7月19日(水曜日)、このところの書き出し同様に、のどかな夜明けが訪れている。未だに気象庁の梅雨明け宣言はないようだけれど、私には腑に落ちない思いがある。気象のプロを自任する気象庁の「後だしへま」でなければと、老婆心をたずさえておもんぱかるところがある。なぜなら、このところの陽射しの厳しさは、体感的にはすでに梅雨明け後の夏の日照りと思うばかりである。
きのうは、歯医者帰りに買い物を兼ねた。大きな買い物用リュックを背負う首筋には、汗がタラタラと流れ続けた。私はハンカチを手にして、流れ出る汗を拭き続けた。街行く若い女性の中にはチラホラと、本当の命名(商標名)は知る由ないが、小型の「電動携帯扇風機」を手にして顔の前にかざし、歩いている人たちがいた。テレビ映像でも街中にあってもこの光景は、未だに男性ではほとんど見ない。だとすれば暑さ凌ぎの電動携帯扇風機というより案外、現代女性のおしゃれの一つなのかもしれない。確かに、女性であれば、絵になる光景である。逆に、男性の場合は、様にならない光景である。現代のジェンダー(性差)喧(かまびす)しい日本社会にあっては、こんな表現は顰蹙(ひんしゅく)を買うのであろうか。
現在行われている「大相撲名古屋場所」における観客席の浴衣姿も、女性に限れば絵になる光景である。手に持つ電動小型扇風機は、昨年あたりから若い女性に一気に普及しているように思えている。夏の暑さ凌ぎであれば私があれこれ言うことではなく、文明の利器の進歩を称賛するところである。暑さしのぎではないけれど、日本社会の移り変わりのことで最近、目にして驚いたことを加えればこのことが浮かんでいる。
これまたテレビ映像のもたらしたものだが、学童が背負うランドセルには教科書ではなく、一つだけ小型のタブレットが入っていた。すると、インタービュアのインタービューに応じる学童は、こともなげに「軽くていいです」と、言った。もはや日本社会は、デジタル難民を自認する私の住むところではなくなっている。
歯医者の診療椅子に横たわり私は、歯の痛みの場合の古代人はどうしていただろうかと、野暮のことを浮かべていた。このところは日本社会の止まらず世界中で急に、「ChatGPT,生成AI」すなわち、AI(人工知能)からみの話題が沸騰している。私の場合、日本社会の変容にはほとほと汗をかくばかりである。
きのうの私は、深緑を増す葉桜の下、しばし半増坊下バス停のベンチに座り憩いながら、木陰のもたらす自然界賛歌に浸っていた。能無しの私には、ぴったしカンカンの自然界の恵みである。