松井秀喜選手の引退会見のウラにある事情を推理する

 平成二十四年の十二月に入り、巨人、メジャー=リーグのヤンキース、カリフォルニア=エンジェルス、そしてダイヤモンドバックスの3Aと渡り歩いた松井秀喜選手が、半年ほどの沈黙を破り、突然、表に現われ、自身の引退の記者会見を開いた。記者を前にして、身の振り方として、二十年の野球人生に終止符を打つ旨を宣言したのである。
 二〇一二年の六月頃成績不振からダイヤモンドバックスからも契約解除、フリーエージェントされ、日本球界復帰も噂されながら、本人はあくまでも、メジャーリーグでプレーすることを目ざし、それ以後プレーする球団も決まらず、松井選手の動向は報じられず、忘れ去られた存在になっていた。
 ところが、十二月に入って、突然の記者会見を開いたのである。引退すると宣言したのだ。それも切望していたメジャー復帰してプレーすること、日本球界に復帰することも決まらず、又は今後の身の振り方、例えばテレビ解説者になることも、又コーチになることも決まっていない時、つまり中途半端の時に、突然の引退発表会見なのである。将来の不安が残るはずなのに、松井選手の会見での表情を見ていると、あたかも将来が約束されているような安心感と、引退のプレッシャーから解放された安堵感が見え、リラックスした気分で、時には微笑みを浮かべ、丁寧な言葉で、慎重に言葉を選びながら記者の質問に答えていた。
 他のプロ野球で活躍した選手が引退会見をした時も、見たことがあるが、同様に選手時代の練習の厳しさや実戦のプレッシャーから解放された安心感は誰もが表情として持っていたが、この人達は引退するに当たり、コーチや野球解説者の職が決まっていることが多く、その就職できた安堵感も含んで、さばさばした気持を表わし、引退の記者会見の質問に答えていたものだ。
 しかし、松井選手の引退会見を見ていると、まだ今後の就職先も決定していないのに、そして、現役にも未練があったにも拘らず、満足した表情と微笑みを浮かべ、言葉を意識して丁寧にし、記者の質問に対して、随所に言葉を慎重に選び、優等生の答えをしていた。その答え方もあらかじめ用意して置いたかのような不自然さがあった。メジャー=リーグに移籍後の松井秀喜は、初めの数年間は記者によってインタビューを受けるときは、アメリカ人記者に対しても、日本に於けるような、言葉を選び、都合の悪いことは避け、当たり触りのない言葉で応答していたが、とりわけ日本人の記者に対しては優等生の応答をしていた。これは日本の社会では、思ったことをハッキリ言えば、「アイツは態度が悪い」とか、「アイツは選手の資質が欠ける」とか、「良識が欠けている」とか悪者にされるので、思ったことを控え、体裁のいい言葉を選んで遠慮ぎみな言い回し、つまりタテマエを言わなければならない。とりわけ地位のある人は、立場に合わせたそつのない言葉使いをしなければいけない。野球選手も例外ではない。
 このような日本の習慣により、思い切り意見を言えない日本で、プロ野球選手はフロントから、相手の顔色を窺い、記者の質問に当たり触りのない言葉で対応し、「アイツはこう言った」と非難されないような受け答えをするよう指導を受けている。  松井選手も例外でなく、巨人にいた時やヤンキースの初めの数年は、アメリカ人記者にも日本人記者にも慎重に控え目な言葉で取材に応答していたが、ある時、ミーティングでヤンキースの監督に「監督に対して欠点を言って見ろ」と言われ、恐る恐る批判的に言ったら、「うん、参考になったよ」と言われ、安堵した。その際、松井は日本人記者に「こんなことを巨人で言ったら、監督批判の罰で百万円以上の罰金だよ」とコメントしていた。その後、上腕部を骨折した後、アメリカでは十分な言論、思ったことをズバリ正直に、気配りせずに記者のインタビューに答える習慣に慣れたのか、松井選手は日本人の記者の取材を受ける時、ゴジラらしいドスの効いた声で、かなりズケッとした言葉で受け答えしていた。
