2月11日「建国記念日」(土曜日、祝祭日)の未明、窓ガラスに掛かるカーテンを開いて舗道を眺めた。恐れていた雪は降っていない。きのう降り続けていた雨は止んでいる。きのうの大雪予報は、鎌倉地方では外れて、霙(みぞれ)や霰(あられ)は降らず、寒々しい氷雨(ひさめ)が降り続いた。氷雨のなかわが夫婦は、リハビリを主とするデイサービス施設の送迎車に、往復乗り込んだ。かねて予定されていた、リハビリ施設の体験見学を実践したのである。実践者は、大腿部骨折による入院、手術、そして退院後の妻である。私は、いつものように引率同行者である。妻はいくらかの器具の体験を試みた。私はその様子を眺めたり、男女老齢の人たちのリハビリぶりを、椅子に腰を下ろして見詰めていた。人それぞれにひたすら、「生きることを目的」にリハビリに励んでいた。私は、「いずれわが身かな」と思って、心寂しく感慨に耽った。やはり、人間にとって「生きること」は幸福なのであろう。いや、介護や介助など、人様なの支えなく生きたいのであろう。確かに、「人生は死ぬまで努力」が定めである。妻は、渋々なのか、進んでなのか、とりあえずなのか、入所を決意したようである。きょうは何度目になるのか知らないけれど、なんだか侘しいわが夫婦の「結婚記念日」である。もちろん、指折り数えればわかるけれど、あえて数えたくはない。さて、メディア報道によれば3月13日より、マスク着用から原則、解放されるという。3年ほど願って、ようやく「待っていました」と、言える朗報である。しかしながら、確かな吉報となるのか、それとも先走りの凶報となるのか、と手放しの朗報には未だ心許ないところがある。起き立てにあって私は、きのうの人様のリハビリ様子を浮かべていた。いずれ、リハビリ予備軍になるとはいえ、今のところ私は幸福者である。なぜなら、まったく火の気のないパソコン部屋で、腰の痛みなく硬い椅子に座り、五月雨式(さみだれしき)とはいえ指先自由にキーを叩いている。だから、きょうだけは意識してマイナス思考を沈めて、何度目かの結婚記念日を寿(ことほ)ぐべきなのかもしれない。ただしかし、やむにやまれずリハビリを決意した、きのうの妻の姿が痛々しかったのは残念無念である。薄っすらと夜が明けて、雪降りない、雨降りない、そして太陽の光ない、寒々しい冬空である。