北朝鮮軍事問題に於るマスコミ報道や軍事専門家の盲点

 マスコミの報道は、客観的事実に、各マスコミが持つ主観的意見を混ぜながら政治、経済、外交、社会面など、日々起こる出来事を他のマスコミ各社と報道の早さを競いながら、詳細に報道し、市民に知らしめている。
 しかし、多くのマスコミが、ニュースになる出来事を忠実に報道していても、もう少し突っ込んだ、穿った見方をすると、なる程と思われる事が、その報道の中で論じられない事が多くある。また、その、なる程と思われる事が報道する者の曲解で見落される事が多い。それについて、北朝鮮の外交や軍事問題などを例に挙げ、指摘してみたい。
 まず、北朝鮮の政治首領金日成、金正日親子が外国へ訪問するのに列車でロシアや中国にしか行かず、それ以外の国へは飛行機で外交的訪問をしなかったために、日本の各新聞は「金親子は飛行機嫌いだ」というのを定説にしている。確かに、朝鮮の人民共和国建国の父金日成は、昭和三十年代からアメリカや欧州西側諸国と冷戦で対立していたソ連(現ロシア)と、当時中共と敵対的名称で呼ばれていた中国へ、時たま必要に応じ、自ら列車に乗り、これら二ヶ国の首脳と共産党の大会に出席したり、党の原則である共産主義思想の意見交換したり、外交交渉を自ら行っていた。長い列車に多くの党や政府首脳、そして信頼できる多くの側近や警護官を乗せ、厳重な警備の基にソ連と中国を訪問していた。決してそれら二国以外の遠い国々、アジア諸国やヨーロッパの諸国へは、たとえ外交的交渉の必要に迫られている時でも、自ら飛行機では行こうとしなかった。代わりの者を使者として航空機で派遣したり、相手国の首脳に北朝鮮に来てもらったりしていた。もっとも、北朝鮮の場合、共産主義と資本主義の対立で、中ソ以外のそれらの国々とは限られた外交しかしなかったが。このやり方は、金日成書記が没し、一九九四年に党務や政権を引き継いだ息子金正日にも受け継がれていた。
 この列車による中ソ二国外交の傾向を見て、日本の新聞等は金書記親子は飛行機を怖がって嫌いだから列車で中ソ二国しか訪問しないという、曲解した定説が生まれたのだ。
 しかし、この列車外交のマスコミによる定説はまったくのウソなのである。「飛行機が嫌だ」という説明は誤りである。そのウラには警備上深い意味がある。前述のように北朝鮮は小さな共産主義国で中ソ二国に経済的にも依存しているので限られた外交しか行わないが、たとえ、飛行機でアジア諸国へ外交的訪問をしたくても行けないのだ。もし、それを行なえば、すぐに軍部の戦闘機が飛んで来て、離陸した金書記の航空機を攻撃し、撃墜し、簡単にクーデターを起こすチャンスになるからだ。超独裁者である金書記親子は、軍部にも内心、強い反抗心を起こし、いつ反乱してもおかしくはない。そのチャンスをいつも狙っているのだ。飛行機で行くことは、その機会を与える、つまり、クーデターを起こすことのできる、アキレス腱なのだ。その事を金日成親子は、重々理解しているので、中ソのみを列車で訪問していたのだ。列車で行く時も、警護官を側近の信頼できる者にさせて、決して軍人にはさせなかった。
 日本のマスコミは、その事をしっかり分析できないばかりか、気づかずにいる。困ったものである。
 北朝鮮が出たことに関して、平成二十三年三月に起きた東日本大震災時に、アメリカ海軍が北朝鮮の日本への攻撃を想定し、早急に取った軍事配備について述べたいと思う。
 東日本大震災で、三陸沖を中心とする太平洋の海底の断層が数百キロにも渡ってズレ、地震後、断層線のところの岩盤が鋭く深く割れ、クレバスが出来る程すごいエネルギーが生じ、多くの人々が津波に飲まれ死亡し、家は流され、仕事を失い、避難生活を送っている。災害地は瓦礫の山となっている。
 この大震災が起った数日後に、アメリカ海軍は、すぐにグァムの基地から最大の空母に高速高性能の戦闘機を乗せ、房総半島の外房南部海岸沖に待機させていた。この行動は日本の防衛庁にも知らせずに行った。