 ところが、引退会見の松井選手の記者を前にした応答は、言葉使いに気を付け、笑みを浮かべ、満足そうにした微笑さえも出た優等生会見であった。この松井選手の引退の裏側には、渡辺恒雄オーナーの影が見え、巨人との密約が存在するように見える。
 その根拠として、引退会見で、記者の「野球人生での一番の思い出は何か」という問いに、「巨人に入団した時に、長嶋監督につきっきりでバットを一緒に振ってもらい、指導してもらったことです」という言葉が出たことだ。他の野球選手の引退会見を見た限り、殆どの選手が初めてホームランを打ったこととか、タイトルを取った時とかを一番の思い出としていた。松井にも初めてホームランを打った時とか、ワールドシリーズでMVPを取ったとか、戦績の思い出があるはずである。しかし、敢えて入団時の長嶋監督とのことを一番の想い出として挙げた。この言葉の裏側には、巨人との密約が存在するように思われる。それも渡辺恒雄オーナーとの水面下に於ける交渉により、将来巨人の監督にするという内容があり、松井秀喜は日本での復帰し、どこかの球団でプレーする意志もあったのだが、すんなりと引き際、時期を選び、十二月の引退会見となったのだ。記者会見を行った松井の美学ともとられていたのだ。
 渡辺恒雄、巨人オーナーにとって、松井秀喜を巨人に生え抜き監督として迎えなければいけない事情があった。現在の原監督で、平成二十四年現在、ここ数年優勝したりして実績も残し、順調であるにもかかわらず、かつての巨人人気も陰り、テレビの視聴率も上がらず、ゴールデンタイムの巨人戦の放送も、BS日本テレビでかろうじてやっている有様である。そこで何か巨人人気を回復する方法を考えなければならない。また数年後の原辰徳監督の後釜についても、そろそろ考えなければならない。そこで、次期監督候補として、この渡辺恒雄オーナーの条件に叶ったのが、巨人より格上のメジャー=リーグの名門ヤンキースでそこそこの活躍をし、ワールド=シリーズでもMVPを取った名声のある松井秀喜だったのだ。
 一方、松井選手にとっては、あくまでメジャー復帰をめざしていることを前提に、ダイヤモンド=バックスを契約解除された後、選手活躍を続けたい未練があったのが、メジャー復帰は難しいので当然、水面下では日本のプロ野球球団と交渉していたことは間違いないだろう。
 スポーツ紙の報道では、松井選手の阪神タイガース入りが進展しつつあった。これは、松井選手にとっては自分の方からは巨人へ選手として復帰したいとは言えない。それは巨人からヤンキースへ移籍した時、渡辺恒雄オーナーがあくまでも巨人に留まる意向で、「松井君は巨人で永久にプレーしてくれることを信じている」と言っていたのに、それに耳を傾けず、ヤンキースへ入団したのだ。しかし、あくまで渡辺オーナーの恩情があったので、対立というほどではないが、巨人の意向を無視して出て行った形でヤンキース入りしたのである。
 一方、巨人、渡辺オーナーとしても、「出て行った」形の松井を、体面上、面子上、「帰ってこいよ」とは表面的には言えない。そこで阪神が松井を取ろうとし、その人気で阪神タイガースのブームを作り上げようとしたのである。衰えたと言っても、両膝を手術した今の松井でも打率三割、二十五本塁打は可能だと言われている。守備はあまり動かないファーストを守らせれば良い。メジャーの名声のある松井が阪神に入ることは、阪神にとって至福である。とりわけ対巨人で打ってくれることは阪神ファンを熱狂させるからだ。
 松井の阪神入りとそこでの活躍を一番恐れ、忌み嫌っているのが、巨人の渡辺恒雄オーナーである。言うまでも無く、阪神の選手として巨人戦で巨人出身のメジャーリーガー松井に猛打され、伝統の一戦で敗戦に追い込まれたら、巨人は大変な屈辱を受ける。「ゴジラ松井」にジャイアンツが破壊されるようなものだ。たまったものではない。
