平成二十三年三月十一日の三陸沖海底の長いプレートのずれにより引き起こされた大地震は、震度七を記録し、その大津波は陸の奥深くまで浸水し、多くの人々の家と財産と仕事を奪い、被災者は地元や他県の避難所で不自由な生活をしている。未曾有の大災害である。
その間に三ヶ月も過っても、阪神淡路大震災の時と比べ、政府の災害に対応すべき法案の成立が遅れたとか、多くの人々や有名芸能人などが災害のために寄付したり、義援金として送ったお金が被災者に早急に分配されないとか、多くの瓦礫が少しも撤去されないとか、国の政府に対する対応が悪いとか、様々な怒りが政府に向けられているが、これは、悲惨な被災者の不満と怒り、そして被災者以外の国民が怒りの感情を政府にぶつけているだけなのだ。
さらに、今まで経験しなかった、想定していなかった、地震による原子力発電所の崩壊による、ウランの流出による住民に対する被害についても、政府や東京電力に対して、その対処に関して強い非難を浴びせている。
しかし、この政府や原発の非難は、災害が起きて二、三ヶ月の間に鬱積した怒りの感情を爆発させたにすぎない。
阪神大震災と今回の東日本大震災は災害の規模、性質、被害の発生の仕方が違うのだ。阪神大震災の時は、陸の地層がずれた地震であり、津波も発生せず、また、海からさほど内陸地に及ばない市街地のみの被災であった。それに比べ、東日本大震災は海底のプレートのずれによる地震であったため、大津波は内陸深く入り込み、瓦礫の量も数段に多い。阪神大震災の時は広く火災があり、廃材や瓦礫が焼けたので、それを撤去しやすかったが、今回の東日本大震災の主体は津波であったため、多くの家を飲み込み、瓦礫や廃材を広い地域に流し、消失することはなかった。
そのため、それらをすべて取り除くのに十年以上も掛かるかもしれない。二、三ヶ月で簡単に取り除けるものではない。
また、原発事故は、チェルノブイリの普通の事故と違い本来予想がつかなかった、地震による原発発電所の崩壊であったのだ。東京電力の幹部、経営者、研究者や学者、監督官庁も地震による発電所の破壊は予想していなかった。地震が起きても壊れないようにと建築されていたが、未曾有の震度7もの莫大なエネルギーによって脆くも壊れた。そのため、今まで経験しなかった予想外の原子核が漏れるという未曾有の事態に電力会社が、どのような核爆発やその他の核処理をしたらよいのか対応がわからず、適切な処理が出来ずにいた。そのため、核の汚染によって避難を余儀なくされた。つまり、津波による被害者とは別の人々や、野菜や食肉に被害を受けた農家の人々から、電力会社の核の処理の対応の遅れ、失敗による失敗の重なりに、不満が爆発し、怒りの矛先が電力会社や監督する国にぶつけられたのだった。しかし、電力会社の対処のまずさは、やむをえないことであった。それまで、原子力発電にあまり危機感を持たず、電力を使い放題していた住民が、被害に遭ったら一転し原発に憎しみを向けるのもいただけない。
それ以上に、いただけないのは、大災害という非常時に、国全体がまとまって対処をしなければならない時に、野党自民党が菅内閣の災害の対処の遅れや、内閣の言葉のまずさを通し、被害者や不満、怒りに便乗し、退陣を求める不信任を出すなど政権を揺さぶりを掛け、政局混乱を招くなどやっていることがまったくいただけない。自民党のやっていることは、学校の授業で先生の話を聞かず、悪ふざけをしている悪ガキと同じである。不信任案に便乗した民主党の一部もしかりである。
そもそも、阪神淡路大震災の経験が生かされなかったのは、そのデータを将来に備えなかった当時の政権にあった自民党の責任でもあるのだから。たとえ、他の人が首相に代ったとしても、災害対処が迅速に行なわれるとは思われないから。
災害が起きてから何をしたかを見てみよう。
まず、災害の当初、自衛隊、アメリカ軍、海外の救助隊、ボランティアがやったが、あまりにも瓦礫の量が多く、処理には今後十年以上もかかるであろう。仮設住宅の普及の遅れがあるというが、阪神淡路の大災害の時のように仮説住宅の建設出来る平野でなく、山岳地もあり、また瓦礫も残り、更地にしにくいことにもよる。
その他に、被害者に何が出来たかというと、やはり以前と変らず物質的なものよりも精神的なものに重点が置かれているようだ。天皇、大臣、知事、横綱、有名アーチストなどによる被災者への訪問による慰労である。これは、菅首相が被災地を訪問した時に、被災者が避難生活に不満を怒りで示したような感情を鎮め、気晴しにはなるが、現実的には物質的な援助でなければ被災者は救えない。そのような物による援助はわずかに前記の訪問者やベトナム難民の人が仕出しをしただけである。
現実的な被災者を救う方法として、災害に遭った当時は気持の動揺があって出来なかったが、数ヶ月も過ち気持が落ちついたら、被災者の人を労働力として、国や自治体が雇用し、莫大な量の災害による瓦礫や廃材の処理作業をしてもらい、日当を支払うことである。これで被災者の多少の収入にはなろう。また瓦礫の廃材の中から民芸品を作り被災者ブランドを作り、それらを避難所やドライブイン、道の駅、ネットなど訪れる人に買ってもらうのも良いだろう。
