わが脳髄は、空っぽ

 十月十二日(水曜日)、起きて、パソコンを起ち上げても書くこともない。こんな心境が果て無く続いている。私は、もう止め時と際限なくつぶやいてきた。ところが、なかなか見切れず、牛の涎のごとくだらだらと続けている。挙句、味もそっけもない文章に陥っている。自業自得とはいえ、常連にあずかってきた人さえ、少なくなってしまった。ゆえに現在の心境は、部活やスポーツ競技において、練習ばかりで試合には出られない人の切なさ、侘しい心境に似ている。無理して何かを書こうと思えば、こんなくだらないことしか書けない。こんな文章の唯一の取り得は、生きている証しにすぎない。
 この文章、ここでやめようかと思う。しかし、せっかくだから、世の中の一つや二つ、三つのことを書いてみる。一つは、ウクライナは連日戦争状態で、実際のところはどんな状態であろうか。連日戦争状態であれば、国は破綻していると思うところがある。一つは、幸いにもこのところのコロナの感染選者数は、ようやく漸減傾向にある。うれしいかぎりである。これに関してわが望むのは、だれもがマスクを外した生活への復帰である。マスク生活は自分自身鬱陶しいし、さらに人様のお顔の見えないことは、生活の面白味を欠いている。最後の一つは、経済活動の後押しとはいえ、旅行へ行く財力のある人へ、あえて税金で補助をする必要があるであろうかという、下種の勘繰りである。すなわち私には、税金の使い道の不公平感が渦巻いている。
 約二十分間の書き殴りで、文章を閉じる。能無し野郎の切なさが込み上げている。夜明けの空はわが心象のごとく、どんよりとして今にも雨が落ちてきそうである。こんな文章は、無理して書かなきゃ良かった。寝坊助の後の祭りである。