──コムスン会長、ミート・ホープ社長、
羽賀研二の犯罪に見る深層心理──
ごく最近の事件、主として知能犯であるが、コムスン社長折口会長の介護士不正申告事件、精肉納入業者ミート=ホープ社の田中稔社長の牛肉をブタのハツやその他の肉を混ぜ、味が似ている物にすり替えた不正表示、詐欺事件、そして、俳優でジュエラーの羽賀研二容疑者による多額の借金を恐喝による踏み倒し事件が世を賑わしているが、それらの事件の概要や事件の悪質性についてはスポーツ新聞やテレビのワイド=ショーで詳しく伝えられているが、事件の背景には、犯罪を犯した主体である、折口氏、田中氏、そして羽賀研二が共通して、幼い時に味わった逆境、極貧、時には孤独が劣等感として心の底に傷としてあり、それがそれぞれの犯罪に走らせたという心理的分析をしていない。また、テレビなどに出演している心理学の専門家なども、それについて説明出来ていないので以下に於いて説明したい。
すでに報道されているが、すごく問題になっている人々、折口コムスン会長、田中ミート=ホープ社長、そして羽賀研二についての過去の辛酸をなめた経験について触れてみたい。まず、福祉ビジネスコムスンの折口会長は幼い頃、両親が分かれ、自分も祖父母の所で育てられ、貧しい生活を送った。孤独感も味わった。貧しい境遇から十五才で少年自衛官になり、成績を残し、そこから推薦によって防衛大学校へ入り、卒業するも、自衛官に任官せず、自ら起業し、バブル期に芝浦でディスコ場、ジュリアナ東京を設立し成功するが不況で、福祉ビジネスに目をつけ、コムスンの事業を拡大し、今回の事件により事業を破綻させたさせた。
田中ミート=ホープ社長も幼い頃、極貧の生活を余儀なくさせられた。母子家庭で食う物も満足ではなく、食べ物に対する保障があるので、肉屋に就職した。学歴など考える余裕などない。精肉業に二、三勤めた後、独立し、各方面に肉を納入する精肉業ミート=ホープを設立し、事業を大きくしたが、牛肉偽装により罰せられ、事業が倒産した。
羽賀研二は、沖縄で米兵との子として生まれたが、生誕前に父親が帰国し、母子家庭で極貧の生活の中で芸能界へ入り活躍するも法的無知で連帯保証を多額にし、その補填のため知人に四億以上の借金をさせ、返済不能でヤクザに恐喝させて債務放棄させ、逮捕された。
これら三人について共通して言える事は、幼い時に育った環境がひどい逆境、辛酸をなめている事だ。両親が離婚したりして、極貧を味わう境遇だったのだ。人並の生活から見たら遙かに劣る生活をしていた。そのことがひどい劣等感を生む。そんな境遇にあって、他人をどんなに妬んだことだろうか。特に極貧の体験は強い金銭欲を生む。それが深層心理の潜在意識、無意識に刻まれる。無意識にある性欲、攻撃欲、食欲などの本能と共に、金銭欲は準本能として記憶される。
潜在意識に宿った極貧の体験による準本能的な欲求、強い劣等感は、その後の人生に於て強い富に対する執着心となり、事業を起こしある程度財をなすが、さらに富を求め、違法なことでも平気でやるようになる。極貧の体験は準本能的であるため、考え、良識をもって判断し行動する顕在意識で制えがきかず、行き過ぎ、法を犯し、他人をだましてもお金を得ようとする。本人は悪いという認識が湧かない。我欲に走るのだ。自分が極貧を味わったのだから何をしても良いという欲求が生まれる。コムスンの折口会長は、お金のない障害者を自分の金儲けにし、自分は豪邸に住んだりしている。
似たようなケースに虐待を受けた者が、自分の子供や他人をケガさせたり殺人をする。又黒人にレイプされた女性が、それ以後、黒人やインド人、アブオリジンなど肌の黒い男性を見ると、善良な人なのに、レイプされるのだとして、避けるのも、過去の心の傷が準本能的になっているからだ。
潜在意識極貧の劣等感を持った者が、企業などで上に立つと、必ず独裁者になる。田中ミート・ホープ社長は、下の者の意見をまったく聞かず、折口コムスン会長は劣悪な労働条件をヘルパーに押しつけ、防衛大学校出であるので、軍の絶対服従の教育を受けた人で、従業員に文句を言わせなかった。挙句のはてに違法行為が摘発され、事業を失い、多くの善良なる従業員が失職し、犠牲になった。人を踏み台にして、やりたい放題をした。
過去に於て、ドイツのヒットラーは、自分自身がユダヤ人の血が入っているという劣等感があったので、権力に就くとユダヤ人を虐殺したし、エルビス=プレスリーは自分自身黒人の血が入っているのに、スターになってから黒人を差別した。同様に二十年前の豊田商事の永野社長、田中角栄、鈴木宗男なども極貧の劣等感により権力をふるった。横山やすしもしかりだ。
さらに日本の社会は未だ江戸時代の身分社会を引きずっている。裏切りの戦乱を平定させた江戸幕府は、孔子学を発展させた陽明学で人々の日常生活を統制した。外面的には士農工商の身分差、内面的に親子関係、先輩と後輩などに身分差をつけ、上の人間には、逆らわせない。上が間違っていても、それを下の者が指摘してはいけない。現在も上の者は絶対だという江戸時代の社会そのままの意識が残っている。明治維新によって江戸幕府は倒したので民間人が政府に対しては物が言えるようになった。だが、戦後マッカーサー憲法で平等と言論の自由を与えられたにもかかわらず、江戸時代のまんまの習慣不平等が残っている。そのため地位についている者は偉く、やりたい放題だが、下の者は忍従しなければならない。
人々は会話する時、自分より相手が上か下かを意識し、上の者には愛想を好くし、下の者には乱暴な言葉を使ったりする。日本人は我か強く、自分は他人より下に見られたくないという国民性のため、相手を立てて、へり下って話さないと相手は気を悪くして、本音の我を出し、相手に対し態度が悪いなどとケンカになってしまう。自分より能力のある者へは、気にくわないと言ってイヤガラセ、イジメをする。このような身分社会に於て極貧を味わった人間は下の下なので、どんなに屈折した感情、劣等感を心に持つか想像はつく。その人間が事業を起こすとワンマン独裁者となるのだ。
劣等感を持った者が権力につくのを阻止するのは、むずかしい。官庁や大企業などが大学出の優秀な人材を雇用し、経営者にしているのは、権力欲の強い者、劣等感を持つ者が上に行かない工夫である。よく学歴社会というが、この意味では正しいのだ。権力に就いても自制心があり、良識で行き過ぎない者を登用しているのだ。
問題は極貧を味わった者が、自ら起業し、初めから経営者になり事業を大きくした場合である。権力を欲しいままにする。折口会長や田中社長の類である。彼らにはカウンセリングを受けさせ、劣等感を取り除くことが出来るが、強制は出来ない。
やはり、法を整備し、上の不正を告発し、告発者の身分を保護する方法とか、官庁の介入を強くし、劣等感を持った企業社長が行き過ぎた時、強制解任出来る制度にしなければならない。