生きている

 十一月五日(土曜日)、明るい文章を書きたいのに書けないのは、わが罪であろう。読む人が少ないのは、文章の不出来のせいであり、確かなわが罪である。「文は、人なり」。こんなことを心中に浮かべながら、起き出している。今や、起きることだけが、生きている証しである。先日の文章にあっては、同義語たる、晩年、晩歳、晩節という言葉を復習し、そのうえ新たに学び直した。本音のところは言葉をひもとき、晩節を生きる苦しみを訴えていたのである。こんなことを書いていては、義理読みを続けてくださる人さえ遠のくばかりである。さしたるネタなく、夜明けまでの指先運動に精を出しているにすぎない。指先を動かせばおのずから、何らかの言葉や文字を浮かべなければならない。これは、私に負荷されている必定の掟である。
 起き立ての私は、本当にバカなことを書いている。気狂いの自覚症状はないけれど、傍目にはどうか? と思うところはある。さて、生まれて生誕地(古里)で過ごした年数は十八年である。ところが、定年ののちの年数はこれを超えて二十二年になる。十八年には良し悪しは別として、思い出がいっぱい詰まっている。しかし、二十二年にあっては、それはない。思い出には過去という感傷が付き纏うせいであろう。すると、現在進行形の二十二年の思い出は、死後となるのであろうか。これまた、バカなことを書いている。だからきょうの文章は、恥を晒したままにこれでおしまいである。いっときの時間稼ぎにもならず、夜明けは未だ薄明りである。このところの好天気、すなわち晩秋の恵みを得て、寝起きの気分は悪くはない。能無しのせいで、文章が書けないだけである。