府に圧力を掛けた陰謀の疑いがある。FBIがキング牧師を消防署の所から二人の黒人によって、暗殺前から監視させていたのも、FBIが暗殺を企てた傍証とも言える。(P70‐P73)
 最後に、キング牧師以外のもう一人暗殺の犠牲者がいた秘話を紹介したい。キング牧師が暗殺されたホテルの経営者、ウォルター=ベイリー氏の夫人は、八分の一黒人で白人の血が強い、ルイジアナ=クリオール人であるが、キング牧師が被弾し、倒れるのを見て、ショックでクモ膜下出血を起こし倒れ、病院で数日後に亡くなっている。夫人の遺品が、三〇六号室の記念館に飾られている。なお、キング牧師の暗殺されたロレーヌ=ホテルは、建物を残し、アール=レイが撃ったとされる道路の向い側の労働者間貸屋と、消防署と共に、大きな立派なビルを建て、国立公民権博物館になっている。一九九三年の設立であった。
  その他の参考資料
 プレミアム(文化・芸術 世界史発掘)時空タイムズ=キング牧師暗殺の謎に迫る。 二〇一〇年十一月二十三日、NHKハイビジョン放送 ゆらり散歩、世界の街角、メンフィス 二〇一一年五月十四日 BS・TBS放送

(流星群第26号掲載)