十月十一日(火曜日)、三連休明けの夜明けは、雨なくのどかに明けている。手元にカレンダーがなく、きのうの表題では、失態を演じた。脳裏にこびり付いていた「体育の日」は、二年前(2020年)から「スポーツの日」と呼称を変えて、設定日を替えていた。飛んだしくじりだったけれど、そんなに罪意識はない。
きのうの私は、みずからの身体は茶の間もソファに凭れたままに、二つのスポーツのテレビ観戦に興じた。もとよりこんなスポーツの日は、設定の趣旨に副うものではなく、大いに慎むべきところではある。ときにはソファから身を起こし、テレビ体操に合わせて柔軟体操でもすれば、いくらか設定趣旨に副うところはある。ところが私は、それさえせずにミノムシさながらに、ソファにべったり張り付いていた。
テレビ観戦の一つは、大学三大駅伝の一つである「出雲駅伝」であった。出雲は、大沢さまのふるさとである。私は、かつて大沢さまが書かれたご姉妹三人のお母様の納骨紀行文を懐かしく蘇らせていた。それゆえ、大沢さまに何度か電話を入れようかと思いながらも果たせず、観戦を続けた。
もう一つはプロ野球、阪神タイガース対横浜ベイスターズの第三戦(最終戦)のテレビ観戦だった。こちらはタイガースが勝利し、次のステップで東京ヤクルトスワローズ戦へ進んだ。結局、スポーツの日は、みずからの身体はソファに張り付いたままに、人様が為すスポーツのテレビ観戦で終始した。しかしながら気分は、晴れ晴れとした。このことでは他力本願にすがり、スポーツの日に報われた気分だった。すなわち、きのうスポーツの日は、二つの競技のテレビ観戦に興じて、気分晴れ晴れの清々しい一日だった。
老躯に鞭打つスポーツは沙汰止み、もっぱらテレビで観るスポーツに変わっている。それで気分が晴れれば、越したことはない。なぜなら、粋がってやって、挙句転んで腰でも傷めれば、年寄りの冷や水となり、バカ呼ばわりされるだけである。夜明けの空は、淡い日本晴れに変わっている。