「夢の100号、実現へ」、再スタート

12月8日(木曜日)。現在のデジタル時刻は、夜明けの遅い「冬至」(12月21日)前にあっては、いまだ真夜中と言っていい2:30の刻みにある。このところの私は、駄文紡ぎに呻吟しているせいか、いや長年の駄文の祟りなのか、胃部不快(小痛)に見舞われている。そして、どっちつかずに思えていた原因には、現在はむりやりこう決めている。すなわち、口内炎の再発の引き金は、胃部不快がもたらしているのだ。いや、実際にはこの判定にも心許なく、未だにどっちつかずのところもある。確かに、口内炎と胃部不快は、共に抱き合わせのごとく、いまだに治りきらずに日々悩まされている。しかしながらきょうの場合、夜中の寝起きを誘発したのは、明らかに胃部不快感である。こんな身も蓋もない私日記を、『随筆集』という思いあがった命題のもとに私は、「ひぐらしの記」を書き続けている。もとより、六十(歳)の手習いの書き殴り文にすぎなく、それゆえに書き捨てになるのを悔やむことはできない。ところが、「捨てる神あれば拾う神あり」。大沢さまという現人神(あらひとがみ)、まさしく実在する女神さまが、わが書き捨て文を救ってくださったのである。原稿用紙に書けばたちまち分別ごみ箱への直行となるはずの「ひぐらしの記」は、大沢さまのご好意に授かり、書けば単行本に編んでくださったのである。そしてこれまでの単行本の号数は、83号までに及んでいた。私は、わが生涯にあって一冊の随筆集(単行本)の発刊を夢見ていた。ところが私は、大沢さまのご好意に縋り、すでに無限大の大夢を叶えさせていただいていた。しかし一方やはり、駄文には後ろめたさもあり、83号で単行本の打ち止めを決意した。この決意に輪をかけたのは、昨年(令和3年・2021年)8月22日の、ふるさとの長兄の他界だった。異母兄弟を含めた大勢(戸籍上十四人)の兄弟姉妹の中にあって、残るのは東京都国分寺市内在住の次兄(92歳)と私(82歳)のみである。とりわけ、長兄の他界は、わが身には痛手となったのである。なぜなら長兄は、文字どおり跡取りにふさわしく、「ひぐらしの記」の読み手の唯一に位置し、わが励ましての任の独り占めを担ってくれていたのである。長兄が亡くなったのちの私は気力を喪失し、あえて単行本にする意味を失くしていた。ところがこのところ我欲が頭をもたげてきて、私は再び大沢さまのご好意に甘えては縋り、単行本への手間暇をお願いしたのである。そして、単行本お願いの再スタートには身勝手にも、「夢の100号、実現」という、標題を記したのである。目標を決めたからには、私は大沢さまのご好意とご常連様の支えにより、生きてこの夢の実現に勤しむ覚悟である。しかし、身体(力)と精神(力)が持つかどうかは自分自身、とくと危ぶむところである。なぜなら私は、些細な口内炎と胃部不快感にさえ、泣きべそどころか「痛い、痛い」と言って、両眼(りょうまなこ)に涙を浮かべている。三日坊主の上に弱虫のわが心中には、「空夢」の兆しが、ピョンピョンと跳ねている。夜明けは近いけれど、「夢の100号、実現」は、はるかに遠い夢まぼろしである。