焦り

 4月20日(木曜日)、曇天だがとうに夜が明けている。焦る心は弥増している。きのうはぐっすり寝た。きょうは寝すぎた。どちらにしても、文章はお陀仏である。二度寝にありつけないよりはるかに増しだが、わが心身には避けようのない焼きが回っている。おのずからこの先の文章は、沙汰止みになる。
 きのうの私は、途絶えていたルーチン(日常生活)を取り戻すため、二つの行動を試みた。一つは、朝の道路の掃除である。一つは、昼間にあっては庭中の草取りである。いずれも、このところ萎えていた心を宥(なだ)めすかした自己発奮だった。しかしながら、その目的は未達のままである。それゆえ、この先のわが生き様が思いやられるところである。一方、自然界の恵みは、今を盛りに謳歌を極めている。庭中に這いつくばっていると、わが萎えた心身を真っ先にウグイスが鼓舞してくれた。わが世の時を謳うツツジや草花なども、ウグイスに引けを取らずに癒してくれた。やはり私は、自然界の恵みに篤と励まされ、箆棒(べらぼう)に癒されている。
 きょうは書くまでもないことを書いて筆を折る、いや指先を止める。曇天は、のどかに明るくなっている。風薫る「五月(さつき)の空」が近づいている。私は、心身の修復を急がねばならない。