このところの私は、せっかくの秋の夜長を恨めしく思うばかりだった。ところが、きょう(十月二十三日・金曜日)現在(デジタル時刻、3:00)の私は、秋の夜長にたっぷりと浸っている。すなわち、秋の夜長でなければ執筆時間に急かされて、時間の掛かることはできない。
私は目覚めるとそのまま寝床に寝そべり、心中に使い慣れている言葉をめぐらしていた。その言葉は、「生来」である。知りも知っているこの言葉は、「生まれつき」として、しょうちゅう文章の中に用いている。文章に用いるときは、必然的にその後には愚痴こぼしの事柄が続いている。すなわち、記憶を新たにすればそれらには、生来、私は三日坊主とか意志薄弱とか、はたまた決断力に乏しいとか、わが精神力の欠如や欠陥を示すものが露わに記されている。これらのこと以外にも浮かべれば、芋づる式に次々に浮かんできて、まったく尽きるところはない。
さらに、三つほどに限り記すとこうである。生来、わが脳髄は蒙昧(もうまい)である。生来、わが顔は醜面(しゅうめん)である。生来、わが手は不器用(ぶきよう)である。あらあら、四つを書く羽目になった。生来、私は内気というより、劣等感の塊(かたまり)である。書き出すと確かに、きりなく尽きない。だから意図して、打ち止めにせざるを得ない。
生来という言葉を浮かべて私は、「後天」を見出し語にして、枕元に置く電子辞書を開いた。すると、こう記されていた。[易経(乾卦、文言)「天に先だちて天違(たが)わず、天に後(おく)れて天の時を奉ず」]生まれてから後(のち)に知ること、生まれてから後に身に備わること⇔先天。次には「先天」を見出し語にして、再び電子辞書を開いた。[易経(乾卦、文言)「天に先だちて天違(たが)わず、天に後れて天の時を奉ず」(天に先だつ意)生まれつき身に備わっていること⇔後天。
私にとりつく「生来」という言葉は「先天」と同義語であり、そしてその反義語は「後天」である。結局、知りすぎている言葉の復習にすぎない。それでも、秋の夜長の恩恵である。確かに、生来と先天は同義語である。しかし、先天的とは言っても、生来的とは言わない。後天的に見合うのは、先天的がふさわしいことを復習したことにはなる。
学童の頃の「綴り方教室」、さらにはかつての「日本随筆家協会」(故神尾久義編集長)の会員当時から私は、文章はやさしい言葉でわかりやすく書くことを指導されてきた。このことからすればわが綴る文章は、ゴツゴツとしてきわめてわかりにくいものである。おのずから私自身、「下の下の文章」と、認知しているところである。
そのための言い訳を一つだけ記すとこうである。私は、語彙(言葉と文字)の生涯学習を掲げている。このため、忘却を恐れて咄嗟に浮かんだ言葉をやたら滅多らと文章の中に用いている。わが文章は、掲げる「語彙の生涯学習」の実践の場と任じているところがある。必然的に文章は、滑らかさを失くし熟(こな)れない硬いものとなる。ひいては、文章の基本を逸脱しがちになっている。つまりは、わが生来の凡愚(ぼんぐ)ゆえである。結局は、先天的なものであり、後天的に補えるものではない。
秋の夜長は、五月雨式(さみだれしき)にキーを叩いても、夜明けまではまだまだ余りある時間を残している。それでもきょうはこれまでとは違って、表題には「秋の夜長の恩恵」と、記そうと決めている。ただ惜しむらくは、きわめて硬いわかりにくい文章の見本に成り下がっている。わが生来の「身から出た錆」である。