「東日本大震災・12年」

令和5年(2023年)3月11日(土曜日)の夜明け前にある。「東日本大震災」は12年前のきょう、平成23年(2011年3月11日、午後2時28分)に起きた。きょうは、天災とりわけ地震の恐ろしさを忘れてはならない日である。このときの私は、ふるさとに帰っていた。そして、姪っ子(長兄夫婦の次女)の嫁ぎ先が催す「昼宴会」に参じていた。私を連れて行ったのは、長兄夫婦だった。宴会は馬刺しや鯛の刺身、寿司三昧など、てんてこもりの大盤振る舞いだった。宴会は和気藹藹と賑やかに続いて、お開きになったのは夜の七時頃だった。この間、テレビを観ることはなかった。客間から離れて姪っ子は、帰り際に居間のテレビを点けた。みんなが立ち竦んで見る画面には、大津波が家々を流していた。このときから、大騒動になった。すぐさま、兄夫婦と私は、車で自宅へ戻った。これ以降私は、固定電話と携帯電話を頼りにして、妻の安否確認に狂奔した。しかし、その日の夜そして明けて昼時になってもとうとう、妻との交信は叶わなかった。わが家の固定電話、妻の携帯電話以外には、卓球クラブの同僚・小林さんの携帯電話へかけ続けた。私は、ご近所で人の好い小林さんに頼ったのである。昼頃であろうか、小林さんと交信できたのである。まさしく、溺れる者が漂う一本の縄を掴む心境であり、現人神様(あらひとがみさま)への出会いだった。小林さんは狂奔する私の依頼に応えてわが家へ出向かれて、妻とわが家の安全を告げてくださったのである。一難去れば、私は身勝手である。危難を免れると、こののちの私は、他人事みたいにテレビニュースを見聞きした。長兄とフクミ義姉さんは、もうこの世にいない。きのうは、生前のフクミ義姉さんの志を継いだ姪っ子から、「高菜漬けのふるさと便」が届いた。きょうの私は、朝駆けで東京へ向かう。東京都下国分寺市に住む次兄(92歳)宅への訪問である。もっと端的に言えば、老いを深める次兄の体調確認とご機嫌伺いである。しびれを切らしていた、久しぶりの訪問である。次兄は、姿を変えているであろうか。先回の訪問は第二のふるさとと任じて東京で、優しく母親代行役をされていたヨシノ義姉さんの一周忌(昨年12月)だった。歳月の流れには逆らえず、私も妻も老いて行く。来年は、どんな「東日本大震災・13年」になるであろうか。のどかに、夜が明けている。久しぶりの上り電車だけれど、心楽しい旅ではない。