十月末日

十月三十一日(月曜日)、のどかな晩秋の夜明けが訪れている。朝日は隠れているけれど、大空には浮雲の欠片さえなく、時を追って日本晴れに変わるのであろう。しかし、寝起きが遅れて心急いて、私はまともな文章が書けない。こんなときは休むにかぎるけれど、生きているだけの証しに、大慌てでキーを叩いている。ところが指先は、わが脳髄の焦りの命令に逆らい、チンタラチンタラである。それゆえ私には、同体の仲間とは思えない、歯がゆさにある。きょうは十月最終日、時の流れの速さに打ちのめされている。言葉を重ねれば、本当に速い時のめぐりである。時々刻々、わが生存期間は短縮、圧縮されていくばかりである。このことにもまた私は、限りない焦燥感を募らせている。現在の心象風景は空っぽだけれど、世の中の出来事で、ひとつだけ浮かべているものがある。それは、隣国・韓国(ソウル)で起きたという、悲惨きわまる大きな事故のことである。事故の実情は知るよしないけれど、わが身がぞっとする痛ましい事故である。なぜなら、将棋倒しによる圧死だという。すなわち、恐怖の中の一瞬の命の絶えだという。そして、これを招いたのは、ハローウインだという。私は、ハローウインがどんなものかなどまったく知らない。だから、それについては何も書けない。ただし、メデイアの報道から、あるいは剽軽(ひょうきん)きわまりない人出の光景から、胡散臭い思いを募らせていた。ハローウインは何のお祭りなのか、それにはどんな謂れがあるのか、私には珍紛漢紛(チンプンカンプン)である。だから私には、付和雷同の「烏合の衆」の光景にしか見えない。よって、こんなことで命を亡くすのは、他人事は思えず馬鹿げている。なんだか世の中は、だんだんみすぼらしくなっている。書くまでもないことを、大慌てで書いてしまった。十月末日、自然界の恵みは、見渡す限りの大空を青く染めて、見事な日本晴れに変えている。隠れていた朝日は、外連味(けれんみ)なく輝き始めている。なにも、とってつけて、バカ騒ぎに踊ろかされているようなハローウインに楽しみを求めなくても、自然界の恵みを堪能すればいいのでは? と、わが老婆心は募るばかりである。しかし、こんな殊勝な思いも「焼け石に水」である。