立冬

 「立冬」(十一月七日・月曜日)。暦の上では冬の季節に入ります。ときおり、「小春日和」はあるとはいえ、この先、日々寒気が増してまいります。いや、寒気だけではなく、それゆえ気分的にもつらい季節が訪れます。おのずからわがモチベーションは萎えて、文章を書く日はとぎれとぎれとなり、やがては頓挫、途絶の憂き目を見るでしょう。
 この先には心寂しい年の瀬があり、そして大晦日を過ぎては、新たな年の正月が訪れます。ところが今や、正月とて子どもの頃のように燥(はしゃ)ぐ気分にはなれません。実際には時の移りの速さ(感)に打ちのめされて、これまた恨めしく心寂しいかぎりです。それゆえにこの先には、人生行路の晩年を生きる苦しみが弥増(いやま)してまいります。私自身の顔面や風体(ふうてい)の老い耄(ぼ)れは、鏡を見ないかぎり免れます。ところが、茶の間で間隔を空けて共にソファに座り、真向いの妻の風貌・姿の老い行くのを見ることには、とてもつらいものがあります。もちろん、愛情ある妻であれば同様に、老い耄れを深めるわが顔面や諸動作を見るのはつらいはずです。
 このところの二人の会話には、「パパは、認知症よ! 病院へ行きましょうよ」という、妻の独善言葉が増えています。私の場合、妻に向かってこの言葉は、心して禁句にしています。なぜなら、言うほうにも、言われるほうにも、とてもつらい言葉だからです。立冬の夜明けの大空には、のどかに彩雲が浮かんでいます。それなのに地上、いや、わが身および身辺は雲行き怪しく、風雲急を告げそうな季節が訪れています。ネタなく、じゃれごとを書きました。