ウグイスのエールにすがるわが人生

 6月26日(月曜日)、味を占めてきょうもまた、昼間に書いている。昼間書きは、ウグイスと時間を共有できるのが一番いいことである。今やウグイスと私は、風貌の醜さにとどまらず、孤独に堕ちた者同士でもある。そのためか私は、ウグイスには親近感深い情愛を持ち続けている。
 子どもの頃、山中の「メジロ落とし」の囮(おとり)の籠に差すトリモチに、ウグイスが近づいて来た。ところが逃げられて私は、腹いせに「バカ!」と、大声で叫んだ。遊び仲間でウグイスはいつも、「バカ」と呼ばれていた。情愛の深さは、そのとき蔑(さげす)んだ罪滅ぼしでもある。できれば姿を見せてほしいけれど、ウグイスにも隠れていなければならない切ない事情があるのであろう。確かにウグイスの場合は、隠れていてこそ美徳、すなわち美声が際立ち、人間からやんやの称賛を浴びることができる。だから私は、ウグイスのこの切ない事情をおもんぱかり、無理におびき寄せはしない。孤独に耐えて、鳴きたいだけ、山で鳴けばいいのだ。私は、ウグイスからたまわる友情をも感じている。外へ出るとウグイスは、わが背に待っていましたとばかりにエール(応援歌)の鳴き声を、雨あられのごとく奏でてくれる。相身互い身の友情だけに、双方の絆は揺るぎようがない。
 今朝は目覚めて、5時近くから1時間ほどをかけて、道路の掃除を綺麗に仕上げた。昼間書きの功ありて、途絶えがちだった日常生活のルーチンが見事に復元できたのである。確かに、きのうの昼間書きは、今朝のわが気分を愉快に潤してくれていた。
 こんな矢先にあって今週からの私には、つらい日常生活が強いられることになる。それは6月29日(木)を一回目として、期限なし(エンドレス)の歯の治療が開始されることである。たぶんこの先、一週置きに予約時間が決められて、私は厳命を受けたごとく神妙にきっちりと、通院を繰り返す羽目になる。先日突然、詰め歯の一つが崩落した。私は慌てふためいて予約を取り、掛かりつけの歯科医院へ通院した。通院期間が空いていたせいかこのときは、主に歯科衛生士(うら若い女性)によるクリーニングが施行された。マスクを免れた目元は、覗き目、とてもうるわしかった。けれど、言葉は残酷だった。
「虫歯のところが4か所、増えていますね。治療の判断は、先生がされるでしょう。写真を2枚撮りますから、こちらへどうぞ……」
 このあとは主治医・男性先生が、歯と歯茎を診断された。すると輪をかけて、途轍もなく恐怖の言葉を言われたのである。もちろん私には、こののちの治療方針や治療後の出来具合などまったく見当がつかない。それゆえ私は、戦々恐々の面持ちで、梅雨の曇り空の下、渋々トボトボと帰宅した。曇り空は雨を留めたけれど、わが目は容赦なく涙を溜めた。歯の治療はエンドレスとは言えそれでも、いつかは打ち止めが訪れる。打ち止めは夏過ぎて、秋口あたりだろうか。この間の私は、文章を書く気分を殺がれて、治療の経過しだいでは頓挫の憂き目を見そうである。われながら、悲しい予告である。
 こんな泣き言、ウグイスには言えない。いや言っても、子どもの頃の仕返しに遭って、「おまえは、うすらバカ!」、呼ばわりされるだけだろう。窓の外には梅雨明けみたいな、強い陽射しがそそいでいる。歯医者通いをおもんぱかり、ウグイスのエールにすがる、わが気分は沈んでいる。