12月19日(月曜日)。狭苦しい雑居部屋を嘘っパチに私は、憧れのある「書斎」と書いてみよう。確かに、わが名が記された単行本が整然と、かつ押し合いへし合い並ぶ一基の本棚(箪笥)はある。しかし、雑居・雑然の様相を示しているのは、本棚に入れてもらえない多くのものがあるからである。これまた「書物」と格好をつければ、それらは埃にまみれてあちこちに、小山のごとく積まれている。今や、手の施しようがないゆえに、雑居・雑然様相の主を為している。もちろん、「枯れ木も山の賑わい」にすぎないけれど、しかしいくらかは、わが人生行路を彩っている。憧れを交えて書いたけれど実際には、机上にノートパソコン一台を置くだけのしがない「パソコン部屋」である。パソコン部屋の熱源は、これまで繰り返し書いてきたけれど、エアコンやストーブはたまた足下に電気行火などもなく、頭上の二輪の蛍光灯の明かりだけである。もちろんこんな明かりは、熱源の用など為さず、頼りなく本来の明かりをともすだけである。わが起き立ての体感では、現在(4:51)の寒気は、この冬一番と思えている。身の回りに寒暖計はない。それゆえにわが体が感ずる寒気の温度である。もちろん、摂氏何度と「メモリ」の表現はできない。こんな寒気に晒されては文章を書く気になれず、休もうと思いながらいつもの習性でパソコンを起ち上げた。それゆえに文章は、出鱈目とは言いたくはないけれど、確かに本筋のないごちゃまぜ文となるである。一年の終い月を川の流れにたとえて、「年の瀬」と言うことには、私は絶妙な表現だと思う。その理由はこうである。一つは、日々の流れを早く感ずること、一つはその流れに冷たさを感ずることである。きのうの私は、行動予定を実現した。すなわち、次兄(92歳)の住む、東京都国分寺市へ出かけた。用件は、義姉の一周忌への参列であった。あたりまえだが人間の姿の姉は居なくて、対面できたのは義姉がかすかにほほ笑む遺影だった。私は一年という短い歳月の、重みの中に打ちひしがれていた。生存中の義姉は、異郷におけるわが母親代わりを任じてくれていた。義姉の眼差しは、言葉の小言さえ一切ともなうこともなく、わが母親を超えて常に優しかった。次兄は出会うたびに、「もう行くまい…」と、決意するほどに弱弱しくなってゆく。出会いは、そのつど寂寥感がつのるばかりである。私は揺れる往復の電車の中で、こんなことを浮かべていた。「人生哀楽」とは言葉飾りにすぎなくて、もとより人生には楽しみはなく、「人生は、哀寂なのだ!」。哀寂(あいじゃく)という言葉は電子辞書にはなく、わが咄嗟の造語である。ようやくごちゃまぜ文の結びにたどり着いて、表題を浮かべなければならない。浮かぶものではこれでいいだろう。「歳月は、わが人生を変える」。寒暖計を見たい思いのする寒さである。デジタル時刻は現在、5:38と刻まれている。年の瀬は急流で、水は冷たい。