十一月初日

十一月一日(火曜日)、壁時計の針は五時近くにあるのに、窓の外に夜明けは見えず、未だ暗闇である。しかし、このところの晩秋の好天気を引き継いで、夜明けの空に雨模様はないであろう。いや、そう願っている。私は、しばし書かずに済んでいた新型コロナウイルスの動向を書き始めている。それは、打ち止まりに思えていた感染者数が、ぶり返し傾向にあるからである。この先、いっそう増勢を強めるのか、それとも一時の綾戻しにすぎず、打ち止めから収束へ向かうのか、気が揉めるところにある。もちろん、後者であってほしいと、願うところである。ところが、願い叶わず後者であれば、虚を突かれた思いと共に、鬱陶しいかぎりである。実際にも鬱遠しいと思える案件がきのう、わが夫婦の身に現れた。それは、鎌倉市の行政から五度目のワクチン接種券(クーポン券)が送られてきたことである。慣れ飽きて有難味を感じない、手回しの良いクーポン券である。それにはこれまでの四度とは異なり、一つだけ違いがあった。今回は、無料のタクシー券はないという。いよいよ行政の金庫(財政)も、底が見えてきたのであろう。私は恨めしい気分を撥ね退けて十分理解した。確かに、打ち止めなく接種を繰り返し、そのたびに無料のタクシー券を付与し続ければ、市の財政に大きな負担が生じるであろう。同時に、思ったのはこうである。このところの感染者数の減少傾向に加えて当局に、慣れ、疲れ、厭き気分が生じて、接種行動(勧誘)が緩みがちなのであろう。すなわち、長引くコロナ騒動に緩みと飽きが見え始めている証しであろう。これまた、十分理解できるところである。さらにわが下種の勘繰りを加えれば、もちろん箝口令(かんこうれい)だが当局に、ワクチン効果に疑心暗鬼のところがあるのかもしれない。いずれにしてもワクチン行政に、かなり疲れや飽きがきているのであろう。十分理解するところである。恩恵を享ける私にも、慣れや飽きが生じて、これまでとは異なり、挙句「打つか、打つまいか」と、決断が鈍っている。薄っすらと夜が明けて大空は、願いを裏切り雨模様である。「歳月人を待たず」、今年は早や残り二か月にすぎない。