3月25日(土曜日)。いよいよ春はきのうの彼岸明け(24日)を境にして、仲春から晩春へと向かい深まりゆく。一年めぐりの桜の花は、それに応じて花時を替えて、しだいに葉桜へと移ってゆく。そしてその先は、緑や黄・紅などに色を変えながら、やがて葉を落とした裸木になる。桜木の営みはわずか一年めぐりにして、まるで人の営みの幼年、青年、壮年、そして晩年のごとしである。「出る杭は打たれる」。人の口の端にのぼり持て囃されたり、誉めそやされたりすれば妬まれて叩かれる。春の季節の人気者の桜の花と、いじわる根性丸出しの雨、風、そして嵐の関係を見るようである。桜の花の季節には、春先の「春雨や、濡れて行こう……」などという、とうてい暢気(のんき)な気分にはなれない。
桜の花は、芽吹きどき、咲き始め、満開、そして散り際にあって、人それぞれに興趣、愛惜、寂寥(せきりょう)という感情をもたらすものがある。わが住宅地には宅地開発業者の売らんかな! の意思旺盛な手植えの里桜と、それに加えて周囲の山には自然生えの山桜が点在する。玄関口を出て門口に立てば、おのずから眼(まなこ)は桜見物に恵まれる。しかしながら惜しむらくは、わが住宅地には桜の花に似合いの、すなわち絶佳の風景を為すせせらぎ(小川)はない。小川を見ながら脇道を通ること、すなわち飛びっきりの桜見物をするには、わざわざ「砂押川」沿いへ出かけなければならない。砂押川沿いの脇道を挟んでは、鎌倉女子大の広大で高い校舎が聳えている。
きのうの私は、「大船(鎌倉市)行き」定期路線バスに乗車し、途中「砂押橋バス停」で降りた。そして、買い物には早出の午前十一時近くに、「イトーヨーカドー大船店」へ向かって歩いた。このときの私には、買い物と桜見物の一挙両得を叶える意思があった。前日の夜は、雨風強い激しい嵐に見舞われていた。そのせいか、砂押川はかなり増水し、流れを速めていた。花筏(はないかだ)は渦を巻くことなく、小舟のごとくスイスイと流れていた。その光景を眺めて通る脇道には、足の踏み場を選びようなく、いまだ乾ききれない桜絨毯が敷き詰めていた。花筏と桜絨毯は、散り際の桜の花がコラボ(協働)で恵む美的風景である。私は立ち止まることなく、買い物足を緩めた。そして、花筏を眺めながら、一方では照り映える桜絨毯の色に染まりながら、脇道を歩いた。
イトーヨーカドー店内に入ると、足を労わり一息ついた。こののちには、いつもの習わしにしたがいバニラソフトクリームを買って、しばし舐めた。わが普段の買い物の店は、この先の街中にある「西友ストア大船店」である。店内の品物は同一であっても明確に、イトーヨーカドーのほうが高めである。それにもかかわらず私は、桜の花の季節にかぎり、値段の高めと途中下車を厭わず、砂押川沿いの脇道を歩いている。嵐にいじめられた「桜道」を歩くのは切ない。夜明けの空は、きようも雨降り。