パソコンを起ち上げて、のっけから電子辞書を開いている。「徳俵:相撲で、土俵の東西南北に、俵の幅だけ外側にずらしておいてある俵」。力士にすればオマケの俵である。だから、徳俵と名がついている。これくらいの説明書きがなければ、電子辞書の価値はない。徳俵のことはどうでもいいけれど、文章の都合上、冒頭で徳俵の由来を記したのである。わが人生はオマケの「徳俵」さえ踏んでしまい、いよいよ後がない。
きのうは下歯に詰めていた岩石みたいな詰め歯が、まるで西の空の日没を見ているかのように静かに外れた。このため下歯は、前歯周辺の何本かを残して、左右には噴火口みたいな旧い穴ぽこに加えて、新たな穴ぽこが並んだ。上歯はすでに詰め歯がとれていて、いたるところが穴ぽこだらけになってしまった。歯医者嫌いで、これまでは痛みが出ないかぎりほったらかしにしていた。しかし、きのうの下歯の詰め歯の外れは、「万事休す」、と宣告を受けたのである。上下すなわち、歯並び全体が「穴ぽこ」だらけになり挙句、大好きな御飯さえ(もう、食べなくてもいいや)と駄々をこねて、敬遠する状態になりつつある。
すわ! これでは歯どころか、「命」が一大事だ! と、慌てふためいて私は、間遠になっている掛かりつけの歯医者に予約を入れた。そのとき決められた診察時間は、きょうの午後2時である。運よく修復できるのか。それとも運悪くもはやお手上げで、また穴ぽこのままにほったらかしにし、やがて訪れる痛ささえ我慢して、自然死まで耐えるのか。きょうは、わが生来の優柔不断の決断をどちらかに迫られる日になりそうである。もちろん診察を終えるまでは、わかりようはない。ただ、残存のわが命に突然、大きな出来(しゅったい)が生じたことだけは明白である。
もう一つ、知りすぎている言葉だけど、電子辞書調べをした。「パンク:①自動車や自転車のタイヤのチューブが破れること②物が膨らんで破裂すること③適量を大幅に越えて機能が損なわれること」。調べるまでもない言葉なのにあえて、電子辞書を開いたのは、これまた文章都合上のためである。そしてそれは、電子辞書の説明書き③の記述に該当する。私の歯、いや体全体は、徳俵でこらえてももはや、後がないパンク状態にある。あすと言わずきょうにも、息の根が止まりそうである。いよいよ私は、人生の総括をしなければならない焦燥感に見舞われている。確かに私の体は、歯のみならず日に日にどこかの不良をいや増し続けている。ところが、わが体の不良や衰弱ぶりばかりではなく、身内、友人、知人の訃報は途切れることなく続くようになり、おのずからわが気分をむしばんでゆく昨今(さっこん)である。
三度目の電子辞書すがりは、これまた知りすぎているこの言葉である。「昨今:きのうきょう。この頃」。わが体いや命は、焦眉の急に脅かされている。大袈裟に書いたけれど、創作文(虚構)の真似事をしたまでのことである。こんな文章など身のため、書かなければよかったのかもしれない。しかしながら、書かないと文章は、きのうで頓挫の憂き目を見たことになる。継続とは恨めしいかぎりである。継続は世に言う、わが人生に力を与えてくれているのだろうか。
梅雨とアジサイの季節は、私にとっては物憂い季節である。ただ、きょうの診察しだいでは、すぐに明るくなることはある。表題は「おっちょこちょこの人生」でいいだろう。