「春ボケ」とは言えない

2月12日(日曜日)。(休みたい)、(もう、書けない)、さらには(書きたくない)と、思いながらパソコンを起ち上げている。これはいつもの愚痴こぼしではなく、正直なわが心境である。言うなれば能力なく文章を書き続けている、わが痛々しい心境である。このことでは、「何十年もの日記」を書き続ける人の偉さが浮かんでいる。(もう、やめるか)、(何を、書こうか)、起きれば強いられる鬩(せめ)ぎ合いである。さて、起き立てにあっては、体感気温は遠のいている。いや、就寝中の私は、寒気どころか暑さが寝苦しく、冬布団を撥ね退けた。先日の大雪予報は、鎌倉地方では外れたけれど、多くの地方や地域では、予報どおりに降ったようである。このことを鑑みればこのたびの大雪は、寒気と冬の打ち止めの徴(しるし)と言えそうである。すなわち、いよいよ季節が替わり、確かな春の訪れのサイン(信号)だったようである。そう思うほどに現在は、一気呵成に寒気が遠のいている。この先の寒気のぶり返しなど、まったく知らぬが仏である。幸いなるかな! 新型コロナウイルスの感染者数も減る傾向にある。これまた、このぶり返しも知らぬが仏である。だとすれば確かな春の訪れに酔いしれて、しばし和みたいものである。こんな文章しか書けないゆえに、私は絶えず冒頭の気分に苛(さいな)まれるのであろう。とことん、生来のわが「身から出た錆」の祟(たた)りである。起き立ての私は、まるで夢遊病者のごとく、書かずもがなの文章を十分間ほど書いてしまった。だから詫びて、おしまいとするものである。こんな気分、一年じゅうだから、期間限定の「春ボケ」とは言えない。