敬老の日

 「敬老の日」(9月18日・月曜日)にあって、未だ夜明け前にある。唯一の弟・敏弘を幼児のおり(生後11か月)で亡くし、実質末っ子のわが長生きを寿ぐ、親・姉・兄はだれもいない。だから、83歳まで生き長らえているわが身は、自分自身で敬うより能がない。寂しいと言うより、一抹の侘しさつのる敬老の日である。
 代替わりして、わが寂しさと侘しさを癒してくれるのは、日本列島のあちこちにいる甥っ子や姪っ子たちである。きのうにはふるさとの近在に住む、姪夫婦が送ってくれた「ふるさと便」が宅配された。事前のメールには、「庭になっている柿を送りました」と、記されていた。ところが、段ボールを開けてびっくり、下段には庭柿が並び、その中断、そして上段の諸々には、数々の市販の食品が押し合いへし合いで、詰められていた。品物のラベルには、「道の駅・七城」と、印されていた。七城とは、送ってくれた姪夫婦が住む(熊本県菊池市)、最寄りの地名である。品物は、生栗、サツマイモ、高菜漬け、金山寺味噌、ほか「くまもん」表示の食品および駄菓子類の数々である。
 このところの私は、過ぎ行く夏に未練を残していたら、飛んだいたずらかいたずらオマケに、夏風邪をひいてしまった。タイガースの優勝で、いくらか憂鬱気分直しはできたけれど、それでもいまだにそれを引きずっている。挙句、私は、文章を書く気力を喪失していた。だから、きのうのふるさと便は、カンフル剤の役割を果たし、ようようこの文章に漕ぎつけたのである。しかしながら、敬老いや年齢相応に、体力および気力共に、衰えている。対症療法の薬剤には、市販の「コルゲンコーワ、鼻炎カプセル」を用いている。
 夜が明けて、敬老の日ののどかな朝が訪れている。夏風邪が治りきらず憂鬱気分はとれないけれど、内視鏡で見た内臓器官には損傷なく、なお長生きしそうである。しかしながら、親きょうだいのすべてが果てた後の長生きに、さして悦びはない。ところが、甥っ子と姪っ子が送る「ふるさと便」は、わが命あるかぎり、なおこの先続きそうである。だとしたらやはり、我欲丸出しに、もうちょっとだけ、生きたいと思うところもある。書くつもりのない文章を書いて、これで書き止めである。