観光地のあり方について

 ここ二十年ぐらいの間に昭和五十年の沖縄海洋博や、その後筑波科学博や花の博覧会をまねて、日本全国の地方の過疎地で、自治体や第三セクターが多額の投資をし、観光施設を作り、ほとんどが十分な収益を上げられず、数年で倒産閉鎖し、失敗している。その事実を見て、長年、観光地開発に疑問を持っていたので、これまで観光地コンサルタントや経済学者などがあまり指摘しなかった観光開発のあり方などについて述べたい。
 まず、テーマパークについてであるが、平成の初め頃から、日本全国、多くの自治体や第三セクターが、それぞれの過疎地の地域の問題を解決し、活性化するため、莫大な予算を投入し、様々なテーマパークを建設した。ヨーロッパの町並を小さく再現したもの。おとぎの国を再現したもの。アジアの仏殿や仏像、寺院を模写したものなどなど。それらの建設したねらいは、それぞれの県で、特に観光地や特産物もない過疎の地の森林や山を崩し、人工的に独特な特徴のある行楽地を作り、そこへ爆発的に大量の観光客を呼び込み、収益を上げる振興策である。万博や浦安のディズニーランドの二番せんじをねらった、まねであった。ところが、多くのテーマパークは思い通りには客を呼べず、赤字になって倒産していった。その中でも比較的好成績であったオランダの町並を再現した、長崎のハウステンボスまでもが業績が悪くなり、倒産寸前で再建機構の管理下にある。
 それではなぜ、テーマパークは次々に失敗していったのだろうか。そしてテーマパークが手本にしたディズニーランドは不滅なほど好成績を維持し続けているのか。第一に、言うまでもなく、ディズニーは世界的知名度のあるキャラクターであるが、テーマパークはにわか造りの、宣伝も不十分で、全国的に知られていなかった事があるが、その事を抜きにしても、テーマパークは、元々地方の過疎地で、人のいない所に、崖や山林を切り崩し建て、日本全国の客を大量に集めようとした所に無理がある。人のいない過疎の地であるため、地元の人々を常にテーマパークに集客出来ない弱点がある。地元の人がパークに足を運ばないのだ。この点、ディズニーは近郊の人々が大勢集まる東京のそば、浦安に位置している。それ故千葉県にあり、距離の近い東京、千葉、埼玉、神奈川などの大都市から多くの観光客を入場させ、莫大な利益を上げている。これがテーマパークだと過疎の地なので望めない。ゆえに倒産し安いのだ。
 さらに決定的なパークの弱点は、丘や山を崩し建設したため、主要道路から、ずっと奥に入った所に位置していることだ。内陸の孤島であるため、東西南北に別の観光地、スポットとの連絡、お客の流れが作れない。パークを見終った人は、別の見どころへは行かず元来た道を戻るしかない。別の観光スポットから客が来ない。この点ディズニーは浦安にあり、四方八方、夢の島公園、水元公園、都内の浅草や皇居などから観光バスで来客があり、別方向にも葛西海浜公園、柴又や成田山など別の所から客の移動がある。つまり周遊が出来る。が多くのパークではそれが望めない。
 それを証明する良い例が日光に見られる。日光へは通常、宇都宮方面から入るが、中禅寺湖の奥には群馬県の方へ降りる道がある。その入口が金精峠である。日光を見終った客は観光バスで群馬県の九沼、老神などいくつかの温泉地で泊まる事が出来る。反対に東京方面から群馬県の温泉地に泊った後、栃木の方へ坂を登って逆方向から日光へも行ける。日光も温泉地も連絡が出来、双方から客が訪れる。周遊である。テーマパークにはそれがない。日光にとって金精峠から群馬への道は命綱なのだ。
 ローカル線が次々に廃止されたのも似たような理由だ。古い車両で、JRの本線の駅から数キロか十数キロ終点の小さな町まで長年、通勤路線として活躍して来たが、車に取って代わられた。行き止まりの所が終点であり、途中に商店街のモールや行楽地など客が集まる所を作らなかった事にもよる。従ってテーマパークは赤字ローカル線の駅に作ればよかったのだ。地方ローカル線で生き残っているのは有名温泉地に行く路線と、JRの二つの駅を結ぶ線である。例えば長野電鉄や関東鉄道のように。山の麓で終点になっているローカル線があり、さらに山の向側にも終点であるローカル線がある所では、山の両側に振興策として最小限のケーブルカーやリフトを作り、二つの終点駅を結べば両側から乗客が見込め、山の上は地価が上がり、茶店や展望台が出来、経済効果が出る。今後、このような振興策が望まれる。
 テーマパークの最大の失敗例としてはオウム真理教の上九一色村の拠点のサティアンを壊し代わりに作ったガリバー王国である。多くの信者が寝泊りして、秘密の部屋で殺人化学兵器サリンが作られ、地下鉄サリン事件を起こした。上九一色村の役場と住民は感情に走り、オウム憎しのあまり、一瞬にして取り壊し、代わりに悲惨なイメージを払拭するため、巨額の財政投入をし、メルヘン的な巨大なガリバー王国をテーマパークとして作ったが、ほとんど客が入らず、数年で業者に二束三文で払い下げられてしまった。大損であった。同パークは元々富士五湖のさらに奥に入った樹海などのある、超不便な所にあり、ガリバーを作っても東京などから集客は望めない。地元も人がいないので入場しない。経営は至難なのだ。むしろ、悪のイメージはあるが、科学的な価値のある大設備サティアンの多くをそのまま村役場が保存し、入場料を取り、科学的説明をガイドにさせ、悲劇を忘れないよう近くに平和の広場でも作り、追悼イベントをすれば、悪いイメージだが、有名になった所なので多くの観光客が恒久的に訪れ、採算も取れたのだ。日航機墜落の御巣鷹山が良い例である。悲惨な場所で観光地として役割をしている所の例として原爆の長崎、広島、真珠湾など数ある。
 熱海の観光客の激減も周囲の観光地との連携が不十分だからである。かつては東京の奥座敷と呼ばれ、週末は温泉客で人が溢れていたが不況で淋れてしまった。これは東京と熱海の往復のみの一方通行の客の流れのみに頼っていたからで、もっと湯河原、箱根、そして伊東、沼津と直通の交通機関を整備し、連絡し、割引共通宿泊クーポン券などを作り、老人ホームやドクターフィシュの温泉やハリやあんまの湯治の町と再生するのが望ましい。

(流星群だより第11号掲載)