1月14日(土曜日)。きょうの文章はきのうの「嗚呼、眠れない」の続編である。きのうとまったく同様に、寝床で二時間余を悶々として眠れず、両目玉冴えて起き出して来た。すると、パソコン上のデジタル時刻もまた、きのうとほぼ同じ2:58と刻まれている。私にはデートという、洒落た記憶はない。結婚前の私は、妻と歩いていてもわが田舎者には恥ずかしくて、手を繋いだり、腕を組んだり、はたまた肩を抱いたり、したことは一度さえなく、間隔を空けて歩いていた。ところが現在の私は、妻のヨロヨロの足取りを支えるために仕方なく、手を取り、腕を組んで歩いている。傍目に見るこの光景は、82年生きてきたわが成れの果てである。確かに、人生行路は茨道である。わが体験を顧みれば人生行路にあっては、何度もいやひっきりなしに「進み方、生き方」の厳しい関門が訪れる。まずは、進学・進路の選び方と、それに伴う試験が訪れる。それを終えるとこんどは、就活と言われる就職、すなわち職業選択とそれに伴う試験が纏わり着く。大方これに次のは、婚活と言われる結婚問題、すなわち妻(配偶者)選びの関門が訪れる。勤務する会社における昇進試験も、これまた厳しい関門である。働く時代にあっては、仕事を熟(こな)すことそれ自体、日々に横たわる関門である。そして、仕事の打ち止め(定年)を無事に迎えることは、さらに大な関門である。定年を迎えて、仕事を離れて身も心も自由人になればほどなく、来し方や生き方の総ざらいと、その先への身構えが訪れる。これまた、文字どおり心身に堪える関門である。こののち、人生行路の最後の関門は、終活と言われる「命、仕舞い」の準備である。人生行路の終着駅は、「命の終焉」である。未体験だがこれにも、大きな関門がありそうである。電子辞書を開いた。【関門】①関所の門。関所。②通過するのがむずかしいところ。使用例、「人生の最初の関門」。確かに、きょうの文章は、これまたきのう同様に夜明けまでの暇つぶしである。しかし、実際のところこんな短い文章では、暇のつぶしようはなく、いまだデジタル時刻は3:29にすぎない。だからもとより、暇つぶしの足しにはならない。ところが、こんな文章を書きたくなったことにはこんな理由がある。すなわち、きょうとあす(15日)の二日をかけて、「大学共通入試」が行われるからである。受験生の健闘を願うとともに、過ぎた遠い日のわが苦悶が想起されたゆえでもある。それはまさしく、わが人生行路の青春時代に賭けた大きな関門だった。そしてそれは、大道(王道)をくぐり抜けることは叶わなかったけれど、逸れた小道をやっとこさくぐり抜けた、わが人生行路における第一関門だったのである。現在の私は、「嗚呼、眠れない!」が、あす、その先へ定着するのを恐れている。結文の表現はきのう同様に、夜明けはまだはるか先にうずくまっている、でいいだろう。