防災及び災害対策の将来のありかたについて

 日常、我々は災害や防災について何を考えているだろうか。わずかに民間人が消防署の指導の基に消防団を組織して訓練をしたり、学校での教育方針に基づき、避難訓練をしていたり、町内会で多少防災訓練をしたり、指導員が、三角巾や包帯の巻き方を指導しているくらいである。そして、せいぜい非常食を各家庭に配っていたりである。さらに自治体としての官庁は、丘や学校の校庭等に避難所を定め、非常時に人々が避難する場所を確保し、総務部に、災害時に災害対策本部を上げて、臨機に対処しているだけである。それ以上は日頃、将来起こりうる災害や防災については何もやっていないのだ。そこで以下の文章に於て、我々民間人や官庁が災害について何が出来るかを列挙してみたい。
 先ず、災害時に官庁が何をすべきかを二、三提案してみたい。
 災害の事例で大きなものとして、阪神淡路大震災が挙げられるが、この時は政府の対応が遅れた事については、普段、その地域は小さい地震が頻繁に起こる土地ではなかったことや、岩盤のひずみが何百年も地震エネルギーとして蓄積し大地震が起こることは学問上の理論としてはわかっていたが、それまで実際の経験がなかったので、無理もなかった。しかし、あのような大災害を経験したにも拘わらず、政府や自治体は、民間人との協力のあり方も含めて、将来に備えて、大災害が起きた時に緊急対策プランについて、未だ何も組み立てていないのだ。そこで、国や自治体に何が出来るかを以下に於て考えてみる。
 大地震にしろ、火山爆発にしろ、災害が起きた時に迅速に人々が避難できる場所については、すでに、緊急避難所を確保してあったり、臨時には、災害のあった場所の瓦礫を取り除き、作ったりしているので問題はないが、改善すべきは、災害本部のある自治体官庁と被災者とのコミュニケーション、つまり官庁による被害者に対する緊急指令のあり方である。阪神淡路大震災の時は、それがうまくいっていなかったので、食料の緊急配給や、仮設住宅への入居順序の割り当てについての伝達がうまくいかなかった。
 そこで、大災害に於て、電線が切れて、電源が使えなくなった事を想定して、いかに官庁からの緊急指令を被災者やその他の民間人関係者に指令するか、災害救済に関する情報を伝える手段について提案したい。
 あらかじめ官庁が電波局に災害時緊急用のラジオ周波数を登録しておき、災害時に電線が切れて電気が使えなくなった時でも、自動車エンジンの発電による、自動車ラジオを適切な場所に置き、エンジンを吹かして、災害緊急指令を出したりする。また、官庁が災害時の備えとして、ソーラー発電機や、エンジン発電機を用意しておき、適所に配置して、ラジオを使えるようにする。あるいは、災害時の備えとして、電池式の小形の安価なラジオを用意して被害者に配る。または官庁が各住民に災害用に電池式の携帯ラジオを用意しておくことである。
 さらに、昭和二十年代から三十年代に、子供達に玩具として流行った鉱石ラジオも官庁が用意しておくのもよい。材料さえ揃えば、安価に組み立てられる。学校などであらかじめ災害に備えてその作り方を教えておくのもよい。他に、阪神淡路大震災や上越長野大地震の時に、見た限り、救助に当る官庁の者達、医師、看護師、カウンセラー、ケースワーカー、消防団、警察、そして瓦礫を取り除いたり、食料を配給する民間人ボランティアなどの人海戦術的人員体制がなっていなかった。バラバラにやっていたように見受けられる。
 そこで、あらかじめ官庁が、将来の災害に備え、これらの人々と協議をしておき、災害が起きた時には、これらの人々をどのように配置して災害者に対応し救助するかを決めておくことである。
 この方法は、災害時の緊急の福祉であり、平時の福祉をケースワーカーとソーシャル=ワークと言うが、災害時のはパブリック=ワークと、アメリカなどでは呼ばれている。なお、パブリック=ワークには、公共投資による土木建設を指す場合もある。
 そして、日本ではやられていないが、災害時に崩れかかった歴史的建造物などをいかに保存するかについては、鉄柱を四方に打ち込み、崩れかかった歴史的建物の廻りにワイヤーロープを巻き縛り、保存することである。これからの災害時には日本の官庁が取るべき災害対策法である。
