昼間書きの迷い言

 私は長年にわたり、たくさんの文章を書いてきた。だから、日常生活の身辺を綴るだけでいい「ひぐらしの記」など、スラスラ書けていいはずである。ところが、それが書けない。わが能力の乏しさには、ほとほと恨めしいかぎりである。矛盾するけれどこの要因は、長年書き続けてきた祟りでもある。単刀直入に言えばその一つは、ネタの書き尽くしによるものである。加えて一つは、長年の書き疲れによるものである。二つと言っても根本的なものであり、それゆえ克服して書き続けることは容易なことではない。いやさらに一つ加えて、三つ目の理由が最も厄介である。それはすなわち、人生晩年における気力の喪失によるものである。気力の喪失を招くことでは、これまた様々な要因がある。最大かつ最も始末に負えないものでは、文字どおり生きるための「生活の疲れ」がある。ところが、この要因には数えること不可能にキリなくあり、これまたわが能力の乏しさでは手に負えない。
 私は、きょう(6月27日・火曜日)もまた昼間に書いている。ウグイスは、わが背中にエールを送り続けている。網戸から冷たい風が入ってくる。他力本願だが、心が和んでいいはずである。ところが、なんだか心侘しい昼下がりである。終末人生とは、どんなにしゃちほこだって気張っても、もはや光明にはありつけないのであろうか。自己に鞭打つ生涯学習などには見切りをつけて、生きるための「自己奮励」にのみ切り替えなければこの先、身が持たないだろう。昼間書きは時間があるぶん、功ばかりではなく、罪作り(雑念)に憑(と)りつかれること多々ある。