大寒

机上に置くカレンダー上には、「大寒」(1月20日・金曜日)と、記されている。言うなればきょうは、気象の上では寒気が最も厳しい、擂り鉢の底に当たる。もはや嘆くことは勿れ! 寒気は、擂り鉢の窪みに沿ってときおりぶり返しながら、確かな足取りで暖気の頂上へ駆け上る。再びカレンダーに目を遣ると暖気は、立春(2月4日)、立夏(5月6日)を越えて、間違いなく立秋(8月8日)あたりまで駆け上る。いや、それにとどまらず真夏日は、厳しい残暑の高気温さえもたらして、ようやく暖気は打ち止めとなる。このことでは大寒は、耐えて、歓迎こそすれ嘆くことはない。まさしく大寒は、一陽来復の気分ほとばしる、季節の恵みすなわち屈折節点である。暖入りのお先棒を担ぐのは、再来週にひかえる「立春」である。きょうは気分良く、このことだけを書けばいいのに、きのう晒した恥のことを書かずにはおれない。きのうの私は、わが日常生活における、真実一路の一端を書いた。もちろん、恥を厭(いと)うたり、覆(おお)うたり、することなく真摯にあけすけに書いた。きのうの恥晒しをあらためて記すとそれは、パソコン部屋とわが寝室における、人工の火の気のないなさけなさの吐露だった。すなわち、きのうの私は冬季にあって、火の気のない部屋におけるわが日常生活の一端を書いたのである。挙句、その主たることは、寒気への防具は身をぶるぶるふるわせるだけの我慢と書いた。結構、長い間の我慢だった。しかしながら、きょうの大寒を始点としてこの先強いられる我慢は、多くて両手指、少なければ片手指の数くらいで済みそうである。幸いなるかな! 大寒とは名ばかりで、寒気は緩々(ゆるゆる)でわが背筋は伸びて、猫背のように丸まってはいない。それゆえ現在の私は、「大寒」大歓迎の夜明け前にある。確かに、季節や気象はときには嘘を吐く。けれど大筋には、きょうから確かな足取りで、寒気を撥ね退けて暖気の頂上へ駆け上る。春の兆しはもはや兆しとは言えず、コトコトドンドン、確かな足取りで近づいている。