「鏡開き」

1月11日(水曜日)。まったく火の気のないパソコン部屋の椅子に座して、現在、デジタル時刻は3:58と刻まれている。寒さで、体が震えている。だけど、寝床が恋しいとは言えない。なぜなら、わが意志で抜け出して来たからである。冬季にあって、目覚めて起き出したままに寒さに震えている私は、とことんなさけない愚か者である。寒い季節であっても昼間のパソコン部屋には、燦燦と太陽光線が暖気をそそいでいる。昼間の太陽光線を味方につければ、もちろんこんな泣き言・恨み言など書かずに済む。ところが、なんどか昼間に文章書きを試行したけれど二日と続かず、元の木阿弥すなわち元の鞘(未明)に収まり返っている。気象庁によれば一日・二十四時間の中では、気温は未明が最も低いという。繰り返せば、ほとほと私は、バカ者・間抜け者である。せっかくの昼間の太陽光線の恵みを放擲(ほうてき)するようでは、もとよりこんな泣き言など吐いてはならないはずである。しかし、泣き言を言っている。生来、私は弱虫・泣き虫である。机上のカレンダーへ目を遣ると、きょうには二つの歳時(記)が記されている。一つは「蔵開き」、一つは「鏡開き」である。いずれも、知りすぎている歳時(記)だけれど、生涯学習の復習を兼ねて電子辞書を開いた。【蔵開き】:「新年に吉日を選び、その年初めて蔵を開くこと。多くは1月11日とし、福神に供えた鏡餅で雑煮を作ったりする。【鏡開き】:「①正月11日ごろ鏡餅を下げて雑煮・汁粉にして食べる行事。近世、武家で、正月に男は具足餅を、女は鏡台に供えた餅を正月20日(のち11日)に割って食べたのに始まる。鏡割り。②祝い事に酒樽の蓋を開くこと。鏡抜き」。辛党すなわち辛味(アルコール類)はさっぱりで、甘党すなわち甘味(駄菓子類)一辺倒の私は、甘酒さえ用無しにきょうは、ふるさと便の丸餅を用いて、好物の「汁粉(善哉餅)」を鱈腹食べるつもりでいる。オマケには無病息災を願うつもりだけれど、ところが意に反し、胃部不快感をいや増す恐れもある。しかしながら、きょうだけは「そんなこと、知ったこっちゃない!」、餓鬼(食いの)楽しみである。雑煮餅は、「小正月」(15日)の愉しみである。そのため次の買い物にあっては、市販の胃薬を買い置きしなければならない。目当ての薬は、私に生活資金を存分に与えてくれた「エーザイ」の整胃薬「セルベール」である。体全体が冷えてきて、この先は書けない。デジタル時刻は、未だ暗闇の4:55である。なさけない。