 さらに、松井が阪神でプレーすることは、将来の巨人の監督になる条件、資格を失うことになるのだ。つまり、巨人、ヤンキースと栄光のある松井にとって、国内の他球団阪神でプレーすることで、巨人の生え抜き監督候補としてキズ物になるのだ。巨人には創設期から現在まで、監督になる条件として厳然とした不文律がある。巨人の監督になる人物は、巨人の生え抜きの大選手でなければならないというものだ。生え抜きであっても、成績が低かったり、地味で守備の人も巨人の監督になれない。人気が上がらないからだ。そして大選手であっても、他球団にトレードされた選手や他球団でコーチ、監督をやった者は巨人の監督になれない。プロ野球の創設球団で球界の盟主、巨人の聖なる空気を他球団の汚れた空気を吸った者に汚されてはならないからだ。過去に古くは他球団に移籍したスタルヒン、呉昌征、千葉茂、南海出身だが生え抜き扱いだった別所毅彦、そして最近では森祇晶、広岡達朗、高田繁、高橋一三、中畑清、西本聖、駒田徳広などは他球団でプレーしたりコーチや監督をしたので、巨人ではコーチにはなれるが監督になれない。江川卓も入退団で問題を起し、阪神からトレードされたので監督になれない。例外は昭和五十年、秋山登監督下で大洋の投手、コーチをした藤田元司だけだ。
 また、他球団で監督をした者でも、巨人はコーチにしかしない。これは他球団で監督をした者を巨人生え抜きの監督の下に従え、球界の盟主巨人の監督は他球団の監督より上であることを示しているからだ。山内和弘、中西太、武上四郎などは、この例である。
 しかし、他球団出身の者も考慮に入れたことはある。王監督の後の古葉竹識、横浜大洋ホエールズの監督に就任する前の須藤豊、そして堀内恒夫の後任に星野仙一が監督として候補に上ったことがある。適任者が生え抜きに見当らない時にちょっと考慮された。
 巨人の大物選手が他球団でプレーしたと言っても、日本より格上のメジャー=リーグは別である。松井の場合、名門ヤンキースでの実績があるので、巨人の監督にはうってつけである。かって渡辺恒雄オーナーは記者の質問に、「イチローや野茂は将来巨人の監督にしますか」の質問に、「それは考えるな。但し、高橋由伸の後が良いな」と言明している。メジャーでの大選手ならば、日本の他球団出身者でも巨人の監督にするということだ。
 そこで渡辺オーナーは、松井選手が阪神タイガース入団へ動いていたのを阻止すべく、水面下で交渉したのだ。先述のように巨人を出て行った松井選手に渡辺オーナーの方からは声を掛けられない。そこで公私で親しく松井選手に近く、脳梗塞を患った後も、メジャー=リーグへ行っても電話などでアドバイスをしていた長嶋茂雄氏を仲介させ、まだ阪神でプレーをする意欲があった松井に、選手を続けることを断念させ、引退させる見返りに将来の巨人の監督を保証する密約を与えたのではないだろうか。実力の低下した松井は、巨人では選手として使えないからだ。
 かつて渡辺恒雄オーナーは、長嶋監督がやめる時にもこれと同じようなことをしている。長嶋氏を永久にジャイアンツの職員である球団重役待遇の終身名誉監督にしておいたのだ。これは渡辺オーナーが、引退後、自由の身になった超人気のある長嶋氏に他球団、とりわけセリーグの球団でライバルの阪神タイガースの監督になられるのを一番嫌がったのだ。それゆえ、丁度犬が逃げられないように鎖でつないでおくように、長嶋氏を永久職員として巨人に縛りつけておいたのだ。後に長嶋氏は脳梗塞で倒れたが、もしこの時だったら終身名誉監督にしなかっただろう。健康上、阪神など他球団で監督はやれないからだ。
 巨人サイドで、長嶋氏を介して渡辺オーナーに将来の巨人の監督のポストを密かに約束された松井選手は、きっぱりと現役続行をあきらめ、巨人側が設定したであろう良いタイミングで、十二月を選び、引退会見をしたのだ。会見での松井の表情は晴れ晴れとし、満足した表情で笑みを浮かべ、言葉を選び、優等生の言葉使いで記者の質問に答えていたのだ。そして、「松井選手にとって野球人生で一番の思い出は何か」と聞かれた答えとして、巨人やヤンキースでの活躍を胸にしまいつつ、「巨人に入団した時に長嶋さんにつきっきりで、バットを振ってもらった」ことを記者に答えたのも、将来の巨人での監督を約束すべく渡辺オーナーに密かに仲介してくれた長嶋茂雄氏に恩を感じ、感謝の気持を表わしたものと推察される。

(流星群だより23号に掲載)