さらに、被災した東北地方三県を復興させる方法として一番速効性のあるのは観光政策である。最近の旅行業社の発表では、被災した東北地方へ応援する人々の気持があって、夏の東北地方へのツアーの申し込みが増えているそうである。被災民以外の人々の同情もあるが、良いことである。やはり、東北地方への復興のためには、旅行で消費したお金を同地方へ持ってきて、地域的に流通させ経済活性化することは良い。その意味では平泉が世界遺産に登録されたのは追い風になる。観光客を多く東北に呼べるからだ。そのことにより、仕事を失った被災者を雇用する可能性もあるからである。その意味では、菅首相が、中国、韓国の首相を招き会談した時、被災からの復興のため、両国の観光客を来日させることは得策であった。避難生活をしている被災者の人々については、不自由な生活に疲れ果て、訪問した菅首相に憤懣の怒声をぶつけるのではなく、避難所に於て自分達で国や自治体に何をして欲しいかを話し合い、要請することが望ましい。首相に対する怒声はいただけない。
国は被災地の復興、被災者への救済資金を捻出するため、まず、救済体制を組織化するため災害救済法を通し、国に被災者救済、災害地復興するための莫大資金がないので、予算の第二次、三次補正案を通して、赤字国債を発行したり、行く行くは消費税を十パーセントにも引き上げ、災害復興資金を稼ごうとしている。しかし、これは被災者の救済資金が国にないため、被災していない国民に負担させることになり、経済低迷で収入が減っている国民全体に、さらに財政負担させ、生活をますます苦しくさせることになる。
そこで、政府や役所が考えていない被災者を救う方法として、政府がアメリカの低所得者向けに食費を補助するために発行している現金と同じに使えるフード=クーポンを国が無償で発行する。これにより国は資金がなくても、また何らかの税や国債で国民に負担をかけずに被災者の家計の大きな割合を占める食費面から支援出来るのだ。国が新たなクーポン券を印刷して発行するのだから、国は財政を使わずに済む。
そもそもアメリカのフード=クーポンとは何かを説明する。フード=クーポンとはアメリカの国の政府である連邦政府が、一定の所得以下の人に対して、低い所得だと食費が十分に家族に賄えないので、その不足した食費を国が補助し、平均的な収入のある人と同じだけの食費を払えるよう発行する、現金と同じように使える金券である。五ドル、十ドル、二十ドルとあり、フード=クーポンの受給者はスーパーや飲食店で使える。アメリカでは黒人やメキシコ系米人が低所得者に当たり、同クーポンを受給している。
アメリカのフード=クーポン発給のねらいは、所得の低い人々はエンゲル係数で低所得の中で、食費の占める割合が高く、また低所得であるため、十分な額を食費に回せない。さらに、低所得者は、平均的な収入の人々よりも子だくさんで、家族の一人当りの占める割合はきわめて少ない。そこで、もし国が食費を低所得者に補助せずに放置したら、低所得者の家族は、平均的な所得階層の人に比べ、栄養面で劣り、体力もなくなる。また食費に十分に回せない結果、体格も裕福な家族の人に比べ劣り、健康状態も大きな差が出てしまう。
そこで、アメリカの農務省は、低所得者にその所得別に応じ、フード=クーポンを与える額を決め、食費を補助している。これにより、極貧の家庭に生まれた黒人であっても、スポーツの能力のある者は、栄養面で劣ることなく、体力を生かし、野球やフット=ボール、バスケットの選手になれるのだ。
このアメリカのフード=クーポンにまねた金券を国が新たに印刷して東日本大震災で被災した避難生活している人々に、もれなく食費面で補助すべきである。被災者はお金も家もその他の資産を失っているので、食料面で金券の補助は大変な助けとなる。そして、大地震が起きてから多くの有名人や一般の人々からの寄付金や義援金はまた法整備などで給付が遅れているが、それと合わせ、また予算の一次、二次、三次補正案による補助金とフード=クーポンと合わせれば、大変な被災者への補助となる。 政府は現金を支出せず、新たな印刷したクーポンを発行すればすみ、発行は金融機関を通じて、被災者全員に給付する。現金と同じに使えても、食費のみにしか使えないので、インフレにはならない。フード=クーポンの回収は普通銀行が保有しているクーポンを日本銀行が公開市場操作による買い上げで金融調整で行えばよい。
もう一つ、有力な被災者への救済策で、国や自治体が行うべき策として、家を失った被災者に、アメリカで広く普及している移動式住宅、モービル=ホーム(MOBILE HOME)を与えることだ。現在、家を失った被災者に、遅れ気味だが仮設住宅を提供している。が、仮設住宅は永久的なものではなく、六年と年限を限って住まわせている設備にしかすぎない。ある一定期間は生活の場を提供しても、それ以後は仮設住宅より出なければならないし、建設する時も、解体する時も二重に財政資金が掛かる。無駄である。
そこで、アメリカで普及している木造の家の土台の四隅に大きなタイヤがついていて移動式の住宅モービル=ホームを被災者に国が提供すれば、半永久的な住宅を持たせることが出来る。被災者の家のあった所の瓦礫を取り除いて更地にしたとしても、資力を失った被災者は自力で新たな住宅を建てることが出来ない。政府の財政資金や義援金を基に、安価なタイヤのついた移動式住宅、モービル=ホームを提供すればよいと思われる。三月に大地震が起きた時、すぐにアメリカ政府に中古のモービル=ホームの寄贈を求めることが出来たのだが、政府や官庁にその知識がなかったのでそれが出来なかった。在日アメリカ軍も中古のものを少し提供できるかもしれない。
モービル=ホームは移動式なので、海岸のある所へ移動出来るので、ちょっとした行楽地にもなるし、また、ホームによって再建されれば、お店も作られる。さらに、自分の更地の余った敷地に、他の人のモービル=ホームを賃貸し、借地料を稼げるかもしれない。
東日本大震災の対処の仕方の反省と被災者に対する 確実な救済方法
(流星群だより20号より)