冠の秋、到来

十月二十一日(金曜日)、きのうの好天気は、これまでの秋らしくない天候の償いをしたのであろうか。ほぼ一日じゅう、天高い胸の透く秋空に恵まれた。それを引き継いできょうの夜明けは、まったく風雨のないのどかな朝ぼらけが訪れている。私はこんな夜明けをどれほど長く、待ち望んでいたことだろうか。このことにたいして、「恩に着る」という言葉はなじまない。けれど、その言葉以上に自然界の恵みを称賛せずにはおれない。確かに、人間心理は自然界、直截的には天候の良し悪しに左右されるところ大ありである。その証しには、今なお鼻炎症状を引きずっているけれど、現在の気分は九分どおり爽快である。鼻炎症状が完全に遠のけば、ようやく心身、壮快という言葉に置き換えてよさそうである。しかし、それまでは未だしである。つまるところわが鼻炎症状は、この秋の天候不順よりさらに長引いている。挙句、さしたる書くネタもないため、冒頭からこんないたずら書きを長々と書いている。「ひぐらしの記」、風前の灯が消えないように私は、竹筒の火起こしでフーフーと吹いている。この表現は、子どもの頃の家事手伝いの一つ、すなわち風呂沸かしのおりの火起こしの真似である。しかしながら、実際には大きな違いがある。なぜなら、風呂沸かしのときの火起こしは、焚きつけた火が消えないように懸命に吹いていた。そして、消えずに火が燃え出すと、そのあとは火起こし用無しに、火は音を立てて燃え盛った。ところが、「ひぐらしの記」の火起こしは、いくら吹いても燃え盛ることはなく、いや叶わず今にも消えそうである。きのうの買い物にあってはこの秋、一度目の栗(茨城産)を買ってきた。栗は、妻の手で栗団子に変わった。味見の栗団子はきょう、食べどきの本番を迎えている。ようやくわが家には、冠の秋のもたらす恵みが現れ始めている。朝ぼらけは満天、青々しい日本晴れとなり、天上、空中、地上に満遍なく輝いている。天界の恵みのおかげでわが鼻炎症状は、きょうで打ち止めになりそうである。そうなれば、果物の秋の買い出しが忙しくなる。もちろん、うれしい悲鳴である。