 当時、マスコミはそのことを確かに報道をしたが、その軍事的な意味を深く洞察出来ていなかった。軍事評論家や防衛庁の職員でも理解していなかった疑いがある。
 アメリカ海軍が高性能戦闘機を最大数乗せて待機したのは、地震の動揺で人心が乱れ、防御が手薄になりがちな、日本海側の三県を万が一の北朝鮮の攻撃に備えるためである。北朝鮮は一九五〇年代の戦闘機ミグや中共時代の戦闘機、そして木製の羽根を機体に上と下二枚をはさみ、ワイヤー=ロープで固定した戦闘機や少しの爆撃機を保有している。大地震によって、人心は乱れ、多くの人々が災害に遭った東北三県に関心が向けられ、警察、自衛隊、そしてアメリカ軍も救助に向って集中し、注意が日本海岸に向けられない。その心理的なスキに乗じて、戦闘機と爆撃機を少い空母に乗せ、日本海か又は直接北朝鮮からスピードは今の戦闘機より遅いが飛んで来て、日本海側三県、即ち新潟、富山、石川に攻撃を加えられたら、簡単に占領されかねない。確率的には万が一だが、それに備えてアメリカ海軍は、太平洋側からでも日本海側へ高速な戦闘機で応戦し、防御出来るよう待機していたのだ。とりわけ木製の北朝鮮の戦闘機はレーダーに写らないので要注意だったのだ。それほどまでアメリカ軍は日本の防衛に力を入れているのだ。
 北朝鮮の軍事的脅威と言えば、平成二十三年九月と翌年の正月に二回、木製の小舟に数人が乗り、日本海側の能登半島と島根県隠岐島近くに漂流して来た事がそれにあたる。
 前者の方は、北朝鮮元山の軍に所属する木製の、あまり推進力を持たない小舟を夜間こっそり盗み、脱北をはかり、子供を含む家族数人で、食糧もつき、日本海の海岸にかなり近づいたところで発見され、海上保安庁に保護された。脱北目的であったので、調べの後韓国へ送られた。後者の方は、北朝鮮南部東岸の漁民が漁をしていた時、遭難し、海流に流され、島根の隠岐島沖に流れついた。結局、調べの結果、エンジンの欠陥により、遭難と見做され三国経由で北朝鮮へ帰国となった。
 脱北を志す市民や脱北を意としない漁民がこの二回の木の小舟に乗り遭難して日本近海にかなり近づいても、海の警備をする海上保安庁が気付かず、住民により発見され、通報でやっと対応したのである。
 このことは軍事上、北朝鮮の脅威を改めて思い知らされた事件で、軍事上のスキ、盲点を突かれたようなものだ。なぜならば、あまり出力のない木の小舟に、銃や爆弾を持って武装した北朝鮮の兵士が乗って来ても、日本海の沿岸近くに簡単に上陸され、攻撃を許すことになる。もし、新潟県あたりから島根県あたりまで、武装した兵士が乗った木の小舟が何艘も漂流して辿り着いたとしたら、日本の広い地域に軍事上陸され、大変な脅威であろう。日本の新聞等マスコミや軍事専門家でも、このような軍事的分析が出来ないでいる。そればかりか自衛隊や防衛庁の幹部でも考慮に入れていなかった可能性が高い。でなければ、小舟が目の前の沖に流れついても気付かないほど、防衛や海上警備が甘いはずがない。無防備な欠陥を突かれたと言ってよい。おそらく、未だそのことを認識されていないだろう。沿岸警備のより徹底が望まれる。
 木の小舟が辿り着いた二つの事例は逆に言えば、北朝鮮については軍事的には大変プラスとなる実験となった。小舟に兵士を乗せればレーダーには写らないので、漂流させても日本へ軍事進行を行なえる事が証明され、それを知ったからだ。北朝鮮の軍幹部が、この可能性について認識できたかどうかはわからない。これは筆者の超穿った軍事分析だからだ。もう一つ穿った見方をすれば、北朝鮮当局が、小舟を使って漂流させることを、脱北者や漁民を装ってウラでわざと、その軍事的目的を認識していて、偽装工作で行ったとすればもっと怖ろしいことだ。

(流星群だより21号に掲載)