 災害により住宅を失った人々については、年月を限って仮設住宅に住めるが、期限を過ぎると出なければならない。その後は、土地は更地にされ、家を建て直す財力もないので、被害者は安アパートに住むことを余儀なくさせられる。そこで国がアメリカなどで普及されている移動式住宅、モービル・ホーム(MOBILE HOME)、トレーラーハウスを与える事である。トレーラーハウスは家の形をした土台の四つの角の所に大きなタイヤがついていて、牽引して家の瓦礫を取り除き、土地の上にトレーラーハウスを運ぶのである。仮設住宅は取りつけるのにも、取り壊すにも二重に税金出費があるが、トレーラーハウスなら安価である上、国が一度与えれば、被災者は年月が経てば修理代はかかるが、半永久的に住める。
 現在、国は、天皇陛下を被災地に訪問してもらい、滅多にお会い出来ない天皇陛下にお言葉を掛けて、被災者に慰安と感激させているだけで、あとは何も財政的援助を被災者にしていないのである。陛下の御訪問で、何もしない事に対する被災者や世論の批判をかわしているのだ。
 すでに述べた災害時の緊急ラジオ放送、パブリック=ワーク、そして災害時の文化財保全のやり方は、アメリカの危機管理庁(FEMA)がやっている通信教育講座で、学士や修士は出さないが、短大レベルから大学院レベル、あるコース(FEMA CORRESPONDECE CDURSEの一九九七年版)を参考にしたが、このコースを受講するのは無料で、アメリカ国内の災害担当の公務員だけでなく、外国の公務員もタダで受講できるので、日本の自治体の災害担当の人は受講し、新しい防災や災害対処の仕方を学ぶべきである。ただし、講座は英語である。
 最後に、災害時に於ける国内外の災害救助機関との連絡のまずさを指摘したい。阪神淡路大震災の時、三つの三級河川が地震の被災地を流れている。新聞に載った被災地図を分析した所、火の海になっている市街地に、自治体が所有している消防船が川から放水し、消防活動をしていなかった。もし、そうしていれば、川に面した市街地の一辺を消火出来たように思われる。
 海上保安庁が、各管区ごとに大形の消防船を持っている。海水を使った放水は、放物線で高さ二十八メートルも高く上がる。その他に各自治体、主として市が消防船を持っているが、主に船の火事を消すためである。しかし、現在では東京のお台場や横浜のみなとみらい地区など海や運河に面した臨海都市では、消防船による消火が今後望まれる。アメリカ海軍横須賀基地では、アメリカ軍の基地が火災にみまわれる怖れから、横須賀市消防局と協定を結び、消火に関する協助体制が出来ている。
 また阪神淡路大震災時に当時のクリントン大統領の指令によって、在日アメリカ陸軍による救助隊が待機していたし、またスイスやフランスの救助隊が来日していたのに、日本政府や自治体との連絡が十分でなく、ほとんど災害地の瓦礫撤去に活動出来なかった。
 特にアメリカ軍は輸送トラックで多くの兵士が救助に出動出来るよう待機していたのに、日本政府が援助要求をアメリカ軍にしなかったので、指令官の命令が下されず、兵士が救助活動に動けなかった。わずかにスイスの救助隊が、犬を使って匂いを嗅がせ、何人かを瓦礫から救ったのみであった。
 同じ時、地震の被災地に、アメリカの危機管理庁の長官や副長官が被害状況の視察を求めた時に、報道機関は援助しにきたとはやしたてていたが、実際はアメリカ当局が将来、自国に大災害が起きた時に備え、情報収集していたのだ。日本も、外国で大災害が起きた時、医療チームやボランティアだけでなく、しっかりとした被災情報を収集し、日本での大災害が起きた時の参考にすべきである。軍事情報などCIAが収集しているのと同じやり方で。
 対外的には多くの国が参加した国際防災及び災害協定を結び、各国が出来るだけの資金を出し合い、また、あらかじめ救助隊員の数と組織、援助物資の確保などを話し合い、決めておくことだ。
 一般的に貧しい国ほど、大災害に見まわれやすいので、そうすれば、大災害が起きた国に救助する人員と援助物資、復興資金を供給できるようになる。あの北朝鮮でさえ、阪神淡路大震災の時、四千万円という少額であるが見舞金を送って来たのだから。

(流星群だより18号より)